今日は父の4回忌で妹と女房殿と三人、そして住職様と仏前で読経した。
会社を無くしたことに住職は私以上に心を痛めていて、「お布施はいりません」とまで言うから「それは考えすぎです」と説得して納めていただいた。
とても心優しい住職でこれからのこともお任せできる信頼の気持が深くなった。
去年義妹、年明けに舅、そして先日義弟の義弟と身内の葬儀が続いたが、まだ98歳、96歳、94歳と高齢の身内がいる、その中の一人は病院から夏までは持たないでしょうと言われた。
生涯つきあっていけると思った友人が去って行ったり、思いがけない人が力になってくれたりと人間の不思議さをこうなって初めて知った。
こんな時こそ同じ釜の飯を食った修業時代の仲間と語り合いたかったが、5人の同期入門も私ともう一人だけとなった。
50歳で3歳下の仲間が死に、それから少し後にも3歳したが死に、一昨年には相棒が71歳で死んだ、私が習った板前さんは60歳で亡くなり、一番好きだった女将さんも71歳で突然死
もう共に修業した仲間の大半がいなくなった、なんでみんな早く逝ってしまったんだろう。
市の課長で私が市長候補に推したかった中学時代の友も60歳で殉職、小学校時代に京都から転校してきたHくんをネットで偶然見つけて50年ぶりに再会、その翌年Hくんは病気で亡くなった、都銀の支店長だった優秀な人物だった。
晩年良き友としてつきあいたかった友が先に逝ってしまう、なんか寂しくなる、今年は特にそう思う、今年の冬は寒さが身にしみる。
念仏三昧と言うほど抹香くさくなるつもりはないが、一日一回は阿弥陀様に向き合って瞑想してみようと思う。
おそらく私も人並みに罪深い人間であり、その迷いから抜け出せず煩悩のままに生きたゆえ罰を受けた、それでも懲りずに煩悩のままに生きている
さすがに今は静かに暮らしているが春になれば狂った鳥が頭の中を駆け巡って「はやくはやく」と私をせき立てるだろう。
煩悩を振り切ることは難しい、それほど出来た人間ではない
しかたない煩悩のままに生きてみよう、それが私の現世の生き方なのだから。
奥州平泉