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ぶり文化 鮭文化

2024年12月23日 15時51分37秒 | 時代検証
太平洋岸にぶり文化、鮭文化があるのかどうか知らない
日本海では富山のぶり文化、新潟の鮭文化とはっきり二分している
ただフォッサマグナ(静岡、糸魚川構造線)付近では、はっきりしているわけではなく、交じり合っているようにも見える

この辺りでは、昭和時代はお歳暮に新巻鮭を地方の親戚や知人に贈るのが年末の風物詩だったが塩ぶりを送ることはない(平成のころから、そのような習慣は薄れた)しかしお正月の焼き物、さしみには富山湾や佐渡の寒ブリを食べる。

富山も新潟も共通するのは正月魚として長野県、岐阜県に売り込むことだった
富山からは岩瀬浜から飛騨地方に南下して高山へ、峠を越えて信州松本や、信州大町方面に
新潟からは現在の松本街道(糸魚川街道)を山道、峠道を越えて松本方面へ
これは上杉謙信が静岡の今川、小田原の北條によって塩止めされて困っていた宿敵の武田家に塩を送った(義塩)塩の道と同じである
あるいは直江津から北国街道で善光寺平(長野)へというルート
いずれも車などの交通手段がない時代は、塩ぶり、塩鮭にして運ぶしかなかった。

ここ数年は寒ブリも鮭も富山、新潟は水揚げががったり減った、とくに佐渡のぶりの水揚げが少ない
これは鮭、ぶりばかりでなく、イカやスケトウたらなどの魚にも言える、これも原因は温暖化と言われている
魚屋の店頭でも新巻鮭がズラッと並んでいる風景は見られなくなったし、贈答品としての利用もなくなった
代わりに外国産のサーモンの切り身がスーパーのショーケースに所狭しと並んでいる。




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ぶり文化 鮭文化 (tsakae)
2024-12-24 12:13:00
言われてみれば よくわかる
富山 氷見には寒ブリを食べに
新潟 村上には鮭をみに行っていました。
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日本の境目 (yottin)
2024-12-25 15:11:02
>tsakae さまへ
東日本、西日本の境目で魚まできっちり変わるというのは不思議ですね。
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