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神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

体と保険の話

2021年10月28日 17時18分01秒 | 病気と健康
高校生ごろまでは死ぬことが怖くて仕方なかった
そのあとはとにかく長生きしたいとずっと思っていた
だけど50年間の間に友達、同級生、知人、家族親族の死をとどまることなく見続けるうちに死を受け入れるようになった
私の周りでは「長生きしたくない」という女性が一定数いて、それは(どうしてだろう)といつも思った
感覚的に死を受け入れても90前に死にたいなどと考えたことがない、それ以前にそうなれば仕方ないが

親戚を見渡していたら女房殿の父親が98歳、父の仲人をした父の従兄も98歳で健在だった、どちらも体力的には衰えているが一人で暮らしている
勿論子供たちが近くにいてかわるがわる顔を出している
寝たきりでないのがいい、でも本人たちはどんな思いで生きているかはわからない、二人とも耳が遠くなった

昨日私は勘違いして後ろ向きのまま階段を2段踏み外して下に落ちた
でも左足一本で体を支えることができた、最近暇があればその場でスクワットをするようになった
場所も回数も考えずにやりたいときにやりたいだけやっている、例えば魚のセリの前だとか、起きた時のベッドサイドとかで
そんなことで体幹年齢がまた下がって48歳相当になった、それで階段バック踏み外しもこらえることができたのだろう
あれで膝が砕ければ背中からもう一段低い玄関のコンクリートに尻から落ちて大けがするところだった

体幹バランスは良くなったけれど、足の置き場を勘違いする頭の劣化は大問題だ、二段目を一段目と勘違いして一気に廊下までおちたのだから
これからは頭の体操も力を入れなければいけないな、体が元気なまま認知症などになっては家族がたまらない
この夏、生命保険の介護保険と言うのに入ってしまった、例のノリがいい保険のセールスレディに入れさせられてしまったのだ
テレビでその商品を最近PRするようになった、要介護一の認定で満期金を家族に渡す、そして保険金はそこで支払い打ち切りになるという商品だ
両親が80代半ばから要介護1を超えたから、私も可能性があると思って入った
国の介護保険料を支払っているから、この保険に入っている意味があるのか無いのかわからない、無駄かもしれないがその時にならなければわからない

若い頃、将来国の年金はあてにならないから」と言って保険会社が個人年金保険と言うのを競争で売り出したことがある
国も奨励したのか年末調整などでその保険金を控除対象にした
だがバブル崩壊で日産生命だとか損保会社が3社ほど相次いで倒産、この保険は銀行も乗っかって被保険者に一括払いの保険料を融資した
私も百万単位の融資を受けて加入したが、その保険会社が倒産して借りたお金の70%しか戻らなかった
結局銀行の利息も入れれば掛け金の半分を損したことになった
だが保険は万一のために入るものだ、今のコロナ騒動と同様で「もしかしたら」という不安を煽る
並の人間と言うものはこんな風に形の無いものに煽られて右往左往する「考える葦」「考えなくてもいいことまで考えてしまう葦」なのだろう







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