妻がプイと家を出て行って、それっきり帰ってこない
ラインを送っても既読にさえならない
「どうすれば妻を帰ってこさせることができるか」知恵を貸してほしいと知人からラインが来た。
ラインの既読さえないのだから、そうとう妻は怒っているか、もはや彼など眼中にないかのどちらかだ
たしかに彼には落ち度があって、それは100対0の落ち度なのも知っている
世間では「夫婦喧嘩は犬も食わない」という、私もそうしようと思っている
無責任に首を突っ込んだり、口を挟んでよけいこじらせでもしたら、大失策だ
さりとて困っている知人を無視するのも男気がない
そうとう参っていて、これに留まらず悪い方向に傾けば、それも困る
もう何か月かたって、事態は一向に進展していないようだ
もはや望みは無いと言った方が早いくらいだ
仲良く見えた夫婦でさえ、近年は夫の退職を待っての「熟年離婚」が流行していると言う
それほどに女性の不満は蓄積しているのであるのか?
男などという者は、何十年妻と連れ添っても、妻の苦労や不満に少しも気づかない、気づいたふりをするだけだ
それで、たまに優しい言葉をかけたり、ちょっとしたプレゼントをしてすべては終わったと思っているが、どっこい女性はそれほど愚かではない
いや、愚かなのは男の方であろう
女性は明治、大正、昭和戦前の女性ではない
ウーマンリブ、女性解放運動、男女均等法、さまざまな改革の中で力をつけて来たウーマンパワーの闘士なのだぞよ
私も最近は朝食家事をするようになってみて思うのは、調理前に片付けと簡単な掃除をする、それは義務ではなくて、目に入るゴミやら片づけ物があるから、食事つくり前に、それをかたさないと次に進めない
それから神棚の水を取り替えて、仏壇に花とご飯を供え、それから材料の下ごしらえ、煮炊きをして息子優先で支度をして
調理した器具を洗って、ようやく自分の食事が始まる
6時から準備を初めて、7時過ぎに食べさせて、自分がテーブルについて食べるのは8時少し前になる
それで思ったのは、女房殿は是を50年近くやって来たということだ
例えば車いす生活の人の不便さは、側から見て「気の毒に」などと思って同情しても、それはほんの一コマを見ての感想でしかない
車いすを押して半日、街を歩いてみればようやく車いす生活者の視線で見えてくる、どれだけ世の中がこうした人たちの不自由を改善しないでいるかが見えてくる
一方、そうした人の目線で先進的に改善している企業や人たちが居ることもわかる
それと同じように、主婦目線で見るには、一日主婦業をしてみるに限る
さて、彼へのアドバイスは、「どうにもならないと悟ったらあきらめるしかない、失ったものに未練を残してはいけない、後ろを振り返らず前に一歩踏み出せば、五里霧中の暗闇も晴れて、また新しい展開が起こるかもしれない
何もないと言うのは決して不幸なんかではない、むしろ何もない方が気楽である、特に齢をとってからは
毎日、感謝の心を持ち、祖先を大切にして、神仏を敬っていれば、道は開けるよ」
と、言おうかな・・・まだ言ってないけど。
人それぞれに異なった不思議な人生がありますから、それを観察するのは楽しいことです
外面は平穏無事に見えても、誰もが大小の悩みをもっている、あるいはいつか遭遇する。
人生とは奇怪で楽しものですね。
というのは自分も常々感じています。
人それぞれの立場はもちろん
障害者も本当にそうだと思います。
「感謝の心を持ち、祖先を大切にして、神仏を敬う」
私も忘れないようにしたいと思いました。
ありがとうございます。
彼の他にも、3組の50代の知人夫婦が最近相次いで離婚、あるいは離婚申し立て中です
我々世代では、あまり例が無いので?ですが、これも時代の流れなのでしょうか。
今の年齢になって見て、人生は短いと実感しています
もうつまらないことに時間を費やしていられません
やりたいことをできる時にやっておくのが重要です、悔いのない人生であったと言えたら幸せでしょうね。