財を成し 町の中で老いても影響力を持つ政治家や経済人ならいざしらず
普通に生きていたら人間と言うのはだんだん孤独になっていくものなのだと最近思った
50歳ころが人生のピークで会社や地域での地位、立場はリーダー的であるし、自分だけでなく同級生が議員や管理職、
役所のトップになっているから、何かをしたいとき役立つし、ことが簡単にすすむ
今では役所へ行っても職員には誰一人知った顔に出会うことがない
なにごとも事務的で、もっと余裕があった昔なら「ああ、yottinさん 身分証明書なんか見なくてもわかるよ」なんてこともあったが
友達も一人二人とこの世から去って行った、頼りにしていた先輩方はなおのこと
生きている仲間だって、みんな社会の一線から退いて隠居さんになって、なんの力もなくなった、飲み歩く元気もなくなった
遊び歩いた友達も家からなかなか出なくなって遠ざかってしまった
だからこそ今度のような同期生旅行の仲間は貴重な元気印友達なのだ
昔は長生きしたいと思っていたが、父を見てきて少しずつ長生きってのもどうなんだろう」と思うようになってきた
90歳になって友人知人はほとんどこの世を去っていき、生きている数名はお互い自分の足では外出できなくなっていて会うこともできない
ラインやスマホで連絡するすべもなく、電話をしても病気以外の話題もなくて一度で終わってしまった
生物に死があるのは、ある意味ありがたいのかもしれない
死は再生のための入り口だと考えれば安心して死ねるというものだ
世の中から忘れ去られて孤独に生きているよりはいいかもしれない
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