神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

えっ! 琴奨菊勝っちゃった・・・!

2016年01月20日 22時14分55秒 | 大相撲

今日の「白鵬VS琴奨菊」の全勝対決を見て相撲もやっぱスピードだと思った

ただスピードだけだと、稀勢の里のように足がついていかずにバッタリ

琴奨菊はしっかり白鵬にくっついて、同じスピードで動けたのが勝因

まっすぐに攻めたのが良かった、不思議なのは白鵬が一度も投げを見せなかったこと

琴奨菊のがぶりが早すぎて、投げのタイミングが無かったのだろう

ふつう体を入れ替えると同時に、相手の前に出る力を利用して投げ飛ばすのがパターン

今日はそれすら出来なかった、琴奨菊の体調が良いのだろう

だが優勝と思うのはまだ早い、明日の日馬富士もまだ1敗

相手は白鵬に比べると小さい、何をやってくるかわからない

油断すると、思いがけない技を食らうかもしれない、何も出来ないうちに正面から一気に

がぶり寄り、組み付く暇を与えなければ日馬富士は吹っ飛ぶだろう

問題は日本人大関との対戦だ、自分の成績が悪いのに、こんな時に思いがけない

意地悪をするのが日本人力士の共食い現象

明日からの4日間で2勝2敗だと優勝はかなり厳しくなる、決定戦になれば、白鵬には

勝てない、15戦全勝しないと琴奨菊の優勝はないだろう

 


1月19日の夜、突然雪の世界

2016年01月19日 22時05分26秒 | 季節と自然/花

急に熱燗が恋しい景色になった

今日は予報では朝から激しい風雪と言うことだった

けれど、まったく気も無い曇り空で、時に日が差す時間もあった

まったくの空予報、「これじゃ降れないよ」なんて顔を合わす度に言ってたが

夕方の7時、外に出ると一面の雪の世界

「あれ!」思いがけぬ不意打ちで「やられた!」と思わず叫んだ

車もすっかり雪に覆われて、動くために窓ガラスの除雪から始めなければ

北越の雪は静かに音も無く、しんしんと降るというが、まさにその通りで

音も無く、いつからか降っていたのだった

午後9時、雪で真っ白になった空き地で、空を見たら天空の半分が晴れ渡って

月が光々と輝いていた

不思議な光景だった、このように雪国の天候は二転三転して惑わす

昔 満月の雪原でぴょこぴょこ飛び跳ねて、ひょこっと立ち上がって振り向いた

ウサギを思い出した

あの風景は、私の心の風景のベスト10として残っている

 


雪が無い1月18日の北陸

2016年01月18日 17時42分24秒 | 季節と自然/花

今日は東京をはじめ、太平洋側で雪が降った地域が、かなり広範囲で

あったらしい

ところが北陸.越後の日本海沿いでは未だに積雪が無い地域が多い

信越国境の2000m級の山は真っ白になっているが、平野部はまったく無雪

この様子がいつまで続くのか、明日からは北陸に大雪予報が出ている


照の富士休場 これで終わるのか

2016年01月16日 12時02分30秒 | 大相撲

照の富士が休場した、ケガをした先々場所から破竹の勢いが潜んでしまった

あの勢いが続けば、今年の前半には横綱になっていたかもしれない

力士の生命を奪うのは糖尿病とケガである

数々の有望力士がケガで脱落していった、最近では期待の日本人力士「遠藤」

照の富士より早く横綱になると思われたモンゴル力士、逸ノ城

遠藤のライバルだったエジプトの怪力「大砂嵐」、みんなケガで低迷している

今年は日本力士のチャンスの年、失われた10年を取り返せるか

モンゴル勢の勢いが減速の今がチャンスだ、天才横綱白鵬は別格だが、金星を

大盤振る舞いする二流横綱日馬富士、三流横綱鶴竜は怖くない

コンニャク力士の稀勢の里をはじめ日本人力士の3大関は問題にならず期待薄

だが関脇以下の日本人力士が強くなっている、関脇嘉風、小結 勢

大型新人 正代 御嶽海 輝   高安  琴勇輝のベテランも元気だ

今年は日本人力士の優勝が期待できる


軽井沢スキー夜行バス事故

2016年01月15日 23時27分52秒 | ニュースネタ

悲惨なバス事故がまた起きた

私が先日、ダルマを買いに行ったコースの近くで

真っ先に思ったのは、なぜ深夜にあの厳しいカーブが多い国道バイパスを・・・

高速道を通るとカーブはあるけれど、緩やかな坂のカーブで国道とは問題に

ならないほど安全度は高い

時間は充分あったし、身を削るようなコスト削減の必要性があったかもしれない

もしかしたら眠気を感じて、パーキング以外停車できない高速道より、いつでも

停車休憩できる一般道を選んだ可能性もある

ドライバーは私と同い年、自分のことを言えば深夜の運転は目にきつい

私もマイクロバスを運転するし、一日600km走ったこともある

目に入る光量は40歳と比べても半分以下らしい、疲労感も数倍だろう

まして歳をとると夜更かしが出来なくなってくる

様々な無理が重なった事故だと思う

不景気が産んだ事故とも言える、1万円10万円が苦にならなかったバブル時代なら

こんな事故はおきなかったろう

ゆうゆうと高速道を進んでいったと思う、昔は若い労働者も多かったし、今は団塊世代が

働かないと極端な労働者人口不足に陥る

そして物価上昇の割に給料の上昇は少ない、観光のドライバーの給料は安いと

観光ドライバーから聞いたことがある

1億5000万のマグロを一声で買う人がいる、月10万円以下のワーキングプアの

若者がたくさんいる、所得格差は確実に広がっている

豊かだが消費しない老人世代、支出が大きいが貧しい若年世代

65年生きてきて、今の時代が一番経済的な厳しさを感じている

地方の商売環境は厳しい

明日は軽井沢から観光ツアーバスが「あんこう鍋コース」を食べに訪れる

安全運転でおいでくださることを祈っています


国会中継が勉強になる

2016年01月13日 22時17分02秒 | 時代検証

今日も雪の予報が外れて、ほぼ一日、薄日ながら晴れた

午前中は、とても透明度が良く普段は雲で隠れている山脈が、青青としたクリーンな姿を見せた

相変わらず付近は白いだけで、積雪とは呼べない程度だ

10数年ぶりとかの少雪と言うことだ、気温も6度あった

まだまだ寒いという実感は湧かない

この頃は一人で仕事をしているのでラジオが唯一の友である、今は国会中継と相撲が退屈しのぎに

丁度よい

政治家の話し方や、政敵をはぐらかす言い回しはとても参考になる

私のように正面攻撃を正面から受け止める政治家は一人もいない

相撲で言えば、肩すかし、猫だまし、ちょいがけ、立ち上がりの変化、そして八百長、時にはマゲをつかむ反則も・・・

こんな見事な技が次々と繰り出されて面白い

**サギにだまされる人は、みな純粋な正直者ばかりだ、国会中継を聞いて、詐欺師を翻弄する会話法を身につける

事をお勧めしたい

心からそう思う、人間正直で純真なだけでは、世の中を渡るにはつらい時代になってしまった

 


武田勝頼が真田の岩櫃城に行っていたら

2016年01月12日 09時58分18秒 | 明治維新の整理

武田勝頼は真田昌幸の進言を受け入れ、上州岩櫃城(いわびつ)に落ち延びた

従った家臣は3000、勝頼が落ち延びて2日後には徳川、織田の連合軍は甲斐に入り

武田重臣の小山田信茂を攻めたが、戦わずに小山田は降伏した

関東に強大な領地を持つ北条氏政は、徳川に連動して甲斐を攻めたが徳川.織田に

後れをとり、仕方なく真田の沼田城に兵を進めた。

真田昌幸は加津野信昌に1000の兵をつけ、沼田の後詰めに送った、戦意の低い

北条勢は、犠牲を出すばかりで退却した。

一方、甲斐全土を支配した織田、徳川はすぐには真田を攻めようとはせず、民心を

得る政策、残党狩り、軍団の整備を優先して1ヶ月を過ごした。

徳川家康は甲斐に、支援の1部隊4000を織田軍に残して、領地の駿府に戻った

織田の嫡男、織田信忠は兵6万を率いて真田の本拠、岩櫃城を目指した

遊撃として上田城にも1万5000を送った

こうなると武田の頼るのは、同盟を結んでいる越後の上杉景勝であるが、上杉も越中と

信濃深志(松本)の両面から伺っている織田勢に備えて身動きがとれない

ただ上杉、武田(真田)共に、背後だけは安心できるのが唯一の救いである

真田昌幸は、越後の宰相、直江兼続に密使を送った

越後はまだ天下の険「親不知」が要害になっているため、越中の佐々勢が攻め込む様子が無い

もはや、甲越は同じ宿命を背負って一心同体になるしか生きる道は無い、頭は2つでも体は1つ

として動くしか無い、今は必死の信濃に越後勢を密かに遊軍として送ってほしい

兼続は快諾した、そして越後勢としては精一杯の5000の兵を兼続自ら率いて、川中島を経て

地蔵峠越えで上田の東に散開させた

早朝、上田城からおよそ500騎が打って出た、寝込みを襲われた織田勢だが15000の圧倒的

兵力である、先陣は切り崩されたものの二陣の1000の部隊が真田勢を押し返した、といより真田が

退却を始めた、織田勢が追うとその横から突然、別の真田の一隊およそ300騎が突いてきた

これは上田城の西の葛尾城から押し出した部隊である

これにより、不意を打たれた織田の先陣が乱れた、そこに上田城からも入れ替わった新手の400騎が

押し出す、織田方も第二陣の右備え1000騎の新手を繰り出すと正面から激しいぶつかり合いとなった

真田勢は小勢故、次第に退きだしついに逃げ出した、葛尾勢は千曲川の北岸の丘まで下がったが

そこで体制を立て直す、それを南岸で織田方先陣1000騎が深追いせずに睨んでいる

一方、上田勢は城に逃げ込む、それを追った織田方1500騎が遮二無二に大手口まで攻め寄せたが

城方の弓鉄砲に反撃されて200騎を失い、後退した

後退をしたところに、今度は800騎あまりの城方がどっと追い打ちをかけると、慌てた織田勢は転がるように

逃げだし、パニックになったそれでまたもや100騎ほど失った

織田方は第3陣の2000騎を新手に一気に真田勢を殲滅せんと繰り出した、たまらず真田勢は敗走

しかし半分は城に逃げ込んだが、逃げ遅れた半数は川沿いに東を目指して敗走を始めた

手柄のたて時と織田勢の2000騎は追いすがる、およそ300騎の真田勢は千曲川の浅瀬を渡ると

織田勢も佐瀬を追いかける、真田勢は河原の小山の陰に逃げた、織田勢がそこに入った途端、一斉に

鉄砲が鳴り響いて、先頭の数十騎がたちまち打ち落とされた、正面右手からも再び鉄砲の音、これで

織田勢は合計100騎が犠牲になったが終わらない、3方向からどっと攻め寄せる大軍、僅か300騎と

高をくくっていた織田勢は目の前の大軍に腰を抜かした、それは上杉軍の援軍直江隊5000騎のうちの

1500騎であった、勢いが違う、作戦で敗走してきた真田300騎も加わりどっと織田方に攻めかかると

織田勢は立て直す間もなく、討ち取られ川を渡って敗走煮かかったが、土地勘の無いことと慌てているために

深みにはまって溺死する者、足を取られているところを討ち取られる者、おびただしい犠牲を出した

ようやく半数が川を渡って上田原の本陣を目指して逃げたが、上杉勢は付け入りどっと攻め込むと、すわ何事と

不意の出来事に、本陣の1万の備えは動転した、そこに敗走する織田勢が乱入してくる、さらに同時に上杉勢が

付け入ったので大乱戦となった、1万対2000であるが、こうなると攻め込む方に勢いがあり互角の戦いとなった

そこに上田城からも1000騎が押し出して横を突いたから、織田勢は崩れた、織田の本陣の備えから救援を送る

そのため大将の周りは、後詰めの500騎と本陣の2500騎のみとなった、その右後方から大音響が響いた

それは直江兼続自ら率いた上杉援軍の3500騎であった、名将兼続の采配の基、一糸乱れぬ勇敢な越後勢は

どっと、本陣に殺到してあっけなく織田方の大将、滝川一益の首を挙げたのである。

この上田原の戦いで織田方15000は壊滅した、生き残った兵は上州を目指して落ち延びた

 

この大敗北は、岩櫃城を囲んでいる織田信忠の本隊に程なく届いた

しかも上杉勢2万騎と上田勢2000が、ここを目指して進軍中という尾ひれまでついていた

織田信忠はこの城を攻めあぐねた、あまりにも険しい山城に加え、地の利を生かした真田勢

それに昌幸の知謀がものを言う

すでにここに攻め込んで3ヶ月、織田勢はいたずらに、この地にとどまったが成果がない

この別働隊の敗報を聞き、将兵の中には厭戦気分が怒り出している

そこに沼田城から矢沢頼康が率いる1500の精兵が闇に紛れて背後から夜襲をかけた

後に川越夜戦、桶狭間の奇襲と並び3大奇襲戦と言われる「吾妻真田夜襲戦」である

この戦で織田方は重臣を含め戦死480、負傷者1150、真田方は戦死50という

被害数としては少ないものの、織田の総大将の陣が僅かな真田勢に攻め込まれたショックは

大きかった、さらに兵糧を甲府から運ぶ織田の輜重隊が真田軍に襲われて、一部を奪われ

運べないものは真田によって焼却された

これによって織田方は甲府へ退却を余儀なくされた

そして1ヶ月後、織田信長が家臣の明智光秀によって殺された報が入った

信長の長男、織田信忠は供回り50騎のみで急いで安土に向かったが、塩尻峠で

武田の残党に襲われて戦死してしまった、あまりにも軽率であった

 

これを知った真田昌幸は直ちに甲州に兵を進めた、武田勝頼も同行したが一本の矢が

勝頼の、のど元を貫いた、これによって武田家は少年である武田太郎信勝に受け継がれ

真田昌幸が後見人となった。

矢が誰から放たれたかは今も歴史研究家の推測の範囲でしかない。

真田勢が武田の御曹司を擁して甲斐府中に舞い戻った、そして霧散していた武田家臣を

再び吸収すると瞬く間に30000の兵力になった。

同時に駿府の徳川家康も信濃に兵を進めて南信濃から木曽まで領地に加えた

真田は沼田からも、今の月野夜付近まで領土を広げた

そして、上杉への返礼に5000の兵を送った、上杉景勝は越中攻めを行って、越中半国を

手に入れた。

その頃、上方では大返しで明智を殺した羽柴秀吉が織田に変わって力を蓄えていた

それを快く思わない越前の柴田勝家とのにらみ合いが起こった。

これを知った真田昌幸は、今や親友となった上杉家宰相の直江兼続に持ちかけて

上杉、武田連合軍で越中に攻め入る事を決めた

昌幸35歳、兼続22歳の新進気鋭のコンビが誕生した

上杉軍12000、武田軍1万、合計22000を派兵、瞬く間に越中の織田家臣、佐々成政を

敗走させた、そして越中加賀の土豪士5000を加えて、越前に攻め込んだ

真田信幸、信繁兄弟も初陣として参加、大活躍を見せた

ここの領主、柴田勝家は羽柴秀吉との大戦で大半の兵を引き連れて出陣していたので

背後はがら空き、甲越連合軍は易々と越前北ノ莊まで手に入れた

一方、羽柴秀吉も賤ヶ岳で柴田勝家を破り越前に乱入した、そして逃げ道のない柴田は

自害した。

九頭竜川を境に羽柴と甲越連合がにらみ合う、だが秀吉は敵対は損とばかりに懐柔

してくる、真田昌幸、直江兼続との駆け引きは誠に面白いものだっった

それは皆さんも歴史教科書で習った通りです

その後、どうなったかは私から聞かなくても皆さん学校で勉強したから知ってますね

 

 

 

 

 


真田丸スタート

2016年01月11日 22時35分27秒 | 映画/ドラマ/アニメ

第一話は、甲斐武田氏の滅亡から、初めて見た切り口、ここから始まるとは

思わなかった、やられた。

予想では、戦に敗れた真田氏が故郷を追われて上州に落ち延びる場面から

始まる気がしたが、時代は20~30年ずれていた。

第一回の教訓は商売にも繋がるものだ、①いかなる名門も崩れ出すとあっという間に滅ぶ

②滅ぶときは人の輪が崩れ出す、信義が失われる ③圧倒的な力の差がついたとき強大な

敵が一気になだれ込む ④逃げる弱者は、逃げ道の選択を誤ってはいけない

⑤強大な敵には正面から向かってはいけない、取りあえず逃げてから敵の弱点を探り

再起を図る為の力を蓄える ⑥個々の家臣の義を見誤ってはいけない

⑦平和と安定に安心して何もしない間に、敵は強大な力を蓄えている

勉強になりました


こりゃ「マッコリ」じゃん

2016年01月09日 23時58分33秒 | ライフスタイル

新潟県北部の新発田(しばた)にある「菊水酒造」

この酒蔵の「菊水」が大好きだ、金色の一合缶、甘くて飲みやすい

昔、みんなと電車で旅行をした時、先輩は酒が好きな人で

でも菊水は初めてだった、何も知らずにぐいぐいとあっという間に3缶

そして旅館に着いて、またビールを宴会前に飲んで

飯前に風呂に入るときは、もうすっかりへべれけで、風呂の入り口でパニックって

なかなか風呂場には入れないほど酔っていた

昔、温泉の湯船で浮いていて、危機一髪という経験の持ち主なのに懲りない

宴会ではもう人間ではなくなっていた、それほどに菊水は油断して飲んではいけない銘酒なのだ

今日は、菊水の「五郎八」一号缶を久し振りにやった

どんな酒だったか忘れていたが、少量で酔うには良い酒というのは覚えていた

ふたを開けて、この白濁「あれ?これは韓国のマッコリじゃないか」と思った

韓国のアルコールはビールを始め、旨いものがない、ところがマッコリだけは旨い!

缶を見たら「にごり酒」と書いてある、「どぶろく」=マッコリ

21度、酔うにはちょうど良い酒

うまい! 気分が良い 菊水最高!!!

40代はジャズとウィスキーロック、今はブログ書きながら日本酒

好みは年齢と共に変わる、それでいいんじゃない・・・