神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

寺との関係

2018年05月17日 09時11分28秒 | 宗教

お寺へ、父の「49日」の法要のお礼と報告に行ってきました

わが家は、父の代からこの町に移り住んだので先祖代々のお墓は、この町にはありません

父が受け継ぐべき墓と寺は、再三書いたように茨城県の古河市にあります、というのは間違い

「ありましたが、無くなりました」ということです

父が戦後を生き抜く為に、必至で働いていた20年間、先祖の墓もお参りも行けず

(古河まで350kmも離れている)、その間に無縁仏として、寺が墓じまいしてしまったのです

ここには、父の祖母、祖祖母、義理の祖父、伯父の4人が眠っています

その前の先祖代々の墓と墓地は栃木県の那須にありましたが、そこもどうなっているのか?

そこには父の母の弟と、祖祖母の夫、その妹、その父などが眠っているはずです

父の母と義父は爆死なので遺骨も墓も無く、浅草の日輪寺(ビューホテル隣)で昭和20年に葬儀

(父と伯父だけで)

同じく日輪寺で40年頃に法要(こちらは私も参加、親戚縁者20名ほど集合)を営んだ

こんなわけで我が家系は明治末までは那須の寺、戦前までは古河、昭和20年には浅草日輪寺

そして今の地では共同墓地と100年足らずの間に4カ所も菩提寺が代わっています。

義父の姉の嫁ぎ先は、信州善光寺の僧侶である(戦前の話し)

 

今の町では、墓は無くとも仏壇の中にご先祖様がおられますから、また父母の葬儀、先祖供養

のために寺の門徒となっています。

うちの寺は浄土真宗という親鸞上人が開祖の宗派で、北陸4県では戦国時代には最大の勢力を

誇った宗教で、特に福井や加賀能登では武家の国守を追い払って独立宗教国を営んでいたほどです

ともあれ、坊さんの妻帯、結婚が許された画期的な宗教、教えも対象が字も知らぬ無知な平民、農民、

下人などですから、「南無阿弥陀仏」の6文字をひたすら念じれば、いかなる極悪人、罪人でも極楽に

連れて行っていただける、という簡単でありがたい宗教。

武家や殿上人の永代の幸せを祈る禅宗とは戒律も大きく異なります

今でも、我が町では門徒3に対して禅宗1位の割合ですが、禅宗の坊さんはほとんど頭をそり上げている

門徒の坊さんは、もともと毛の無い人は別として、髪を伸ばしている人が多い

一番の違いは読経時間です、禅宗は足がしびれるほど長い、門徒は簡単という風に見られています

先日、門徒の通夜に出ましたが説教と喪主挨拶を入れても25分で終わりました、これは私の体験でも

最短時間でした。

 

わが家は那須では代々臨済宗でした、禅宗でも由緒正しき宗派です鎌倉建長寺を始め、北条時賴

北条時宗の親子が大いに尽力して、帰化僧祖元を招いて、鎌倉時代に隆盛を極めた宗派

京都五山にならって鎌倉五山を作り上げたのは、執権北条時賴です。

那須にも北条時宗が大旦那となって、後嵯峨天皇の庶子皇子であった仏国国師(高峰顕日)をもって

八溝山系の麓に雲巌寺を開山した

夢中問答集で名高い、無窓国師(疎石)は仏国国師の弟子です、朝廷人の仏国国師は和歌でも大いに

才能を開花した文化人・・・さすがは血筋

古河では、父の義祖父が地元の浄土真宗の寺に墓を建立したのでしたが・・・

この寺は今もあって、父は盆になるといくらかの供養のための送金を続けていた

今後は私が、それを受け継いでいこうと思っている

 

春の草木がさわやかな境内です

今の地元の寺の住職は、いかにも浄土真宗らしいさばけた坊さんで、私より10歳以上若いかな?

どこぞの遠い地の寺から、この寺の娘さんに婿入りした人である

遠い昔、この寺は曹洞宗の寺院だったそうだが、浄土真宗に改宗して、今の住職が23代目と言っていた

結構、お酒が好きな住職で私とも馬が合うが、下戸の親戚にはたいそう評判が悪い

飲み出したらとまらない、前回は反省して、とうとう飲まずに早々と切り上げたが、前日の父の49日では

また本領を発揮。 でも憎めないつきあいやすい住職、ようやく私の代になってこれからは仲良く、この寺と

つきあっていきたいと思っている。

 

山菜の季節になり、いろんな方からいただきもの

ギンブキ                                    わらび

      

立派なタケノコもいただいた

 

 


花のうつろい

2018年05月16日 19時10分34秒 | 季節と自然/花

庭では様々な花が咲き出しました、春もいよいよ深まって美しい季節です

花は素人で名前もろくに知りませんが、美しいと言うことはわかります

 

これから咲く蕾は

あやめ?

 

可愛いい可憐な小花 コスモスの仲間?

  

 

 

 

 

 

梅が実をつけ始めました

     


本年初ゴルフ

2018年05月15日 19時37分02秒 | スポーツ全般

ただいま表彰式は我が店に於いて、無事終了しました

地銀のコンペ、参加者34名、私の成績はあいも変わらぬ118点

ゴルフ歴28年、未だ100を切れず

ただ今日は勉強しました、一緒にまわった人がパーを11個とった

勿論ベスグロ、その人の打ち方を見ていたら、自分の欠点がわかった

修正したらアイアンの飛距離がぐっと伸びましたよ

これが今日の成果

そして何間違いか、ドラコンを一つとりました、天気は最高、良い一日でありました

明日は板前休みで調理場に立ちます、3時で仕事やめて整体に行ってきます

お休みなさい。


思い立ったら・・・すぐ

2018年05月15日 07時37分46秒 | ライフスタイル

この半年は、ずいぶんと重い気分っだった

もうおしまい

これからは、軽いフットワークで思いたったらすぐ動く

そうしよう

先週の木曜日に思い立って、すぐホテルを予約して、翌日茨城に行ったように

翌朝、状況が変わって、早朝とんぼ返りで帰宅したように

 

本当は昨日が初ゴルフだった、けれど板前の親の葬儀でキャンセル

今日は別のコンペに参加、今日が初ゴルフになる

昨夜は参加できなかったコンペの打ち上げだけに参加した

そこでキャディの女性と、あと2名で月曜日のプライベートゴルフの約束即決

この調子だな。・・・・・・仕事も!!!

これから行ってきます・・・8:57スタート 天気快晴 暑そう・・・

 


雲散霧消

2018年05月13日 07時26分29秒 | どうでもいいこと

握りしめた拳の中には 

500円玉?  金塊?  100キャラットのダイヤモンド?

いえいえ やっと掴んだ「確かな愛」

 

・・・自信に満ちた日々が過ぎ  「確かな愛」が「疑惑」に変わっていく

実は「ひとりよがり」?  ほんとうは何も無かった?

「確かにあったよね」記憶を探る  

体を見たって何も残っちゃいない

あったのか なかったのか 今になれば夢も現実も同じ事

確かめる勇気も無く  

固く握りしめた拳だけが「真実」だと じっと見つめる

 

最後の願いを込めて祈りながら ゆっくりと拳を開いた

けれど「確かな愛」など雲散霧消 手品のように消えている

確かに握りしめたはずなのに

 

形の無いものなど信じちゃダメさ

すぐに裏切って消えてしまうから

 


父と二度目のドライブ、父と二度目の古河

2018年05月12日 14時26分44秒 | 旅行 関東.東海

急に思い立って、父の故郷「古河」へ走ったのは、昨日の9時半

5月中に行きたかったけれど、ほとんど予定が埋まっていて、よくよく考えてみたら

週末がけの方が、空いていたのだった

父の仏壇の遺影を持って、これが父と最後のドライブ、そして最後の古河行き

どうしても、もう一度、父を故郷に連れて行きたかったのだ

そのほかにも、どうしてもしたかったことが、もう一つあった

それは、前回父と行ったときに探したけれど、たどり着けなかった、父が住んでいた場所探し

父は、とても残念がったけれど、車に乗って探すには狭い路地だった

 

古河のホテルに着いたのは3時半だった、まだ夕暮れまでには大部時間がある

ホテルは駅の近くだが、目的地の渡良瀬遊水池までの距離や所要時間がわからない

でも父が生前言っていた「古河は狭い町だ、隅から隅まで歩いてもたかが知れている」

それを思い出して、歩いて行くことにした、初めての道でも方向感覚は自信があるyottin

古河は人口14万、我が町の3倍、面積は我が町の5分の1だから、狭い地域にびっしりと家やビルが建っている

特徴的なのは、茨城県にあって都市型の町だ、田んぼや畑がほとんどというか全く見ることが出来ない

 

歩いて15分ほどでもう渡良瀬遊水池に着いた、やはり狭い町だった

途中、父の小学校時代の数少ない友達だった石屋さんを見つけた、友達は10年くらい前に亡くなっている

土手を上がると、父の自慢の広い関東平野(平野というが目の前にはゴルフ場が広がっている)

明治の頃は大雨など降ると、渡良瀬川が利根川に合流するあたりで出ることが出来ず、上流で氾濫した

そのために広大な遊水池を作ったと言うことである

ゴルフ場は河川敷に出来ている、いかに遊水池が広いかわかる

父の子供時代にはゴルフ場は、とうぜんあるわけも無く、そんな遊水池を見てみたかったとも思う

 

この高い土手を歩いた、ずっと歩いた、前回来たときにはほとんど人が居なかったのに、今日はウォーキングや

ランニング、散歩する人、空き地で立ち話、カメラを持った人と、なかなかの賑わいだ

ここを1kmも歩けば、もう栃木県に入る、北に向かえば直に群馬県、西に行けば埼玉県という県境の町だ

約1時間を、この土手で過ごした、父の写真を草むらに立てて「これが最後だよ」と語りかけた

 

土手の下には、父の子供時代の遊び場だった「雀神社」と、そのすぐ前に祖祖母が働いていた製糸工場

製糸工場は、今は崩れかけた煙突だけが記念物のように残っている

そしてこの近くの住宅街のどこかに、父が10歳まで過ごした家の跡地があるのだ、だが80年以上がたって

とうぜん、建物は無いだろし、周囲も変わっているだろうから、ほとんど不可能

ただ今回は、江戸時代の古河城周辺の地図をダウンロード、それと古河藩の家老だった(仮にAとしておく)

A家が手がかり。

父の家は、武家屋敷を義祖父が買った(多分借りた)家で、父が何十年も前に思い出して書いた間取り図と

周辺図がある、その家の隣がA家老の家だったのだ。

そのくらいの屋敷だから今も残っているのでは・・・・それを見つければ

 

行きも探しながら、石畳の狭い道路を探しながら歩いたが、見当たらなかった

帰りは雀神社まで歩き、参道の道を駅に向かって歩いたが、そんな広いところでは無く、思い出して

地図を検証、神社と寺の位置、江戸時代の町名を照らし合わせて、また石畳の路地に入った

昔は白壁町という地域である

すると古塀を巡らした大きな屋敷が、(これか?)期待したが、表札は違っていた、でも歴史ある古い家だった

ところが隣にはもっと大きな古い家が、塀と歴史あるがっしりした門構え、塀の中はうっそうとした森になっていて

その間に古そうな家の屋根が見える

期待して表札を見たら・・・感動!!!Aと書いてあるでは無いか、これに間違いない

家老宅に相応しい屋敷だ、隣は空き地、そして建売住宅が

この2つを会わせれば、父が書いた図面くらいの家と畑が出来そうだ、とうとう目的が達成された

嬉しかった、父への宿題問題が2つとも解けた、これで父へのプレゼントは全て終わった

 

夜はホテルの中の食事処に入った、誰も客がいない、私一人

メニューを見た、期待の地場食材は全く無い、ありふれたメニュー、冷や奴と、アジの開きを注文

酒はオリジナルの吟醸純米酒、これ以上は注文する気にならず・・・

奴は旨い豆腐だった、アジは解凍もの、酒はラベルを見たら「富山」の酒蔵だった

どこに行っても、その土地の酒を飲むのが楽しみだったのに、茨城に来て富山の地酒を飲むとは思わなかった

20分ほどで300mlを飲み干して、食事は外で食べることにした

 

駅に向かって歩いた、さすがに田舎都会の雰囲気はある、若い人がたくさん歩いている

駅周辺も賑やかだし、ちょうど東京や埼玉方面からの通勤帰りだろう、ホームからどっと人が出てきた

町も明るい、8時くらいだが営業している店も多く、寂しく暗い我が町とは大違いだ

 

結局、ホテルの近くで「そば」の看板を見つけて入った、そこは居酒屋だった

30席ほどの店は、ほぼ満員で熱気に溢れている、ようやく一席だけ空いていたカウンター席に座って

生ビールを頼み、天ぷら蕎麦を注文した

30分ほど滞在して、外に出た途端、血圧が下がって貧血状態になった、気持ちが悪くて額から脂汗が

どっと吹き出した、ホテルが近くてラッキーだったが、エレベーターの中でも直立できず

部屋のキーも上手く空けられないで、少しドアの前で倒れ込んだが、気力を振り絞って何とか空けた

靴を脱ぎ、ズボンを脱ぎ、ベッドに倒れ込んで20分くらいうなり続けた

そのうちに寝たらしい、目が覚めたのは3時半だった、寝た時間が9時過ぎくらいだから当然だ

まだ少しおかしかったが、落ち着いたようだ、だが眠れない

そんな状態でいたら4時半に携帯が鳴った、見たらサブの板前からで「今、父が死にました」

「落ち着いて、慌てないでしっかりやるんだよ」と言ったが、こりゃ・・・・・・

今日は館林、足利で花三昧の予定で夜までに帰るつもりだったが、一気に吹っ飛んだ

今日は昼にそこそこの仕事があるので、ナンバー2、ナンバー3が休みでは料理長がたいへん

それで朝飯も食べずに6時過ぎにホテルを出発した

途中で、おにぎりを買って食べた、そして長野でガソリンを入れて、新潟の妙高まで来たら

ラジオと携帯とに「地震警報」が鳴り響いた、「長野市、震度5 妙高市震度3」

30分前まで長野市にいた、発生時は妙高にいたがまったく揺れは感じなかった

「自動車の方は停車して安全を確認してください」と言っていたが、広い路肩があるにもかかわらず

停車したのは私と引っ越し屋のトラックだけ、あとはスイスイと走っている」

5分ほどで情報も入り出発した

11時に店に戻った、出発から4時間半、行きは6時間かかったからずいぶん早かった

それでも出発から帰宅まで25時間、そのうち10時間走って、6時間寝て、ほとんど滞在時間が無かった

こんな思いがけないことが起こるものだ、昨日のうちに目的を果たしておいて良かった。

広大な遊水池も今はゴルフ場が半分占めている

 

父が少年時代登って遊んだという雀神社の(ケヤキ?)大木

祖祖母の工場跡の煙突(今風の建物はゴルフ場のクラブハウスになっていた)

 

ここが父の家の跡らしい、左側の森はA邸

 

3県の境界にかかる「三国橋」

 

群馬県に入ると関東平野が開けてくる

 


北信濃 野尻湖 渓流(ガラケー写真旅3)

2018年05月11日 07時31分45秒 | ドライブ

木島平から飯山に出て、道の駅で「ナメコ、ワラビ、100%リンゴジュース、ここだけ卵、信州山菜炊き込みご飯」

などなどを買って、ここから高速道スルーして山越え、野尻湖周辺を半周して、国道18号に出た

 

木島平のポケットパーク周辺の景色

 

峠を越えて最初に迎えてくれるのが、私が大好きな信濃町の山「薬師岳(819m)」野尻湖のすぐ近くだから山頂から

は野尻湖一望なんじゃないだろうか。 実に良い形の山だ、このなだらかなラインが好き

上信道がこの山の真下をトンネルで通っている。

ここからすぐに野尻湖の湖畔に出る、とはいえカーブだらけの細い山道だ

諏訪湖と違って、周囲は湖畔まで山なので、入江もあり変化に富んだ景色が飽きさせない

野尻湖は長野県では諏訪湖に次ぐ2番目に大きな湖で、火山の噴出物でせき止められて出来たと言うから

会津磐梯山の周辺の湖と同じタイプ、 40m近い深さがあって、諏訪湖より遥かに深い

湖周辺ではマンモスの仲間「ナウマン象」の化石が、ナウマン博士によって発見されたという、博物館もある

これからは観光シーズン、遊覧船も動き出して賑わうだろう

 

 

 

 

野尻湖から流れ出る小さな渓流、急勾配なので滝のような流れが見られる

 

 

雨模様だったけど、大ぶりにならず景色を楽しめるドライブが出来た。

 

 

 

 

 

 

 


菜の花を見に木島平村へ

2018年05月09日 19時14分47秒 | ドライブ

あいにくの雨模様、午後からの晴天に期待して出発

木島平についてカメラを点検したら、またいつもの「おばかさん」、カードが入ってない

肝心の菜の花畑は、もう終わったのかまばらにしか咲いていない「残念、時期を逃したか」

さて、どうしたものか?と考えながら道に迷って、どんどん山の中に入っていってしまった

ところがラッキー、一昨年かに行った「北竜湖」の案内看板が出てきた、天気は曇りだが

湖を見るには支障はない、前回はまだ残雪があったが、今日はそんな心配は無い

静かな水辺でゆっくりしよう、なんて思っていたら、なんと観光バスにマイクロバス、高校生の団体

湖にはボートが浮かび、食堂も開店していた、すっかり観光地になっていた

そして最大のラッキーは「菜の花」が満開、こんなところで見られるとは!思いもしなかった

湖と菜の花、素敵なコラボ、残念ながらカメラはダメ! しかたなくガラケー写真だ

(これを書きながら思い出した、タブレットも持っていたんだった・・まだ使いこなしていないなあ・・・)

ガラケーでお見苦しいけれど、「北竜湖」どうぞ

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 


大相撲 まったく予測がつかない最近の場所

2018年05月08日 11時21分10秒 | 大相撲

今場所もまた、亡き父の元に番付表が送られてきた

間もなく5月場所が始まる、だが相次いで横綱が休場するこの1年間、大看板の4人横綱も

一度も土俵上で実現することなく終わってしまった

むしろ場外乱闘編の方が巷の興味をひく事態になって、面目ない不祥事に協会の声も小さい

更に女性蔑視ともとられてしまった、「女性は土俵から下りてください」騒動で、女性達の反発をも

招いてしまった、まったく踏んだり蹴ったりになった

長い歴史の相撲は神事とも深い関わりがあったのかもしれない、だから一概に土俵を女性に

解放せよとは単純に言うことは出来ないが、本当に上がっていけない理由の確かな原典が

あったのか、それを現協会の幹部が把握しているのか確かめて、胸を張って言ってもらえば

納得されるかも知れない、そうでなければ「別に意味ないことで意地を張ってただけじゃないか」

と言われても仕方ない。

先日の世界卓球でも「ルールは時代と共に変わるものだ」名言が発せられて、たった一日で

対戦カードが消滅して、新しいチームができあがったのだから、世界はまさにこんな状況である

「日本人は古い、頭が固い」という声が外国から聞こえてきそうだ。 どっちが良いとは一概に言えないが

 

稀勢の里が横綱になった時、先は短いものの数年は白鵬、稀勢の里の2大横綱時代が

続くと予想した。

ところが現実は日馬富士の激しい闘志の当たりで土俵下に無様に転げ落ち、挙げ句

それ以来、ろくに出場もママならぬ状態に追い込まれた

大関優勝1回、横綱在位での優勝1回の二場所連続優勝のあとは6場所通算13勝20敗57休

10年ぶりの日本人優勝を果たした途端、綱取り話が出て、そして結婚とめでたい連続が続いたあと

まさかの転落人生が始まった琴奨菊よりも、悲惨な結果になってしまった。

一方、引退最右翼と思っていた鶴竜がまさかの復活、白鵬に変わって一人横綱の重圧を跳ね返した

一体どうなってんだ? まるで筋書きがあるみたいなこの1年半の相撲界

予想外の出来事が次々と起こり、予想外の力士が横綱、大関の挑戦権を獲得している

そう言う意味では、私の1年前の予想は大外れだった。

日馬富士が暴行事件で引退、貴乃花の強固な反発劇の後、まさかの愛弟子による暴行事件は

灯台もと暗し、振り上げた手を下ろせなくなってしまい、もう片手も振り上げて降参のポーズになるとは

でも、ある意味、ねじれが絡まりすぎて、やめるにやめられなくなってしまった親方だったとしたら

この弟子の行為で救われたのかも知れない。

急変軟化した今年の二人は、貴乃花親方と金正恩だろう、思いがけない事が起こるものだ

さて5月場所、どうなる? 本命はいない大乱戦、白鵬は調子よさそうだから鶴竜共に出るだろう

だが稀勢の里は多分ダメだな、しかし鶴竜のパターンもあるから、うかつに引退を言えなくなった。

大関、関脇が面白い、どちらのも昇進を目指せる力士が出てきた、豪栄道はもう無理だと思うが・・・・

このまま9-6大関で現状維持の方が本人の為かも知れない、稀勢の里、琴奨菊と日本人3大関時代を

守ってきた力士で唯一無事に勤めている人なのだから。

かっての優勝5回を誇る名大関「魁皇」(浅香山親方)までは行かなくても、ベテラン大関として

土俵を面白くしてもらえば良い。

これからしばらくはニューヒーローに期待する場所になるんだろうな

復活、逸ノ城にも期待したい、そして貴景勝と貴ノ岩の今後も見守っていきたい。