急に思い立って、父の故郷「古河」へ走ったのは、昨日の9時半
5月中に行きたかったけれど、ほとんど予定が埋まっていて、よくよく考えてみたら
週末がけの方が、空いていたのだった
父の仏壇の遺影を持って、これが父と最後のドライブ、そして最後の古河行き
どうしても、もう一度、父を故郷に連れて行きたかったのだ
そのほかにも、どうしてもしたかったことが、もう一つあった
それは、前回父と行ったときに探したけれど、たどり着けなかった、父が住んでいた場所探し
父は、とても残念がったけれど、車に乗って探すには狭い路地だった
古河のホテルに着いたのは3時半だった、まだ夕暮れまでには大部時間がある
ホテルは駅の近くだが、目的地の渡良瀬遊水池までの距離や所要時間がわからない
でも父が生前言っていた「古河は狭い町だ、隅から隅まで歩いてもたかが知れている」
それを思い出して、歩いて行くことにした、初めての道でも方向感覚は自信があるyottin
古河は人口14万、我が町の3倍、面積は我が町の5分の1だから、狭い地域にびっしりと家やビルが建っている
特徴的なのは、茨城県にあって都市型の町だ、田んぼや畑がほとんどというか全く見ることが出来ない
歩いて15分ほどでもう渡良瀬遊水池に着いた、やはり狭い町だった
途中、父の小学校時代の数少ない友達だった石屋さんを見つけた、友達は10年くらい前に亡くなっている
土手を上がると、父の自慢の広い関東平野(平野というが目の前にはゴルフ場が広がっている)
明治の頃は大雨など降ると、渡良瀬川が利根川に合流するあたりで出ることが出来ず、上流で氾濫した
そのために広大な遊水池を作ったと言うことである
ゴルフ場は河川敷に出来ている、いかに遊水池が広いかわかる
父の子供時代にはゴルフ場は、とうぜんあるわけも無く、そんな遊水池を見てみたかったとも思う
この高い土手を歩いた、ずっと歩いた、前回来たときにはほとんど人が居なかったのに、今日はウォーキングや
ランニング、散歩する人、空き地で立ち話、カメラを持った人と、なかなかの賑わいだ
ここを1kmも歩けば、もう栃木県に入る、北に向かえば直に群馬県、西に行けば埼玉県という県境の町だ
約1時間を、この土手で過ごした、父の写真を草むらに立てて「これが最後だよ」と語りかけた
土手の下には、父の子供時代の遊び場だった「雀神社」と、そのすぐ前に祖祖母が働いていた製糸工場
製糸工場は、今は崩れかけた煙突だけが記念物のように残っている
そしてこの近くの住宅街のどこかに、父が10歳まで過ごした家の跡地があるのだ、だが80年以上がたって
とうぜん、建物は無いだろし、周囲も変わっているだろうから、ほとんど不可能
ただ今回は、江戸時代の古河城周辺の地図をダウンロード、それと古河藩の家老だった(仮にAとしておく)
A家が手がかり。
父の家は、武家屋敷を義祖父が買った(多分借りた)家で、父が何十年も前に思い出して書いた間取り図と
周辺図がある、その家の隣がA家老の家だったのだ。
そのくらいの屋敷だから今も残っているのでは・・・・それを見つければ
行きも探しながら、石畳の狭い道路を探しながら歩いたが、見当たらなかった
帰りは雀神社まで歩き、参道の道を駅に向かって歩いたが、そんな広いところでは無く、思い出して
地図を検証、神社と寺の位置、江戸時代の町名を照らし合わせて、また石畳の路地に入った
昔は白壁町という地域である
すると古塀を巡らした大きな屋敷が、(これか?)期待したが、表札は違っていた、でも歴史ある古い家だった
ところが隣にはもっと大きな古い家が、塀と歴史あるがっしりした門構え、塀の中はうっそうとした森になっていて
その間に古そうな家の屋根が見える
期待して表札を見たら・・・感動!!!Aと書いてあるでは無いか、これに間違いない
家老宅に相応しい屋敷だ、隣は空き地、そして建売住宅が
この2つを会わせれば、父が書いた図面くらいの家と畑が出来そうだ、とうとう目的が達成された
嬉しかった、父への宿題問題が2つとも解けた、これで父へのプレゼントは全て終わった
夜はホテルの中の食事処に入った、誰も客がいない、私一人
メニューを見た、期待の地場食材は全く無い、ありふれたメニュー、冷や奴と、アジの開きを注文
酒はオリジナルの吟醸純米酒、これ以上は注文する気にならず・・・
奴は旨い豆腐だった、アジは解凍もの、酒はラベルを見たら「富山」の酒蔵だった
どこに行っても、その土地の酒を飲むのが楽しみだったのに、茨城に来て富山の地酒を飲むとは思わなかった
20分ほどで300mlを飲み干して、食事は外で食べることにした
駅に向かって歩いた、さすがに田舎都会の雰囲気はある、若い人がたくさん歩いている
駅周辺も賑やかだし、ちょうど東京や埼玉方面からの通勤帰りだろう、ホームからどっと人が出てきた
町も明るい、8時くらいだが営業している店も多く、寂しく暗い我が町とは大違いだ
結局、ホテルの近くで「そば」の看板を見つけて入った、そこは居酒屋だった
30席ほどの店は、ほぼ満員で熱気に溢れている、ようやく一席だけ空いていたカウンター席に座って
生ビールを頼み、天ぷら蕎麦を注文した
30分ほど滞在して、外に出た途端、血圧が下がって貧血状態になった、気持ちが悪くて額から脂汗が
どっと吹き出した、ホテルが近くてラッキーだったが、エレベーターの中でも直立できず
部屋のキーも上手く空けられないで、少しドアの前で倒れ込んだが、気力を振り絞って何とか空けた
靴を脱ぎ、ズボンを脱ぎ、ベッドに倒れ込んで20分くらいうなり続けた
そのうちに寝たらしい、目が覚めたのは3時半だった、寝た時間が9時過ぎくらいだから当然だ
まだ少しおかしかったが、落ち着いたようだ、だが眠れない
そんな状態でいたら4時半に携帯が鳴った、見たらサブの板前からで「今、父が死にました」
「落ち着いて、慌てないでしっかりやるんだよ」と言ったが、こりゃ・・・・・・
今日は館林、足利で花三昧の予定で夜までに帰るつもりだったが、一気に吹っ飛んだ
今日は昼にそこそこの仕事があるので、ナンバー2、ナンバー3が休みでは料理長がたいへん
それで朝飯も食べずに6時過ぎにホテルを出発した
途中で、おにぎりを買って食べた、そして長野でガソリンを入れて、新潟の妙高まで来たら
ラジオと携帯とに「地震警報」が鳴り響いた、「長野市、震度5 妙高市震度3」
30分前まで長野市にいた、発生時は妙高にいたがまったく揺れは感じなかった
「自動車の方は停車して安全を確認してください」と言っていたが、広い路肩があるにもかかわらず
停車したのは私と引っ越し屋のトラックだけ、あとはスイスイと走っている」
5分ほどで情報も入り出発した
11時に店に戻った、出発から4時間半、行きは6時間かかったからずいぶん早かった
それでも出発から帰宅まで25時間、そのうち10時間走って、6時間寝て、ほとんど滞在時間が無かった
こんな思いがけないことが起こるものだ、昨日のうちに目的を果たしておいて良かった。
広大な遊水池も今はゴルフ場が半分占めている
父が少年時代登って遊んだという雀神社の(ケヤキ?)大木
祖祖母の工場跡の煙突(今風の建物はゴルフ場のクラブハウスになっていた)
ここが父の家の跡らしい、左側の森はA邸
3県の境界にかかる「三国橋」
群馬県に入ると関東平野が開けてくる