おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
今まで長らくウルフの『どうすれば幸福になれるか』をテキストにアドラー心理学の考え方を紹介してきました。
今回は、そのシリーズの最終回のつもりです(またいつか続編をやるかもしれませんが)。
出だしは、茨木のり子の『女がひとり頬杖をついて』の「答」からです。
ばばさま ばばさま 今までで ばばさまが
一番幸せだったのは いつだった?
14歳の孫娘から問われた祖母は、間髪を入れず
火鉢のまわりに子どもたちを坐らせて
かきもちを焼いてやったとき
と答えました。
ばばさまは、子どもたちにかきもちを焼いてあげたとき、つまり子どもたちに役に立っていたとき(貢献しているとき)に幸せだった、というのです。
かきもちを食べられるのをワクワクとした気持ちで座って待っている子どもたち、時間をかけて、ニコニコしながらもちを裏返している1人の女性、なんだか目に浮かぶようではありませんか。
ウルフは、「人間の幸福は、何かを持っている(Having)とか、何かである(Being)ということからではなく、何かを行う(Doing)ことから得られる。人類の社会組織に建設的な何かを貢献した人だけが、幸福なれる」と説いています。「答」が語っていることと一致します。
現代に目を転じてみると、物を持つこと(Having)、自分が何かになること(Being)にこだわる幸福感が蔓延しているように思えてなりません。
とりわけgive & take のうち give を忘れて take しか求めないような風潮は、モノ任せ、他者依存の、幸福論ではなく「幸運観」でしかないと、私は思います。
物を持つことにこだわると、得たものを失うと、とたんに不幸が訪れます。「持つことにこだわる不幸病」が内在しているのです。
しかし、何かを行うことや貢献することは、失うべきものがありません。
再びウルフの言葉に目を向けてみましょう。
幸福な人は、協調したり、社会のために、また人類の福利のために貢献したりすることによって、もともとの劣等感を補償できることを理解している。
そういう人が従っている方式は、「仲間と人々の幸福と安全のために役立たなければならない」という実に簡単なことばで表現できる。
この世で幸福を手に入れたいと願う人にとっては、これ以上すばらしい方式はないだろう。
ウルフの幸福論は、現代に通じる幸福論、もっと言えば、現代においてこそ深い意味を持つ幸福論だと思いませんか?
こんな思いを込めて、ウルフの『どうすれば幸福になれるか』を静かに閉じます。
あなたの真の幸福をお祈りいたしております。
