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アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

私は、自分のブログでアドラー心理学の理論、アドラー心理学に基づく生き方・考え方を紹介し、時事ネタを排除してきました。しかし、このことだけは「どう考えてもおかしい!」と思い、多くのメディアとは違った見解を、アドラー心理学の「権利と責任」の基本的な考え方をもとに発信しようと思いました。
異論・反論のある方は、どうかご遠慮なくコメントしてくださるよう期待しております。

論題は、千葉県立八千代西高校で入学金未納の生徒を入学式に出席させなかった事件(「入学式出席拒否事件」)です。

まずは、4月13日付の毎日新聞の報道を読んでみましょう。

千葉県八千代市の県立八千代西高校が、入学金未納の新入生2人を入学式に出席させなかったことが12日分かった大迫校長は「授業料滞納が目立ち、未納は負担の先送りと思った」と話すが、県の公立高校教職員組合は「非教育的対応」と批判している。
県教委と同高によると、新入生159人に、入学金、教材費など9万円を8日の入学式に持参するよう求めていた。男女各1人が「お金が用意できない」などと持参せず、式直前、校長がそれぞれの担任に別室での待機を指示した。2人は約40分の式の間、教室と会議室で待機した。
男子生徒は式前に学校の指示で母親に「入学金を払わないと式に出られない」と電話で事情を説明。母親は「後で払う」と答えたが、学校側は「滞納の可能性がある」として出席させなかった。
母親は午前11時ごろ、9万円を持参して学校を訪れたが、式は終わっていた。
その後、生徒は校長室で氏名を読み上げられ、「入学を許可する」と伝えられた。
女子生徒の母親は午後5時ごろ、2万円を学校に持参し、同様に入学を許可された。
大迫校長は「入学式当日に必要なお金は3月の説明会で伝えている。経済的問題があれば相談するよう話した。苦渋の決断だったが、当然の判断だと思っている」と説明。
県教委指導課の田山正人・主任指導主事は「保護者と生徒にはつらい思いをさせてしまった。事前に入学金についての十分な説明をしており、学校としてはやむを得ない判断だったと思う」と話している。
教育評論家の尾木直樹・法政大教授(臨床教育学)は「極めて機械的、官僚的対応。学校側は2人だけではなく、生徒、保護者に謝罪すべきだ」と話している。

さらにこのことに関する補足的な情報もコピーします(NHK千葉インターネット版などから)。

学校側によると、入学金などを式の当日に納めてもらうことは、合格証書を送付したときに説明書を同封し、3月17日に行われた入学者説明会でも連絡していたという。その説明会には2人の保護者も出席しており、「持参するお金は一部でもいい。分納もできるので、経済的な心配があれば事前に相談してほしい」と伝えていた。

千葉県の公立高校の教職員組合、「教育フォーラムちば」の池上澄一郎幹事長は、「入学式への出席を拒まれた生徒たちがこれからどんな思いで学校生活を送るのかと思うと残念でならない。なぜこんなことが起きてしまったのか信じられない思いだ。入学料などを払うのは親であり、経済的な理由で、子どもに罰を与えるのはおかしいと思う」と高校の対応を批判した。
そのうえで、「経済的に厳しい子どもたちが増えているのに、制度的な措置が追いついていない」と指摘し、千葉県に対し、生徒の家庭事情に応じた入学料などの減免を求めていくことを明らかにした。

讀賣新聞の14日付夕刊には、「男子生徒の保護者は入学説明会には出席したが、事前に分納などの相談はなかった。女子生徒の保護者は分納を申し入れ、入学式当日に2万円を支払うことで合意していたという。県教委によると、
全県立高校で、入学式当日に入学料などを学校に直接納入することで入学手続きが完了することになっている」とも書かれていました。

 

私は、「人権」とか「教育的配慮」なる言葉に胡散臭さを感じる人間で、その立場から以下ものを言うつもりです。

1.まず謝罪すべきは、学校側でなく2人の生徒の親です。「自分の不始末でここまで騒がせて申し訳ございません。学校側からは何度も警告を受けていました」と。明らかな、親の責任放棄、あるいは甘え(経済的な問題があったとしても)です。

2.マスコミも教職員組合も、権利と責任が等価で、「責任なき権利も、権利なき責任もない」ことをしっかり学ぶできです。併せて、「ノー・ペイ、ノー・リターン(支払いをしないのに対価は受けられない)」の原則も。

ことは、小中学校の話ではないのです。義務教育を終わり、子どもも事実関係を理解できる高校生なのです。お金を期限までに払わずして入学できないのは、自動車教習所も、予備校も、大学(国立大学でも)も、そして公立高校も同じことです。「教育的配慮」は、学校側は十分しているのです。「入学を認めない」と言いたいところを、ギリギリのところでそれなりの対応をしていたのです。
学校側が機械的、官僚的対応をしたとは、まったく思いません。

3.もしかしたら「親の不始末で子どもを可愛そうな思いをさせるのは、おかしい」とおっしゃる人がいるかもしれません。
「入学式への出席を拒まれた生徒たちがこれからどんな思いで学校生活を送るのかと思うと残念でならない」との教職員組合幹部の発言は、受け止め方によっては、生徒の「こころの傷」を煽る発言かもしれません。

いいですか。もう一度言います。子どもは高校生なのですよ。権利と責任のあり方を親とともに学ぶ絶好のチャンスだったのです。
また、「こころの傷」を言い始めたら、当初感じていなかった生徒が感じるようになってしまうのが通例です。
それにもかかわらず、学校側が謝罪したら、子どもは何を学ぶのでしょうか?


これからは、権利教育を言うならそれと同じくらい責任の教育を語る必要があるし、「教育的配慮」のもとに無責任教育に手を貸す、あるいは野放しにするのは、まったくおかしいと思います。

私は、「あえて『異論』を唱える」というタイトルにしましたが、「正論」だと思っています。
いかがですか? 私の論理はおかしいですか?



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