おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
これから何回になるかわかりませんが、ポツリポツリとアルフレッド・アドラー(1870-1937、写真)の著作を紹介していきます。
その第1回目は、概説です。

ホームページやブログを拝見していて「アドラー」や「アドラー心理学」、「勇気づけ」を語る人が増えているのは、それはそれで結構なのですが、私には、「論語読みの論語知らず」をもじって私が時々使っている「アドラー語りのアドラー読まず」の印象を免れないのです。
私は、もっともっとアドラー自身の本が読まれてもいいのではないか、との願いを込めてこのシリーズをスタートしています。
一部の方には耳が痛い話かもしれませんが、私の思いをご理解いただき、今回から始まる60男のたわごとに耳を傾けて、こんな私のメッセージをどうか寛容に受け止めていただきたいと存じます。
さて、アドラーの本の話です。
確かにアドラーの本は、読みにくいです。現在日本で翻訳・出版されている本が、講演録やケース・セミナーをもとにしたものであるため、重複も多く、また、アドラー自身が推敲に推敲を重ねて出版したものでないことがハンディになっているのは確かです。
フロイト(1856-1939)の本が名文の評価を得、一時期、高橋義孝というドイツ文学者によって訳されていたのとは、だいぶ違います。
フロイトは、多くの本を自分で推敲を重ねながら書いていたのです。
ちなみに、例外的な、1917年発刊の『精神分析入門』ですら、1915年10月から1917年3月にかけてのウィーン大学で2度の冬学期で行った講義がベースになっているもののかなり緻密で、論理的な一貫性があります。
アドラーの本は、自分自身で書いたものでないことのほかに、アドラーがドイツ語で語ったものが通訳を通して英語の本になって、あるいは、慣れない英語で話したものがそのまま本になったのが多いために、お世辞にも名文とはいえません。
そもそもフロイトのように、文章に関するこだわり(あるいは美学)がなかったのでしょう。
慣れない英語で話したものがそのまま本になったというのは、『アドラーのケース・セミナー』(“The Pattern of Life”として1930年にアメリカで出版、日本では拙訳により2004年7月に一光社から)を訳していてつくづく感じました。
それでも、文献的な価値は十分あります。アドラーの広い教養、哲学的な素養、臨床体験に基づく人間知が彼の本から伝わってきます。
フロイディアン(フロイト派)、ユンギャン(ユング派)と同じようにアドレリアン(アドラー派)を名乗りたいならば、アドラーの、せめて日本語でもいいから、出版されている本くらいはお読みになっていてもいいのではないですか、というのが私の本心です。
そういう立場から、このブログを読む方が、1人でも多くアドラーの本を読む気になるよう、あまり読まれることのないアドラーの本をじっくり紹介していくことにします。