おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
我が家の近所では、昨日(4月8日)が桜の満開時期だったでしょうか。
昨日は、11:20~13:20の2時間だけ会社にいて ロジカル勇気づけコミュニケーション研修(宮本秀明講師)の受付と開会挨拶をしました。
遠くは帯広、岐阜、富山、松本などから計13名(うち男性3名)がご参加です。
お昼にサンドイッチを食べながら讀賣新聞を読んでいたら、読者投稿の「気流」欄にこんなことが書かれていました。
次のとおりです。
最近、学校法人「森友学園」を巡る問題で、官僚の「忖度(そんたく)」という言葉が飛び交っている。
「他人の心中をおしはかること」を意味する忖度が、権力者の意向を忖度して、不適切な行いをすれば批判されてしかるべきである。
しかし、忖度そのものがいけないかのように言われることについては、どうかと思う。
身勝手な考えから、犯罪まで起きている世の中で、忖度しながら行動し、周囲との良い関係を保つことも、社会人ならば、当たり前のことだろう。
悪いイメージの言葉としてだけ使われてしまうとしたら、残念に思う。
もっともな意見です。
私は今までに「忖度(そんたく)」に関連して次の2つのブログを書いています。
・2017年3月29日付けブログ 忖度(そんたく)というつかみどころのない空気について:アドラー心理学の立場から
・2017年3月31日付けブログ 忖度(そんたく)と空気を裏付ける理論:コンテンツとコンテクスト
特に後者では、次のとおり結んでいます。
「忖度」「空気」を重んずる「察する文化」も100%悪いわけではないのですが、高いコンテクスト/低いコンテンツのコミュニケーション・スタイルに傾き過ぎると、説明責任に欠けたり、相手次第では、非建設的に使われているとしか言えなくなります。
忖度(そんたく)の建設的側面にも焦点を当てなければなりません。
中国人観光客が日本滞在時にフランス料理店を訪れたとき、こんな印象を抱いたことをどこかで読んだことがあります。
ウェイターがナイフ、フォーク、スプーンを自分の前に置いたとき、その位置にとても感激したのです。
自分から見て左側に置かれたのは、それ以前の自分の水の飲み方などの所作を観察していて、自分が左利きだということを把握してのことで、中国では絶対にありえないことだと書いているのです。
これは、忖度(そんたく)の建設的側面に該当します。
もう1つ、日本国民が忖度(そんたく)によって方向づけられていることがあります。
天皇陛下の退位問題です。
退位を示唆する天皇陛下のお気持ちを忖度(そんたく)したことを契機に、今の天皇に限って退位を認める皇室典範の特例法を制定する動きが進んでいます。
その過程で天皇陛下ご自身のお気持ち表明もありましたが、世論調査では、そのことを93%が「良かった」と答え、9割以上が賛成しています。
天皇陛下ご自身は、ご自分で辞意表明できないお辛さがおありで、あのご年齢で被災地に足を運ばれ、外遊され、外国からの賓客をおもてなしになるのは、苦役以外の何ものでないかもしれません。
会社経営者なら株主総会、取締役会を経て、自分なりに引退できるのとは大違いです。
勧善懲悪的な風潮よりも建設的/非建設的を判断基準とするアドラー心理学からすれば、上の2つのケースは忖度(そんたく)の建設的側面として望ましい方向と言えるでしょう。
<お目休めコーナー>4月の花(9)