○島崎藤村『夜明け前』全4冊(岩波文庫) 岩波書店 1969.1-4
たぶん高校の国語の教科書で、一部分だけ読んだことがある。いや、もしかすると藤村の原文ではなくて、戯曲にリライトされたものだったかもしれない。どちらにせよ、ええと、山深い木曽の馬籠宿(まごめのしゅく)を舞台に、幕末の国学者たちの群像を描くんだっけ、という、「遠からずと言えども当たらず」(!?)程度の文学史的知識しか、記憶に残っていなかった。
それを、読もうと思い立ったのは、最近の明治マイブームのせいであるが、直接には、昨年暮れ、橋川文三の『ナショナリズム』を読んで、本書の正しい梗概をあらためて知ったことが大きい。私はずっと勘違いをしていたのだ。私は、「夜明け前」というのが、明治維新に間に合わなかった国学者たちの話だと思っていた。だって、とにかく明治維新によって、彼らの理想である「王政復古」は成し遂げられたのだから、そこに国学者の不幸など、ありようはずがない、と思っていたのだ。
ところが、事実は大きく異なる。主人公の青山半蔵(藤村の父親がモデルとされる)は、ペリー来航の嘉永6年(1853)、23歳で妻のお民を迎える。半蔵は国学の理想に志しながら、国事に奔走する同輩たちを横目に、ほとんど馬籠を離れず、本陣の当主としての務めを愚直に果たそうとする。それでも彼の前を歴史は動いていく。皇女和宮の降嫁、参勤交代の解除、越前に落ちていった水戸浪士、「ええじゃないか」の狂乱、そして江戸城開城に向かう官軍を街道に見送る。
半蔵38歳のとき(慶応4・明治元年)、王政復古は成った。しかし、村民の暮らしは楽にならない。新政府の措置は、かえって貧しい木曽の人々を戸惑わせるだけだった。村の戸長として村民のために訴え出た半蔵は、戸長の職から退けられる。尾張出身の田中不二麿(文部大丞)の勧めで上京し、一時、教部省御雇となるが、そこでもさまざまな失望を味わう。
昨日の「新」は今日の「旧」となる、めまぐるしい時代の変化に押し流され、国学の理想は外来の学問(洋学)に圧倒されて、無用のものとなりつつあった。次第に精神を病んだ半蔵は、隠居の身となった56歳のとき(明治19年)、郷里の寺に放火しようとして、取り押さえられ、自宅の座敷牢の中で悶死する。
うーむ。まず思ったのは、今日まで、この小説を読むのを控えてきて、よかったということ。私は、このところ、日本の近代の出発点が、いかに矛盾に満ちたアクロバティックなものであったか(王政復古と、欧化=近代化の同時進行)を、いろいろ読んできたおかげで、主人公の苦悩がいくらか分かる気がした。でも、高校の教科書程度の知識しかなかったら、これって理解できるのかなあ。少なくとも、明治維新を、あたかも無謬の、輝かしい達成であるかのように思っていたら、理解不能だろう。
また、半蔵の運命は、過去のものではなくして、今日の隣人の運命のように感じられた。「どうしてもこれは一方に西洋を受け納れながら、一方には西洋と戦わねばならぬ」という言葉は、近代の開始以降、日本の知識人がずっと喉元に突きつけられた問題を表していると思う。あの十五年戦争開始直前も、敗戦後も、それから、まさに今も。衆を頼み、皮相なナショナリズム的言説を振り回している輩に聞きたい、青山半蔵の運命を引き受ける覚悟はありや、と。
そう考えると――いったい、この小説は「夜明け前」なのか? 「夜明け」が明治維新のことならば、「夜明けの後(のち)」の物語ではないか、と思ったのだが、否、相変わらず日本の置かれている位置は、「夜明け前」なのかも知れない。
たぶん高校の国語の教科書で、一部分だけ読んだことがある。いや、もしかすると藤村の原文ではなくて、戯曲にリライトされたものだったかもしれない。どちらにせよ、ええと、山深い木曽の馬籠宿(まごめのしゅく)を舞台に、幕末の国学者たちの群像を描くんだっけ、という、「遠からずと言えども当たらず」(!?)程度の文学史的知識しか、記憶に残っていなかった。
それを、読もうと思い立ったのは、最近の明治マイブームのせいであるが、直接には、昨年暮れ、橋川文三の『ナショナリズム』を読んで、本書の正しい梗概をあらためて知ったことが大きい。私はずっと勘違いをしていたのだ。私は、「夜明け前」というのが、明治維新に間に合わなかった国学者たちの話だと思っていた。だって、とにかく明治維新によって、彼らの理想である「王政復古」は成し遂げられたのだから、そこに国学者の不幸など、ありようはずがない、と思っていたのだ。
ところが、事実は大きく異なる。主人公の青山半蔵(藤村の父親がモデルとされる)は、ペリー来航の嘉永6年(1853)、23歳で妻のお民を迎える。半蔵は国学の理想に志しながら、国事に奔走する同輩たちを横目に、ほとんど馬籠を離れず、本陣の当主としての務めを愚直に果たそうとする。それでも彼の前を歴史は動いていく。皇女和宮の降嫁、参勤交代の解除、越前に落ちていった水戸浪士、「ええじゃないか」の狂乱、そして江戸城開城に向かう官軍を街道に見送る。
半蔵38歳のとき(慶応4・明治元年)、王政復古は成った。しかし、村民の暮らしは楽にならない。新政府の措置は、かえって貧しい木曽の人々を戸惑わせるだけだった。村の戸長として村民のために訴え出た半蔵は、戸長の職から退けられる。尾張出身の田中不二麿(文部大丞)の勧めで上京し、一時、教部省御雇となるが、そこでもさまざまな失望を味わう。
昨日の「新」は今日の「旧」となる、めまぐるしい時代の変化に押し流され、国学の理想は外来の学問(洋学)に圧倒されて、無用のものとなりつつあった。次第に精神を病んだ半蔵は、隠居の身となった56歳のとき(明治19年)、郷里の寺に放火しようとして、取り押さえられ、自宅の座敷牢の中で悶死する。
うーむ。まず思ったのは、今日まで、この小説を読むのを控えてきて、よかったということ。私は、このところ、日本の近代の出発点が、いかに矛盾に満ちたアクロバティックなものであったか(王政復古と、欧化=近代化の同時進行)を、いろいろ読んできたおかげで、主人公の苦悩がいくらか分かる気がした。でも、高校の教科書程度の知識しかなかったら、これって理解できるのかなあ。少なくとも、明治維新を、あたかも無謬の、輝かしい達成であるかのように思っていたら、理解不能だろう。
また、半蔵の運命は、過去のものではなくして、今日の隣人の運命のように感じられた。「どうしてもこれは一方に西洋を受け納れながら、一方には西洋と戦わねばならぬ」という言葉は、近代の開始以降、日本の知識人がずっと喉元に突きつけられた問題を表していると思う。あの十五年戦争開始直前も、敗戦後も、それから、まさに今も。衆を頼み、皮相なナショナリズム的言説を振り回している輩に聞きたい、青山半蔵の運命を引き受ける覚悟はありや、と。
そう考えると――いったい、この小説は「夜明け前」なのか? 「夜明け」が明治維新のことならば、「夜明けの後(のち)」の物語ではないか、と思ったのだが、否、相変わらず日本の置かれている位置は、「夜明け前」なのかも知れない。