○永青文庫 冬季展『鴎外・漱石と肥後熊本の先哲たち』
http://www.eiseibunko.com/
3/16で終了した展覧会。最終日に、ふと思い出して行ってきた。永青文庫は、肥後熊本藩主細川家伝来の歴史資料や美術品を保存・公開している。これまで日曜日は休みだったが、今月から開館することになった。ありがたい。館内も、以前より公開を意識した雰囲気になった気がする。
本展の見ものは、明治の二大文豪、漱石と鴎外の直筆原稿らしいと見定めて行った。そうしたら、熊本出身の井上毅関係の文書がたくさんあって、私の興味をひいた。私はこのひと、わりと好きなのだ。『井上家系譜』『憲法意見』は、どちらも柱に「井上家用紙」とある罫紙を用いている。『辞令写』は題名どおり、公職の辞令を歴年順に整理したもの。B5版くらいの小型本だから、たぶん”縮小模写”だと思う。行き届いた整理で、いかにも優秀な実務官僚だった井上毅らしい。
それから漢学者・狩野直喜の書簡があった。敗戦処理内閣といわれた東久邇宮内閣に、細川護貞が招かれたことに対して、父・護立に宛てて、辞退を勧める文面である。内容も興味深いが、用箋が、真紅や黄色の料紙に模様を摺りだしたものであることに驚いた。当時、上流階級(?)では一般的だったのか。それとも”支那風”なんだろうか。
さて、漱石の「野分」原稿は、読みやすい字で、きれいな原稿だなあと思った。鴎外の「オルフェウス」訳稿は、ざっと20枚ほどもある薄様紙(タイプライター用箋みたい)で、A4版より少し大きい紙(レターサイズか?)を用いて、原文(ドイツ語)を横書し、各行の上(右)に日本語訳を赤ペンで書き付けている。歌われることを意識してか、丹念にルビを振っている。「エウリヂケ。亡(な)き魂(たま)。」のように。封筒が付属しており、表書は、大正3年(1914)8月26日消印、本居長世宛て。裏に「陸軍省 森林太郎」とある。
昭和19年3月に、細川護立は「2、3年前に神田の一誠堂で買った」と語っているそうだ。昭和16~17年といえば戦時下だなあ。本件は、グルックの歌劇「オルフェウスとエウリディーチェ」の日本語訳。鴎外は、国民歌劇協会の依頼を受け、1885年6月21日ライプチヒ市立劇場興行本(これは東大総合図書館に現存)をもとに第一訳を行ったが、ピアノスコアと合わなかったため、第2訳を作成した。展示の訳稿の表紙に「訂正『オルフェウス』全」とあるのはそのためである。しかし、第一次世界大戦勃発(1914年)などの理由で、結局、この訳稿が上演されることはなかった。のち、鴎外は、大正9年(1920)にも、上野の音楽学校教師グスタフ・クオロングの依頼で、三たびこの歌劇を訳している。
このとき「ドイツ語を日本語に直すのは面倒なことでしょう」と聞かれて「漢語を好く識っていればむずかしい事は無い。漢語に求めれば、ドイツ文学の語彙位は痒い所に手の届く位潤沢にある」と答えたそうだ。鴎外らしい! 以上、展示品に付属した木下杢太郎の解説と、東大の「鴎外文庫書入本画像データベース」より適宜構成。
http://www.eiseibunko.com/
3/16で終了した展覧会。最終日に、ふと思い出して行ってきた。永青文庫は、肥後熊本藩主細川家伝来の歴史資料や美術品を保存・公開している。これまで日曜日は休みだったが、今月から開館することになった。ありがたい。館内も、以前より公開を意識した雰囲気になった気がする。
本展の見ものは、明治の二大文豪、漱石と鴎外の直筆原稿らしいと見定めて行った。そうしたら、熊本出身の井上毅関係の文書がたくさんあって、私の興味をひいた。私はこのひと、わりと好きなのだ。『井上家系譜』『憲法意見』は、どちらも柱に「井上家用紙」とある罫紙を用いている。『辞令写』は題名どおり、公職の辞令を歴年順に整理したもの。B5版くらいの小型本だから、たぶん”縮小模写”だと思う。行き届いた整理で、いかにも優秀な実務官僚だった井上毅らしい。
それから漢学者・狩野直喜の書簡があった。敗戦処理内閣といわれた東久邇宮内閣に、細川護貞が招かれたことに対して、父・護立に宛てて、辞退を勧める文面である。内容も興味深いが、用箋が、真紅や黄色の料紙に模様を摺りだしたものであることに驚いた。当時、上流階級(?)では一般的だったのか。それとも”支那風”なんだろうか。
さて、漱石の「野分」原稿は、読みやすい字で、きれいな原稿だなあと思った。鴎外の「オルフェウス」訳稿は、ざっと20枚ほどもある薄様紙(タイプライター用箋みたい)で、A4版より少し大きい紙(レターサイズか?)を用いて、原文(ドイツ語)を横書し、各行の上(右)に日本語訳を赤ペンで書き付けている。歌われることを意識してか、丹念にルビを振っている。「エウリヂケ。亡(な)き魂(たま)。」のように。封筒が付属しており、表書は、大正3年(1914)8月26日消印、本居長世宛て。裏に「陸軍省 森林太郎」とある。
昭和19年3月に、細川護立は「2、3年前に神田の一誠堂で買った」と語っているそうだ。昭和16~17年といえば戦時下だなあ。本件は、グルックの歌劇「オルフェウスとエウリディーチェ」の日本語訳。鴎外は、国民歌劇協会の依頼を受け、1885年6月21日ライプチヒ市立劇場興行本(これは東大総合図書館に現存)をもとに第一訳を行ったが、ピアノスコアと合わなかったため、第2訳を作成した。展示の訳稿の表紙に「訂正『オルフェウス』全」とあるのはそのためである。しかし、第一次世界大戦勃発(1914年)などの理由で、結局、この訳稿が上演されることはなかった。のち、鴎外は、大正9年(1920)にも、上野の音楽学校教師グスタフ・クオロングの依頼で、三たびこの歌劇を訳している。
このとき「ドイツ語を日本語に直すのは面倒なことでしょう」と聞かれて「漢語を好く識っていればむずかしい事は無い。漢語に求めれば、ドイツ文学の語彙位は痒い所に手の届く位潤沢にある」と答えたそうだ。鴎外らしい! 以上、展示品に付属した木下杢太郎の解説と、東大の「鴎外文庫書入本画像データベース」より適宜構成。