○本田由紀『「家庭教育」の隘路:子育てに強迫される母親たち』 勁草書房 2008.2
『ニートって言うな!』をはじめとして、若者の就労問題の論客として知られる本田由紀さんであるが、私は、最初に『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版,2005)を読んで、社会の求める能力が、近代的な「学力」から、「創造性」「マネージメント力」「コミュニケーション力」などに複雑化したことが、女性たちに子どもを持つことをためらわせているのではないか、という論旨に、深く共感してしまった。
子どものいない私は、推論で共感しているに過ぎない。でも、もし子どもがいたら、この「パーフェクト・マザー」圧力に抗するのは、本当に難しいことだと思う。けれど、その本音をこれまで誰も言わなかった。著者は本書を書いた動機を「『家庭教育』って言うな!と言うためのちゃんとした根拠を手にしたかった」と説明している。
日本では、1990年代後半から「家庭教育」への政策的介入が強力に推進されてきた。その背景には、新自由主義政策(市場競争の徹底)が不可避的に共同体の弱体化を伴うため、社会統合と秩序を維持するために、旧来の「伝統」の再強化が奨励されるという事情がある。これは先進諸国で広く観察されるパターンである。その一方、政策とは無関係に、一般の社会的関心は子供の「選抜」と「成功」にあり、この点でも「家庭教育」が重視されるようになった。
「家庭が大切である」という正論に正面きって反論することは難しい。しかし、過剰な「家庭教育」重視は、「格差」の拡大、「葛藤」の拡大という問題を生んでいると推測される。本書は、小学校高学年の子供をもつ母親39人にインタビュー調査を行い、上述の推測を検証したものである。39人というのは、素人の印象としては、少ないような気もする。でも、詳しいインタビューを調査者が把握・吟味できる対象としては、このくらいが適正なのだろうか。
最後に著者は「子供に対する母親の影響は相当に大きい」と結論づける。言い換えれば「母親による子育てを通じて、子供世代の内部には様々な格差が生じる」のである。この事実認識は理解できるし、そこに社会的公正の問題が含まれていることも分かる。しかし、「親や家庭の桎梏からいかに個人を解放し、潜在する様々な可能性や機会を開くか」という著者の提言は、なかなか意見の一致を求めるのが難しいところではなかろうか。不惑を越すと、社会なんて不公正なものだ、と割り切って生きるのも一興、と思うのだが。
『ニートって言うな!』をはじめとして、若者の就労問題の論客として知られる本田由紀さんであるが、私は、最初に『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版,2005)を読んで、社会の求める能力が、近代的な「学力」から、「創造性」「マネージメント力」「コミュニケーション力」などに複雑化したことが、女性たちに子どもを持つことをためらわせているのではないか、という論旨に、深く共感してしまった。
子どものいない私は、推論で共感しているに過ぎない。でも、もし子どもがいたら、この「パーフェクト・マザー」圧力に抗するのは、本当に難しいことだと思う。けれど、その本音をこれまで誰も言わなかった。著者は本書を書いた動機を「『家庭教育』って言うな!と言うためのちゃんとした根拠を手にしたかった」と説明している。
日本では、1990年代後半から「家庭教育」への政策的介入が強力に推進されてきた。その背景には、新自由主義政策(市場競争の徹底)が不可避的に共同体の弱体化を伴うため、社会統合と秩序を維持するために、旧来の「伝統」の再強化が奨励されるという事情がある。これは先進諸国で広く観察されるパターンである。その一方、政策とは無関係に、一般の社会的関心は子供の「選抜」と「成功」にあり、この点でも「家庭教育」が重視されるようになった。
「家庭が大切である」という正論に正面きって反論することは難しい。しかし、過剰な「家庭教育」重視は、「格差」の拡大、「葛藤」の拡大という問題を生んでいると推測される。本書は、小学校高学年の子供をもつ母親39人にインタビュー調査を行い、上述の推測を検証したものである。39人というのは、素人の印象としては、少ないような気もする。でも、詳しいインタビューを調査者が把握・吟味できる対象としては、このくらいが適正なのだろうか。
最後に著者は「子供に対する母親の影響は相当に大きい」と結論づける。言い換えれば「母親による子育てを通じて、子供世代の内部には様々な格差が生じる」のである。この事実認識は理解できるし、そこに社会的公正の問題が含まれていることも分かる。しかし、「親や家庭の桎梏からいかに個人を解放し、潜在する様々な可能性や機会を開くか」という著者の提言は、なかなか意見の一致を求めるのが難しいところではなかろうか。不惑を越すと、社会なんて不公正なものだ、と割り切って生きるのも一興、と思うのだが。