見もの・読みもの日記

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君子の交わり/女子の人間関係(水島広子)

2014-10-03 22:02:51 | 読んだもの(書籍)
○水島広子『整理整頓 女子の人間関係』 サンクチュアリ出版 2014.4

 「女子校育ち」の私は、10代、20代の頃、男性が苦手だったはずなのに、気がついたら、どちらかというと「同性(女性)が苦手」にシフトしていた。どうしてこうなったのか、自分でもさっぱり訳が分からない。本書のオビの背表紙側には「女性の9割は”女”のことが苦手?」というキャッチコピーが踊っていて、え?ほんとかしら、と疑りながら読み始めた。結局「9割」という数字の根拠は、本文中にはなかったような気がする。

 しかし、全体としては共感できる部分が多かった。まず冒頭に、いわゆる「女」の嫌な部分を挙げてみる。裏表があって、男性の前では「かわいい女」を演じたがるとか、すぐに群れたがるとか、自分とは違う意見やライフスタイルを持つ相手を尊重できず、「自分が否定された」と感じ、そういう人を「敵」とみなしやすい。自分の「敵」はとことん感情的に攻撃する、等々。

 このような、いわゆる「女」の嫌な部分を、本書ではカッコつきの「女」で表現する。うまいな、この手法。「これは女性そのものを意味するのではなく、いろいろな女性に見られる、一連の困った特徴のことを呼ぶと理解してください」という。

 そして、さまざまな個別ケースにおいて、どうすれば「巻き込まれず」「自分を守り」「『女』を癒す」ことができるかを考える。最後の「『女』を癒す」というのは、困った相手の中の「女」であると同時に、自分の内面で疼く「女」の癒し方でもある。全体として、自分の「女」度を下げたほうが生きやすく、女性のエンパワーメントになる、という結論に至るのだが、「女」にカッコをつけておくことで、現実の女性を貶めたり、女性らしさを全否定して男性のように生きることを奨めているわけではない、という言い訳がつけやすくなる。よく考えたものだ。

 私は、なぜ「女」(女の嫌な部分)が生まれるかという説明を、とても興味深く読んだ。伝統的に、そしていまだに一般的に女性は「男性から選ばれる性」である。選ばれた人がいれば、一方に選ばれなかった人が必ず存在する。誰かがほめられるということは、自分はほめられない、という相対評価の世界に女性たちは生きている。それだから女性たちは、「自分がどうしたいか」ではなく「どうすれば相手に好かれるか」という基準を外れることができない。つねに相手の顔色を読んだ行動を求められていることが、「自分も察してもらって当たり前」「察してもらえないと腹を立てる」という態度につながる。これは、かなり納得のいく分析だと思った。

 そして、この「女」の行動・思考パターンというのは、ある種の男性、「選ばれる側」に属する、社会的に弱い立場の男性にも共通するものだと思う。たとえ選ばれなくても、あなたの価値は揺るがない、ということをしっかり伝え、相手を否定しないこと、安心と信頼を与えることが、コミュニケーションの要諦であることは、たぶん男女を問わないだろう。いや、日本社会以外では、少し違うかもしれないな。

 「自分がどうしたいか」ではなく「どうすれば相手に好かれるか」を基準にするというのは、いかにも日本人の好む「美徳」である。私はむしろ、自分に「自分の領域」があるように相手には「相手の領域」がある、という原則が好きだが、多くの日本人には、「冷たい」と見做されそう気がする。
コメント
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