○大津市歴史博物館 智証大師円珍生誕1200年記念企画展(第65回企画展)『三井寺 仏像の美』(2014年10月11日~11月24日)
引き続き、大型台風19号の接近が気になる三連休の中日(10/12)。京博から大津に移動。弘仁5年(814)年生まれの智証大師円珍の生誕1200年を記念して、三井寺とその周辺に伝来する優れた仏像や仏画を紹介する本展を参観する。なお、三井寺(園城寺)の慶讃大法会と秘仏公開は、1週間遅れのスタート(10/18~11/24)のため、今回は参拝できなかった。
京博『鳥獣戯画』展の喧噪と混雑から逃れてきたので、静かな館内にほっとする。冒頭には円珍さんの坐像(木造)。行者堂に伝来した江戸時代の作。特徴的な頭のかたちでそれと分かるが、あとで図録の写真を見ると、平安・鎌倉の像とは、目のかたちや口のかたちがだいぶ異なっている。
「三井寺前史」と題して、大津京の遺址から発掘された軒丸瓦や塑像断片を少し並べたあと、大小さまざまな仏像がずらりと並ぶ。新しいものが多いのかな、と思っていたら、古代の仏像(平安時代)が20件近く。「初出陳」がかなり多い。美的にすぐれたものばかりではないが、歴史資料としての価値は高い。目立つのは不動明王。行者堂の木造不動明王坐像(2体あり)の1体は、傷みが進んで、目も口元も定かでなくなり、1本の木材に還ろうとしているが、かえって霊力を感じさせる。
法明院伝来の不動明王坐像は、粘土をこねあげたような、かなり個性的な容貌。しかし、よく見ると体部はオーソドックな都ぶりで、古像の頭部を転用(接合)したのではないか、と推測されていた。12世紀の不動明王が多数残っているのは、当時、密教修法が流行し、三井寺僧が、平安貴族たちの求めに応じて盛んに修法を行っていたためだという。不動明王信仰って、戦国武将など、もう少し後の時代の流行かと思っていたが、院政期から武士の世の始まりが、むしろ最盛期なのかな。不動明王には「弘法大師様」と「智証大師様」があることを覚える。
金堂の大日如来像は、腕が細く、きゃしゃで、おだやかな印象。大師堂伝来の小さな釈迦如来坐像は、平安後期の金銅仏という珍しいもの。一度、たまたま「千団子祭」に行き合わせたことのある護法善神堂の護法善神立像(鬼子母神像?)も公開されていた。控えめな彩色が美しい。左手に棒つきキャンディみたいなザクロの実を持つ。
「中世~近世の仏像」も20件ほど。二十八部衆など「セットもの」が多いので、単体の数はもっと多い。鎌倉もの(慶派)の不動明王や毘沙門天立像は、やっぱり洗練されている。護法善神堂の木造愛子(あいし)像は、母親の愛情を体いっぱいに受けて、無邪気に飛び跳ねる子どもの像で、見ていて、心なごむ。訶梨帝母像に付属していたのではないかという。
いかにも宋風な宝冠釈迦如来坐像(乾漆)、江戸時代の七条仏師の技を感じさせる日光・月光菩薩、経堂の天井裏から発見された円空仏、「寺院名非公開」の明時代の菩薩坐像(脱活乾漆仏)など、多様で個性的な仏像を見ることができた。
次の部屋に移ると、今度は絵画史料が多数。「仏像の美」って彫刻だけではなかったのね。そして、仏像だけでなく「神像」の絵画が(この境界は曖昧だが)たくさん見られたことも面白かった。岩の上に座って玄武(絡み合う亀と蛇)を見つめる『鎮宅霊符神像』は、かつて『道教の美術』展で(これを?同様の図を?)見たことがある。中国絵画を参考に室町時代に描かれたもの。三井寺にゆかりの深い新羅明神像には、壮年バージョン、老齢バージョン、そして肥満体バージョンというのがある。それにしても、室町時代の「肥満体」新羅明神像、一種のパロディじゃないか?と思われるくらい、人相がよろしくない。
国宝「黄不動尊」はさすがに出ていないが、これを江戸時代に原寸大で模写した資料が展示されている。平置きの薄いケースで、かなり肉薄して鑑賞できるのがうれしい。ほかにも、江戸時代の一時期に寺宝の調査・記録プロジェクトがあったのだろうか、新羅明神像や尊星王像などを豊かな色彩で精緻に写した資料が大量に公開されている。本物が一番なのはもちろんだが、こういう二次資料も興味深いと思う。墨画の『修験八祖図』は下絵らしいが、生き生きした線が魅力的だった。
さて、スマホでチェックすると、台風19号は着々と西日本に向かってきているらしいが、まだ、それらしい影響は現れていない。小浜の秘仏めぐりバスツアーを主催しているミフクツーリストさんに電話を入れて様子を聞いてみると、「明日は朝8時頃に状況を判断する予定です」とのこと。意外と現地はのんびりしている。今夜の宿は小浜に予約してあるので、それじゃあ、小浜に向かおうと覚悟を決める。別所から皇子山に移動。JR湖西線で近江今津に出て、いつもの若江線バスに乗り継いでいこうと考えた。
そして、ホームで近江今津方面行きの列車を待っていると「明日のJR西日本の運行についてお知らせします」というアナウンスが入った。「明日は、台風の接近に伴い、午後2時頃から間引き運転を行い、午後4時頃から全ての在来線が運休となります」という、耳を疑う告知。え?しばらく意図がつかめず、呆然とする。こんなに早い運休決定って、ありなのか?!
しかし、本当に近畿地方の在来線が全面運休してしまうと、明日(10/13)のバスツアーが催行されて参加できたとしても、小浜で足止めされてしまう。明日中に神戸へ移動できないと、10/14朝の飛行機で札幌に帰れず、昼から出勤できないと、いろいろ差しさわりがある…。ということを5分ほどの間にぐるぐると考え、ホームに入ってきた近江今津方面行きの列車に乗ることを断念した(あと1時間くらい来ない)。
小浜の宿とバス会社に電話し、事情を話して予約をキャンセル。JR西日本の発表はまだニュースになっていないらしく、バス会社の方に「運休って何線ですか? え、全部って言ってるんですか?」と逆に聞かれた。今夜は京都市内のホテルに空きがあったので、予約を入れて、京都方面に向かう列車に乗った。
そして、ついに台風襲来の翌日に続く。
引き続き、大型台風19号の接近が気になる三連休の中日(10/12)。京博から大津に移動。弘仁5年(814)年生まれの智証大師円珍の生誕1200年を記念して、三井寺とその周辺に伝来する優れた仏像や仏画を紹介する本展を参観する。なお、三井寺(園城寺)の慶讃大法会と秘仏公開は、1週間遅れのスタート(10/18~11/24)のため、今回は参拝できなかった。
京博『鳥獣戯画』展の喧噪と混雑から逃れてきたので、静かな館内にほっとする。冒頭には円珍さんの坐像(木造)。行者堂に伝来した江戸時代の作。特徴的な頭のかたちでそれと分かるが、あとで図録の写真を見ると、平安・鎌倉の像とは、目のかたちや口のかたちがだいぶ異なっている。
「三井寺前史」と題して、大津京の遺址から発掘された軒丸瓦や塑像断片を少し並べたあと、大小さまざまな仏像がずらりと並ぶ。新しいものが多いのかな、と思っていたら、古代の仏像(平安時代)が20件近く。「初出陳」がかなり多い。美的にすぐれたものばかりではないが、歴史資料としての価値は高い。目立つのは不動明王。行者堂の木造不動明王坐像(2体あり)の1体は、傷みが進んで、目も口元も定かでなくなり、1本の木材に還ろうとしているが、かえって霊力を感じさせる。
法明院伝来の不動明王坐像は、粘土をこねあげたような、かなり個性的な容貌。しかし、よく見ると体部はオーソドックな都ぶりで、古像の頭部を転用(接合)したのではないか、と推測されていた。12世紀の不動明王が多数残っているのは、当時、密教修法が流行し、三井寺僧が、平安貴族たちの求めに応じて盛んに修法を行っていたためだという。不動明王信仰って、戦国武将など、もう少し後の時代の流行かと思っていたが、院政期から武士の世の始まりが、むしろ最盛期なのかな。不動明王には「弘法大師様」と「智証大師様」があることを覚える。
金堂の大日如来像は、腕が細く、きゃしゃで、おだやかな印象。大師堂伝来の小さな釈迦如来坐像は、平安後期の金銅仏という珍しいもの。一度、たまたま「千団子祭」に行き合わせたことのある護法善神堂の護法善神立像(鬼子母神像?)も公開されていた。控えめな彩色が美しい。左手に棒つきキャンディみたいなザクロの実を持つ。
「中世~近世の仏像」も20件ほど。二十八部衆など「セットもの」が多いので、単体の数はもっと多い。鎌倉もの(慶派)の不動明王や毘沙門天立像は、やっぱり洗練されている。護法善神堂の木造愛子(あいし)像は、母親の愛情を体いっぱいに受けて、無邪気に飛び跳ねる子どもの像で、見ていて、心なごむ。訶梨帝母像に付属していたのではないかという。
いかにも宋風な宝冠釈迦如来坐像(乾漆)、江戸時代の七条仏師の技を感じさせる日光・月光菩薩、経堂の天井裏から発見された円空仏、「寺院名非公開」の明時代の菩薩坐像(脱活乾漆仏)など、多様で個性的な仏像を見ることができた。
次の部屋に移ると、今度は絵画史料が多数。「仏像の美」って彫刻だけではなかったのね。そして、仏像だけでなく「神像」の絵画が(この境界は曖昧だが)たくさん見られたことも面白かった。岩の上に座って玄武(絡み合う亀と蛇)を見つめる『鎮宅霊符神像』は、かつて『道教の美術』展で(これを?同様の図を?)見たことがある。中国絵画を参考に室町時代に描かれたもの。三井寺にゆかりの深い新羅明神像には、壮年バージョン、老齢バージョン、そして肥満体バージョンというのがある。それにしても、室町時代の「肥満体」新羅明神像、一種のパロディじゃないか?と思われるくらい、人相がよろしくない。
国宝「黄不動尊」はさすがに出ていないが、これを江戸時代に原寸大で模写した資料が展示されている。平置きの薄いケースで、かなり肉薄して鑑賞できるのがうれしい。ほかにも、江戸時代の一時期に寺宝の調査・記録プロジェクトがあったのだろうか、新羅明神像や尊星王像などを豊かな色彩で精緻に写した資料が大量に公開されている。本物が一番なのはもちろんだが、こういう二次資料も興味深いと思う。墨画の『修験八祖図』は下絵らしいが、生き生きした線が魅力的だった。
さて、スマホでチェックすると、台風19号は着々と西日本に向かってきているらしいが、まだ、それらしい影響は現れていない。小浜の秘仏めぐりバスツアーを主催しているミフクツーリストさんに電話を入れて様子を聞いてみると、「明日は朝8時頃に状況を判断する予定です」とのこと。意外と現地はのんびりしている。今夜の宿は小浜に予約してあるので、それじゃあ、小浜に向かおうと覚悟を決める。別所から皇子山に移動。JR湖西線で近江今津に出て、いつもの若江線バスに乗り継いでいこうと考えた。
そして、ホームで近江今津方面行きの列車を待っていると「明日のJR西日本の運行についてお知らせします」というアナウンスが入った。「明日は、台風の接近に伴い、午後2時頃から間引き運転を行い、午後4時頃から全ての在来線が運休となります」という、耳を疑う告知。え?しばらく意図がつかめず、呆然とする。こんなに早い運休決定って、ありなのか?!
しかし、本当に近畿地方の在来線が全面運休してしまうと、明日(10/13)のバスツアーが催行されて参加できたとしても、小浜で足止めされてしまう。明日中に神戸へ移動できないと、10/14朝の飛行機で札幌に帰れず、昼から出勤できないと、いろいろ差しさわりがある…。ということを5分ほどの間にぐるぐると考え、ホームに入ってきた近江今津方面行きの列車に乗ることを断念した(あと1時間くらい来ない)。
小浜の宿とバス会社に電話し、事情を話して予約をキャンセル。JR西日本の発表はまだニュースになっていないらしく、バス会社の方に「運休って何線ですか? え、全部って言ってるんですか?」と逆に聞かれた。今夜は京都市内のホテルに空きがあったので、予約を入れて、京都方面に向かう列車に乗った。
そして、ついに台風襲来の翌日に続く。