見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2014年10月@京都:国宝 鳥獣戯画と高山寺(京都国立博物館)

2014-10-19 01:23:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 修理完成記念『国宝 鳥獣戯画と高山寺』(2014年10月7日~11月24日)

 大型台風19号がじわじわ迫る三連休の中日(10/12)京都にいた。前日、京都市内のホテルはどこも取れなくて、高槻泊になってしまったので、水無瀬神宮に参拝して、京都には10時前に着いた。それから京都国立博物館に出かけても、特に問題があるとは思っていなかった。ところが、バスを下りてみると、博物館の敷地を取り囲むように長い列ができている。これだけ長年、京博に通っていても初めての事態で、はじめ、何が起きているのか飲み込めなかった。最後尾には「入館まで120分」の札を持った背広のお兄さん。はあ?

 この日は京博のあと、大津市歴史博物館に寄って、さらに小浜まで移動しなければならない。いろいろ所要時間を計算して、とりあえず並ぶ。しかし「中央ホール(甲巻展示)は館内でさらに80分待ちです」とアナウンスしているので、中央ホールは諦めようと考える。並んでおいて言うのも何だが、『鳥獣戯画』にこれほどの人気があるとは全くの想定外だった。東京人には、2007年サントリー美術館の『鳥獣戯画がやってきた!』展の記憶がまだあるのだけれど、かえって関西では、甲乙丙丁4巻がまとめて展示される機会は久しぶりなのかもしれない。

 主催者の予測はかなり精度が高くて、結局110分くらい待って、12時少し前に館内に入った。そして、ここでまた少し「想定外」を体験する。この展覧会は「鳥獣戯画と高山寺」がテーマなので、前半は(鳥獣戯画の所蔵者である)高山寺と明恵上人に関する展示品がひたすら続くのだ。いや明恵さんが大好きな私はうれしいけど…。『鳥獣戯画』が見たくて来た人は、抹香臭い展示物ばかりでしびれを切らすんじゃないかな。あるいは『鳥獣戯画』を明恵上人の作だと誤解するんじゃなかろうかと、余計な心配をしてしまった。

 まず何と言っても『明恵上人像』(樹上座禅像)。リスと小鳥を見逃さないように。これは前期のみ。『夢記』『大唐天竺里程書』などの自筆文書。『仏眼仏母像』は、明恵さんがこの仏画の前で片耳を切り落としたとされるもの。「モロトモニアハレトヲモホセミ仏ヨ キミヨリホカニシルヒトモナシ」の片仮名書きの和歌が書き付けられているのが、凄絶でもあり、甘美でもある。「無耳法師之母御前也」とも。「耳なし芳一」の伝説とは無意識の深い層でつながっているのかしら。勘ぐりすぎか。

 明恵さんが片耳を切り落としたとき、虚空に金獅子に乗った文殊菩薩が現れたという説話に基づく『文殊菩薩像』は、目を剥き、牙を剥き出した獅子の形相が異様な迫力。全身を覆うほどの緑のたてがみに金(黄土)色の体躯も異例である。ちょっと可愛らしい『五秘密像』という仏画は、先だって、奈良博の『醍醐寺のすべて』で見たものと同じ図様だった。

 基本的に、明恵さんは「可愛い、美しいもの好き」だったんだろうなあ、と思われるのは、高山寺に伝わる工芸品の数々。『阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子』は、手のひらサイズの円形の厨子に金身の弥勒菩薩坐像が収まっている。大阪のおばちゃんが「見て見て、あめちゃんの缶みたいのに仏さんが入っとるわー」と感嘆していたので笑った。『転法輪筒』は、万華鏡ほどの筒で、周囲は白地にゆるキャラみたいな諸仏が淡彩で描かれている。子どものおもちゃみたいだと思ったが、実は、筒内に怨敵の形像を描いたものを封じて調伏する、おどろおどろしい秘法の道具だという。

 そして、白光神立像は天竺雪山(ヒンドゥークシュか?)の護法神。善妙神立像は、アップ写真で見ると意外と意志の強そうな表情をしている。これらに加えて、久しぶりに見る『華厳宗祖師絵伝』の「元暁絵」と「義湘絵」。ところが、これら高山寺の名宝の並ぶ第3、第4展示室には、中央ホールをはみ出した『鳥獣戯画』甲巻待ちの列が伸びていて、観覧に邪魔なこと、この上ない。第5展示室は「高山寺の典籍」で、国宝・重文目白押しなのに、ほとんど無視されているのは勿体なさすぎる。定番の「玉篇」や「論語」「荘子」はさておき、唐時代の「冥報記」って知らない書名だったな。「今昔物語」など我が国の説話文学にも影響を与えたと見られているそうだ。

 ようやく中央ホールに到達するも、幾重にも折り返す長蛇の列を避けて素通り。後半は『鳥獣戯画』乙巻の展示から。不思議なことに、ここはあまり人が溜まっていないので、ゆっくり見られる。何度か並び直すことも可。前期展示は、牛、馬、犬などを描いた前半で、龍、麒麟など、空想上の動物を描いた後半は後期(11/5~)展示。この巻は、リアルな動物の姿態を描いているのに、表情だけは人間くさい。手塚治虫のマンガに似ている。

 丙巻も前半(さまざまな遊びに興ずる人間たち)展示。後半(動物たち)は後期。丁巻も同じ。ほかに、東博所蔵の甲巻断簡が出ていた。後期は、根津美術館に出ていたMIHOミュージアム所蔵の断簡(壺装束のサルやキツネ?)に入れ替わる。それから『将軍塚絵巻』が出ていたのはうれしかった! もっと評価されていい作品である。詞書がないのもすがすがしくてよい。ちなみに山下裕二先生は、雑誌『美術手帖』2008年6月号「京都アート探訪」で、本作品を「絵巻BEST1」に推している。

 最後の部屋。ずっと「わんこ」いないなあ、と思っていたら最後にいた。よかった。展示図録の解説だと「寺伝では快慶作」になっているが、私が高山寺に行ったときは「伝運慶作」の説明がついていた。まあどっちでもいいのだ。時代を越えて、応挙の仔犬にもちょっと似ている。それから、馬、獅子・狛犬たち。雌雄の神鹿は、記憶より大きかったことと、表情のリアルなことに驚いた。雌鹿の口元からは、晩秋の奈良で聴く「ピー」というもの悲しい高音が聞こえてきそうだった(と書いて、秋に鳴くのは雄鹿だと気づいたけど、鹿の鳴き声というと、あれしか思い浮かばない)。

 なお、鳥獣戯画展については後日談あり。別稿にて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする