○坂野潤治、山口二郎『歴史を繰り返すな』 岩波書店 2014.8
近代日本政治史を専門とする東大名誉教授の坂野潤治先生(1937-)の著書は、この10年くらい、私の愛読書リストに入っている。政治学者で今年3月まで北海道大学にお勤めだった山口二郎先生(1958-)の著書は、最近、注意して読むようになった。何度か講演も聴かせていただいたし、ツイッターのフォローもしている。そのお二人の対談というのは、なんとなく嬉しい。
冒頭では、山口先生が北大を去られるにあたって、研究室の片付けをしていたら、2010年4月(鳩山政権の末期)坂野先生からもらった手紙が出て来た、というエピソードが語られているので、「対談」という形式を公にするのは初めてでも、専門分野の違いを越えて、お二人には長い交友関係のあることが分かる。
民主党政権の失敗について、坂野氏は「山口さんも僕も、野党時代の民主党と結構長いこと付き合ってきて、かなりな手応えを感じていたうえでの政権奪取だったから、その分だけ失望も早く、また大きかった」と振り返る。そして「同じ罪を背負ったもの」として、それぞれの対処のしかたを説いている。山口先生には、近年の西欧社民の努力の紹介から「中福祉、中負担」論に援護射撃を行うことを勧め、自分は日本政治史を踏まえて発言し続けることを課す。トロツキーの「別個に進んで一緒に撃て」というのはいい言葉だな。そして、政治学者が経済音痴になり、経済学者が政治音痴になったのが、今の日本の「学界」の弊だ、という指摘を、重い共感をもって受けとめる。
これから始まる「苦節十年」(憲政会の政権返り咲きを踏まえる)を待ち続ける忍耐力が自分にはある、と坂野氏はいうのだが、山口先生によれば、民主党の政治家はまだ打ちひしがれたままで、次に向かう態勢ができていないという。情けない。なぜ戦後の政党は、自民党を除き、かくも脆弱になってしまったか。
という話を枕に、まさしく今の政治状況を考えるために「戦後」を振り返り、その対比として「戦前」の政治をおさらいする。「戦後民主主義」は、安倍首相がいうように「脱却」すべきものではないけれど、100パーセント理想的なものでもなかった。坂野氏は、戦後民主主義は平和ばかり言ってきたから駄目なんだと思ってきた、という。「平和」を唱えるだけでなく、「平等」の問題にもっと取り組むべきだった。
格差是正を重視する社会民主主義がなぜ流行らなかったかは、本書の後半で詳細に検討されているが、自民党がつくった長期安定雇用の仕組みによって「ある種の平等」が達成されたことが、理由のひとつとされている。その反面では、自由に対する抑制が、企業社会における平等化と表裏一体であったことは否めない。このように「平和」「平等」「自由」などの諸価値は、必ずしも歩調をそろえて実現されるわけではなく、互いに相反する場合があることを、歴史は教えてくれる。
それから「政治エリート」の問題で、ドイツの指導者はたいへんな悪行をしたけれど、個人としては意図が完結していて堂々と責任をかぶった。それに比べて、日本の戦犯たちは「反体制エリート」だから責任意識がない、という坂野先生の指摘は興味深かった。国家を動かす立場にあるものは、国際常識に反することはしないとか、全体を見渡して多大なコストは払わないとかいうマネジメント能力があってしかるべきだが、そういうエリートが1930年代には失われてしまった。かろうじて残っていたのが宮中、天皇側近だった、というのは、今の状況に似すぎている。実際、今の安倍首相も「反体制エリート」だとお二人は見ている。「反体制」は庶民の支持を得やすいが、国の将来を大きく誤る危険性が高い。
とにかく全編おもしろかった本なので、うまくまとめられないが、最終的にお二人は「国内における社会改良」と「外に対する国際協調」という二本の柱を立てて安倍政権と対決していくことを宣言する。しかし、「国際協調」の最も肝要な部分は「日中友好」だという坂野先生の主張は、いまの日本社会に受け入れられにくいだろうなあ。残念ながら。
それから「反体制エリート」ではなく「対抗エリート」を育てる必要性。その意味は、明治新政府を作った人たちは、体制エリートでも反体制エリートでもなく、真の「対抗エリート」だったという一言が示している。逆にいうと、山口先生が自分の同世代(私もそうですが)について、会社に入って30年もすると、世の中に対する問題意識がなくなって、ひたすら成長戦略ばかり論じている、と語っているような状況は危うい。
最後に、坂野先生の短い「あとがき」は、アカデミズムにおけるお二人の「異端」な立場を語っていて感慨深かった。これからも、それぞれの著作に刺激を受けながら、ご活躍を見守りたい。
近代日本政治史を専門とする東大名誉教授の坂野潤治先生(1937-)の著書は、この10年くらい、私の愛読書リストに入っている。政治学者で今年3月まで北海道大学にお勤めだった山口二郎先生(1958-)の著書は、最近、注意して読むようになった。何度か講演も聴かせていただいたし、ツイッターのフォローもしている。そのお二人の対談というのは、なんとなく嬉しい。
冒頭では、山口先生が北大を去られるにあたって、研究室の片付けをしていたら、2010年4月(鳩山政権の末期)坂野先生からもらった手紙が出て来た、というエピソードが語られているので、「対談」という形式を公にするのは初めてでも、専門分野の違いを越えて、お二人には長い交友関係のあることが分かる。
民主党政権の失敗について、坂野氏は「山口さんも僕も、野党時代の民主党と結構長いこと付き合ってきて、かなりな手応えを感じていたうえでの政権奪取だったから、その分だけ失望も早く、また大きかった」と振り返る。そして「同じ罪を背負ったもの」として、それぞれの対処のしかたを説いている。山口先生には、近年の西欧社民の努力の紹介から「中福祉、中負担」論に援護射撃を行うことを勧め、自分は日本政治史を踏まえて発言し続けることを課す。トロツキーの「別個に進んで一緒に撃て」というのはいい言葉だな。そして、政治学者が経済音痴になり、経済学者が政治音痴になったのが、今の日本の「学界」の弊だ、という指摘を、重い共感をもって受けとめる。
これから始まる「苦節十年」(憲政会の政権返り咲きを踏まえる)を待ち続ける忍耐力が自分にはある、と坂野氏はいうのだが、山口先生によれば、民主党の政治家はまだ打ちひしがれたままで、次に向かう態勢ができていないという。情けない。なぜ戦後の政党は、自民党を除き、かくも脆弱になってしまったか。
という話を枕に、まさしく今の政治状況を考えるために「戦後」を振り返り、その対比として「戦前」の政治をおさらいする。「戦後民主主義」は、安倍首相がいうように「脱却」すべきものではないけれど、100パーセント理想的なものでもなかった。坂野氏は、戦後民主主義は平和ばかり言ってきたから駄目なんだと思ってきた、という。「平和」を唱えるだけでなく、「平等」の問題にもっと取り組むべきだった。
格差是正を重視する社会民主主義がなぜ流行らなかったかは、本書の後半で詳細に検討されているが、自民党がつくった長期安定雇用の仕組みによって「ある種の平等」が達成されたことが、理由のひとつとされている。その反面では、自由に対する抑制が、企業社会における平等化と表裏一体であったことは否めない。このように「平和」「平等」「自由」などの諸価値は、必ずしも歩調をそろえて実現されるわけではなく、互いに相反する場合があることを、歴史は教えてくれる。
それから「政治エリート」の問題で、ドイツの指導者はたいへんな悪行をしたけれど、個人としては意図が完結していて堂々と責任をかぶった。それに比べて、日本の戦犯たちは「反体制エリート」だから責任意識がない、という坂野先生の指摘は興味深かった。国家を動かす立場にあるものは、国際常識に反することはしないとか、全体を見渡して多大なコストは払わないとかいうマネジメント能力があってしかるべきだが、そういうエリートが1930年代には失われてしまった。かろうじて残っていたのが宮中、天皇側近だった、というのは、今の状況に似すぎている。実際、今の安倍首相も「反体制エリート」だとお二人は見ている。「反体制」は庶民の支持を得やすいが、国の将来を大きく誤る危険性が高い。
とにかく全編おもしろかった本なので、うまくまとめられないが、最終的にお二人は「国内における社会改良」と「外に対する国際協調」という二本の柱を立てて安倍政権と対決していくことを宣言する。しかし、「国際協調」の最も肝要な部分は「日中友好」だという坂野先生の主張は、いまの日本社会に受け入れられにくいだろうなあ。残念ながら。
それから「反体制エリート」ではなく「対抗エリート」を育てる必要性。その意味は、明治新政府を作った人たちは、体制エリートでも反体制エリートでもなく、真の「対抗エリート」だったという一言が示している。逆にいうと、山口先生が自分の同世代(私もそうですが)について、会社に入って30年もすると、世の中に対する問題意識がなくなって、ひたすら成長戦略ばかり論じている、と語っているような状況は危うい。
最後に、坂野先生の短い「あとがき」は、アカデミズムにおけるお二人の「異端」な立場を語っていて感慨深かった。これからも、それぞれの著作に刺激を受けながら、ご活躍を見守りたい。