見もの・読みもの日記

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ポストコロナへ向けて/大学は何処へ(吉見俊哉)

2021-05-20 12:30:06 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『大学は何処へ:未来への設計』(岩波新書) 岩波書店 2021.4

 大学に関する根本的な論考を発表し続けている著者の最新作。本書では、2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックが浮かび上がらせた大学の窮状と、ポストコロナ時代の大学に対する提言が大きな比重を占めている。

 はじめに「大学の窮状」とその要因。今日の大学の疲弊は、大綱化、大学院重点化、国立大学法人化という平成時代の大学改革の失敗から来ている。ただしそれは、外部の強圧的な力によるのではなく、「大学とは何か」を真剣に主導的に考える責任を放棄してしまった大学自体によって生じたと著者は考える。

 そして歴史を遡り、日本の大学が1990年代以降の諸改革により深刻化する問題を抱え込んでしまった構造的淵源は、1930-40年代にあることを指摘する。まず総力戦体制下で理工医の応用研究機関が大増強され、戦後の新制大学移行によって旧制高校が廃止された。このことは、現在の(国立大学の)理系と文系の関係、リベラルアーツの問題に深い爪痕を残している。ちょっと面白いのは、東京帝大で理系大拡張の目玉となった第二工学部(千葉にあった)が、本郷の「旧体制」にはない自由闊達な雰囲気を持っていたという証言。

 また、戦後、新制東京大学の最初の総長だった南原繁は、旧制一高と東京高校を取り込み、教養学部を創設するにあたり、学内の保守派(帝国大学の威信を守ろうとする人々)の抵抗を巧みに避けながら、リベラルアーツの学びの実現に努力した。本郷(=タテ割り専門教育)と駒場(=ヨコ串教養知)の反目と共存、最終的には前者による後者の侵食、従属化の物語は大変面白かった。そして、終戦直後の日本には単科大学や専門学校にもリベラルアーツ構想があり、その代表が和田小六による東京工業大学の教育改革であるというのも、初耳だが(現在の東工大を見ていて)納得できるように思った。しかし、著者の言によれば「旧制高校に内包されていたリベラルアーツが、高等教育にとっていかに根本的かも認識されてこな」いまま、戦後の大学教育が進められ、1990年以降、深刻な袋小路に陥っていく。

 次に、あらためて2020年以降のコロナ危機がもたらした問題。オープン・エデュケーション、MOOC(大規模オンデマンド配信型授業)などに加え、少人数型教育のオンライン化を徹底した米国ミネルバ大学の挑戦を紹介する。同大はキャンパスを持たないが、世界各地に学寮を持ち、学生たちは世界各地の7つの都市(アジアではソウルと台北が入っている!)を集団で渡り歩きながら学びを深めていくという。「大学にとって真のキャンパスは都市そのもの」という認識にはとても共感する。オンライン授業には外部の実空間が必要だが、それは、これまでのようなキャンパス内の教室でよいのか?というのは重要な問題提起。そして学生が「オンラインの学びを携えて町へ出る」としたら、学びを支援する図書館やアーカイブがどう変わるべきかも考えなければいけないと思う。

 9月入学問題については積年の検討の歴史を踏まえて、問題の打開策を提言する。また、日本の大学に根強い年齢的な同質性にも苦言を呈する。社会人学生の割合が一向に増えない根本的な理由は、日本の社会が大学を「通過儀礼」としてしか捉えておらず、大学の「学び」の内容に関心も期待も持っていないためだという。これを打破する手がかりとして、通信制大学(オンラインの活用を含む)と高専が挙げられているのも面白い。

 最後に、山積する問題から「大学」を救い出せる主体は誰なのか?という問題。著者はブルデューの分析を踏まえて、大学教授の4類型(既成秩序維持派、大学構造改革派、専門的学術派、越境的言論派)を挙げ、概して教授たちの何割程度がそれぞれに該当しているかを示す。そして大学の改革を進めるには、ごく少数の構造改革派の教授たちが起こしていく動きを、学長が資金やポストの配分で適切に(ビジョンと決断力をもって)後押ししていく必要があるという。大学という組織の内情を知っていると非常に味わい深い。

 さらに味わい深いのは、改革が一定の成果を成果を収めたとしても、大学という組織では、ほぼ全ての新しい活動は加算的に展開されていくため、特定の教員に負担が集中し、挑戦的な人々を疲弊させていくという指摘。著者の体験が物語らせているのではないかと思う。そこで、教員とは別の一群の人々、大学職員への期待が述べられている。職員の雇用形態、キャリアパスにもさまざまな問題があるのだが、「それぞれの専門的な組織分野において、教員の意思から独立して意思決定し、責任も負」うことができる職員の育成が急務であると思う。

 最後に個人的メモ。著者には、この3月、東大出版会の南原繁記念出版賞表彰式の場でちょっとだけお会いした。「最近あまりない、大学らしいイベントでしょう」とおっしゃっていたことを思い出す。

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