見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

桃山・江戸文化の輝き(大和文華館)+聖徳太子と法隆寺(奈良博)

2021-05-18 17:07:52 | 行ったもの(美術館・見仏)

大和文華館 『桃山・江戸文化の輝き』(2021年4月9日~ 5月16日)

 午前中に京都で展覧会を2つ見て、奈良へ移動。本展は、美術作品を愛好する層が広がり、多様な文化が育まれた桃山・江戸時代の絵画や書・工芸を展示し、活気に満ちた時代が生み出した文化の粋を展観する。同館の桃山~江戸前期の名品といえば、『婦人像』や『婦女遊楽図屏風(松浦屏風) 』などがすぐ浮かぶので、ぜひ見に行きたいと思っていた。来られてよかった。

 もちろんこれらの作品も出ていたが、まず目に留まったのは『阿国歌舞伎草紙』。それぞれB5判程度の小さな画面に「茶屋遊び」「念仏踊」の舞台と観客の情景が描かれている。濃密な色彩。「念仏踊」のほうは、赤い着物・垂髪の阿国に対して、舞台下で立ち上がる名古屋山三の亡霊。もみあげを長く伸ばした総髪の茶筅髷で、腰まで届く大きな数珠(?)を首飾りにしている。2013年にサントリー美術館の『歌舞伎』展で見ているのだが、ここ大和文華館で見た記憶があまりない作品である。また例によって、丸谷才一さんの芝居論を思い出してしまった。

 隣りにあった『忠信次信物語絵巻』も記憶にない作品だった。幸若舞『八島』に基づく内容で、絵入り絵本を巻子に仕立て直したものだろうとのこと。少ない色数、素朴で単純化された造形は、日本民藝館の『つきしま』などと同じ素朴絵の系譜である。しかし赤い血が飛び散る場面もあるとのこと。ええ、見てみたい。

 『千少庵書状』は、千利休の養子にして女婿の少庵(1546-1614)が西陣の織屋・井関妙持に宛てた短い書状で、この中に「俵屋宗達振舞可有之由候、御供可申候」(宗達が一席設けるから、一緒に行きましょう)という文言がある。実はこれ「俵屋宗達」と記されている唯一の史料であるらしい。珍品。その宗達の作品としては、蓬髪に横顔の『寒山図』。おばちゃんのパンチパーマみたいな髪の毛の部分は薄墨のたらし込みで描かれている。『僧形歌仙図』は、頬に朱を点じた美形の僧侶。宗達筆と伝わる白描淡彩の三十六歌仙絵(諸家が分有)のひとつだそうだ。

 このほか、絵画は又兵衛、探幽、光起、応挙、若冲、大雅などバランスよく目配りされており、石川大浪・孟高兄弟の洋風画も紹介されていた。工芸も蒔絵、やきもの、長崎ガラスに薩摩切子などバラエティ豊か。雪村が1点もないのは、秋の特別企画展を待てという意味だと思うので、仕方あるまい。

奈良国立博物館 聖徳太子1400年遠忌記念特別展『聖徳太子と法隆寺』(2021年4月27日~6月20日)

 「前売日時指定券をお持ちの方は優先入場」というシステムなので、念のため16:30の指定券を買っておいた。そうしたら、意外と早く着いてしまったので、仏像館をゆっくり見て、さらに少し待って入場した。このへんが事前予約システムの難しいところだと思う。

 本展は、令和3年(2021)が聖徳太子(574-622)の1400年遠忌にあたることを記念し、法隆寺の寺宝を中心に、太子の肖像や遺品と伝わる宝物、飛鳥時代以来の貴重な文化財を通じて太子その人と太子信仰の世界に迫る。新館入口を入ると、階段を上がって東新館ではなく、スロープを上がって西新館へ誘導された(この方式、2回目?)。最初の部屋から、迫力ある飛鳥時代の銅造仏が数件。山形の宝冠をかぶった菩薩立像(法隆寺所蔵)など、珍しいものがある一方で、あれ?これはどこかで?と思うものもある。実は東博の「法隆寺献納宝物」が多数来ているのだ。しかし、法隆寺宝物館よりも照明が明るくて、細部がよく見えるような気がした。

 おなじみ宮内庁所蔵『聖徳太子二王子像』も来ていた。これ奈良時代なのかあ(5/18からは模本展示)。『天寿国繡帳』は、東博および中宮寺所蔵の残片(きれいだった)がいくつか出ていたが、『天寿国繡帳』そのものは、東京展のみ展示という掲示が出ていた。夢違観音もいらしていた。法隆寺献納宝物の(もと法隆寺東院の絵殿を飾っていた)『聖徳太子絵伝』10面は、東博でもなかなか見ることができないもので、見られてよかった。

 聖徳太子像は、絵画・彫刻など各種あるなかで、法隆寺聖霊院の秘仏本尊という木造の坐像(平安時代)が興味深かった。豪華な冠を戴き、笏をとる姿。眉根をしかめた三白眼が怖い。一回り小さい侍者たち、山背大兄王、殖栗王、卒末呂王、高句麗僧の恵慈法師が付随しており、民芸品のように特徴的で親しみやすい表情をしている。美しいのは、髪をみづらに結った16歳の太子を描いた「孝養像」と呼ばれる肖像で、私が見たのは法隆寺所蔵(室町時代)だったろうか。山岸涼子先生の『日出処の天子』を思い出して、全く違和感がない。

 最後の東新館は、広いスペースを一体的に使い、焼失前の金堂壁画の雰囲気を原寸大の高精細写真(ガラス原板、白黒?)で復元している。また金堂東の間の本尊・薬師如来坐像と、四天王像から広目天と多聞天、六観音と呼ばれる6躯の菩薩立像などがいらしていた。この「六観音」は様式の混乱が見られる(というのは正確でないかも)、素朴で愛らしい不思議な一群である。私は2008年に法隆寺を参拝したとき、大宝蔵院でお会いしているようだ。

 最後に大好きな塔本塑像が、菩薩像・羅漢像など14躯も! 展示ケースのガラスに張り付いて、羅漢さんが悲しみのあまり開けている口の奥までのぞき込んでしまった。この塔本塑像は東京会場には出ないので、これだけでも奈良まで来た甲斐があった。『玉虫厨子』も奈良会場のみ。しかし『伝橘夫人念持仏厨子』は東京会場のみなので、やっぱり両方見ないわけにはいかない。

 これで1日限りの関西周遊を終えて、夕方の新幹線で東京に戻った。夕食は車内持ち込み。アルコール販売がないのでノンアルビールで静かに祝杯。

※そういえば2020年には東博で金堂壁画(複製等)が見られるはずだった:特別展『法隆寺金堂壁画と百済観音』(中止)

※ネット上ではこういう試みあり。解像度が高くて嬉しい。いい時代になった!:『法隆寺金堂壁画写真ガラス原板デジタルビューア

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