見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

錦絵にみる明治時代(神奈川歴博)+中華街

2021-05-10 21:55:34 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立歴史博物館 特別展『錦絵にみる明治時代-丹波コレクションが語る近代ニッポンー』(2021年4月29日~6月20日)

 同館としては、昨年(明治錦絵×大正新版画)に続く明治錦絵の特別展。今回は、丹波恒夫氏(1881-1971)旧蔵コレクションから、西南戦争、大日本帝国憲法発布など、社会科の授業で学んだような有名な出来事を時代順に取り上げ、明治ニッポンの歩みを錦絵(ビジュアル)でたどる。

 錦絵は美術品であると同時に歴史資料でもある。近年、月岡芳年とか小林清親とか、芸術性の高い作家・作品に注目が集まっているように思うが、本展では、作者の有名・無名に捉われず、画題の重要性・資料性に着目する。その結果、これまで見たことのない作品も多くて、面白かった。こうした「ジャーナリズム」としての錦絵、ときにはイベントの前に「予定稿」が用意されていることもあれば、黒船来航が明治20年代に描かれるなど、ずっと後に制作されたものもある。

 昨年も思ったが、明治の錦絵はむやみに色鮮やかで色数が多いうえに、衣装や什器に模様が多い(漫画ならスクリーントーン使いすぎと言われそう)。色で目立つのは赤で、空を赤く描くものが多いという(※参考:赤い衝撃「明治赤絵」展)。気がついていなかった。

横浜ユーラシア文化館 企画展『横浜中華街・160年の軌跡 この街が、ふるさとだから。』(2021年4月10日~7月4日)

 幕末の誕生から震災と戦災を乗り越え、戦後に飛躍を遂げた横浜中華街の軌跡と、暮らしを支える職業、そして2021年の現在、コロナ禍と闘う中華街の姿を紹介する。横浜中華街の源流は、幕末の外国人居留地にさかのぼるが、中国風の街として整備されたのは、関東大震災(1923年)後の復興計画によるということは初めて知った。当時は「南京町」と呼ばれていたが、横浜に多い広東系(だっけな?)の人々がその呼び名を嫌って「中華街」になったともいう。明治や大正の古写真と、現在の写真が比較されているのも面白かった。

 本展が企画された背景には、昨年2020年、中国・武漢で発生した新型コロナウイルス感染症の影響で、中華街の人々が「国へ帰れ」等のヘイトに悩まされた経験がある。会場には、貴重な歴史資料とともに、中華街に暮らす人々を取り上げたパネルがあって、大陸で生まれ、商売で来日して住み着いてしまった人もいるし、逆に横浜で生まれ、しゃべれなかった中国語を勉強して、日中交流の仕事をしている人、結婚した相手がこの街の住人だった人など、当たり前だが、さまざまである。この街をふるさとと決めた人たちが、ずっと住み続けられる場所であってほしいと思う。

 中華街は、この10~20年の間にも、大きく変貌している。以前は、中華料理店だけでなく、食材を商う店もたくさんあったが、今ではすっかり目立たなくなった。古地図を見ていたら「図書館」もあって、へええと思った。生活の街が、完全に観光の街に変わってしまったのだ。世界のどこでも起きていることで、嘆いていても仕方ないのだろうが、やっぱり、ちょっと寂しい。

 展示を見たあと、中華街に寄ってみたら、大賑わいだった。人出が戻ったことはしみじみ嬉しいが、この時期、マスクを外して食べ歩きを楽しむのはリスクが大きいと思ったので、早々に退散した。

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