■五島美術館 館蔵・春の優品展『古筆を知る』(2021年4月3日~5月9日)
緊急事態発令前に行った展覧会レポート続き。五島美術館はしばらく行っていなかったし、好きな古筆なので見に行った。本展は、五島美術館と大東急記念文庫の収蔵品から、平安・鎌倉時代に書写された古筆を中心に、歌仙絵や工芸作品など約50点を展観し、古筆見(こひつみ、=筆跡鑑定家)の活動にも注目して、鑑定結果を記した「極札」などの付属資料も一部紹介する。仮名文字資料だけでなく、高僧の墨蹟や古写経もあってバラエティを楽しめた。
歌仙絵は、上畳本の紀貫之像、業兼本の猿丸太夫像、後鳥羽院本の平兼盛像、時代不同歌合絵の伊勢・後京極良経像が出ていた。上畳本の紀貫之は、小さな目・がっちりした顎が理性的で、現代にも身近にいそうな風貌なのが好き。平兼盛は、めそめそした歌ばかり詠んでいたことを知っているので、そういう心境に見えてしまう。
古筆には、書かれている内容の説明(例:古今集とは)、伝来経路、伝承(伝称)筆者、推定作者、さらに釈文も添えられていて、親切だった。特に、伝承筆者とは別に、今日の研究で比定されている有力な筆者の説明があるのはとても良かった。私は『下絵古今集切』や『烏丸切』の定頼の筆跡が好み。源俊頼も好きだ。そういえば『高野切(第一種)』が出ていないなと思ったら、これは前期展示ですでに引っ込んでいた。鑑定資料も面白く、久能寺経『法華経功徳品巻十九』は、キャプションには採用されていなかったが、極札を見たら「後白川(河)院宸翰』と記されていた。ほんとか?
展示室2には『源氏物語絵巻』(鈴虫一・鈴虫二・夕霧・御法)が出ていると思ったら、「現状模写」だった。しかし、このくらい精巧だと、かえって模写のほうが安心して見られてよい。本物は4/29~5/9展示予定だったが、今年は機会を逸してしまったわけだ。残念。
■根津美術館 開館80周年記念特別展『国宝燕子花図屏風 色彩の誘惑』(2021年4月17日~5月16日)
毎年この時期に展示される、尾形光琳の『燕子花図屏風』。去年は見られなかったので、今年はぜひ見たいと思っていた。金曜日に緊急事態発令のニュースを見て、慌てて根津美術館の予約サイトを開き、もう16:00の回しか空いていなかったので、とりあえず予約した。
本展は、『燕子花図屏風』が用いた「青と緑と金(黄)」の組合せに着目し、この三色が活躍する絵画・陶芸作品等を展示する。交趾焼や古九谷など、やきものにこの三色が多いことはすぐに思いつくが、古い絵画でも、金身の菩薩たちが舞い踊る『阿弥陀二十五菩薩来迎図』や、参道に金泥を配して浄土を表現したという『春日宮曼荼羅』など、金(黄)が効果的に使用されている。『北野天神縁起絵巻』や『酒呑童子絵巻』なども、野外の風景は、唐代様式の青緑山水プラス金(黄)が基本である。
本展には「個人蔵」の珍しい作品も複数出品されていた。伝・趙伯驌筆『仙山楼閣図巻』(明代)は、群青と緑青で描かれた雄大な山と海の図巻。金も使われているのだろうが、あまり目立たない。人物と動物の姿が、点々と洞窟の中や海の上に描かれている。人物は仙人らしく、平然と波の上を歩いていたりする。仙獣らしき動物も。最後は雲の上にも小さな仙人の姿。『陳情令』の世界みたいでわくわくした。『松槙図屏風』『四季竹図屏風』(どちらも室町時代)は、無背景の金地に単一の植物を描くという点で『燕子花図屏風』に類似するもの。並べてみると、『燕子花図屏風』の伝統の継承と革新性が分かる気がする。
展示室5「上代の錦繍綾羅(きんしゅうりょうら)」は、これも珍しい上代裂(じょうだいきれ)の展示。代表的な上代裂は、7世紀の織物が主な「正倉院裂」(中国産と日本産)と8世紀の織物が主な「法隆寺裂」である。中国産は、いわゆる「蜀江錦」で、単純な図形を複雑に組み合わせ、優美で華やかな文様を作り出している。黄色、緑、紺などもあるが、全体としては赤系が目立っていた。唐を舞台とした中国ドラマの衣装を思い出すなあ。
錦には「経錦(たてにしき)」と「緯錦(ぬきにしき)」があり、長い絹糸が入手できた中国の織物は本来、前者。複雑な文様が織り出せる後者の技法は西アジアから入り、隋代に成功を収めた。日本では「奈良の三纈」と言って、夾纈(きょうけつ、板締め)・臈纈(ろうけつ、蝋で防染)・纐纈(こうけつ、括り染め)が行われた。『濃茶地鳥襷文臈纈絁』はツバメ(?)文様が素朴で可愛かった。なお、正倉院裂は、ほぼ門外不出だったが、明治9年、大久保利通が殖産興業のため、櫃一合分を諸府県の博物館等にバラまいてから、世上に出回るようになったとのこと。初めて知る話が多くて、ひたすらメモしてきた。
展示室6は、昭和12年5月、燕子花図屏風を飾った茶会の取り合わせを再現している。当時の写真があって、狭い待合に並んで楽しそうなおじさん六人が写っていた。こういう文化的サークルの伝統って、今でもどこかに細々とは残っているのだろうか。