見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

人生は続く/八九六四 完全版(安田峰俊)

2021-05-27 09:40:31 | 読んだもの(書籍)

〇安田峰俊『八九六四 完全版:「天安門事件」から香港デモへ』(角川新書) 角川書店 2021.5

 2018年5月に刊行された単行本『八九六四』は必ず読もうと思いながら、果たせていなかった。そのおかげで図らずも、2019年の香港デモを取材した新章を含む本書『完全版』を読むことができた。本書は、1989年6月4日未明に起きた天安門事件にかかわった、あるいは何らかの影響を受けた人々に2011年から2018年の間に取材したルポルタージュである。章見出しになっているのは22名。日本人(当時、在中留学生)1名を含む。番外編の章に登場する香港の活動家たちを除くと、多くは当時20代、したがって取材当時は40~50代である。国際的に著名な活動家もいるし、無名の庶民も、成功したビジネスマンもいる。ちなみに本書に登場する石平さんは、他で見るのと全く違って興味深い。

 本書の感想をひとことで言うのは難しい。天安門事件は、多くの人々にさまざまな影響をもたらした。そのどれか、たとえば中国共産党のタブーに挑戦し民主化を唱え続けるのが「正解(正義)」であるとか、社会の安定と経済成長のために過去を忘れるのが「正解」であるとか、軽々しくは言えない、と感じた。

 社会の安定と経済成長が保証される限り、政府批判を口にしないというのが、今の中国人の多数派だろう。本書には、この多数派に属さない、印象的な人々も登場する。姜野飛は成都の農村生まれ。ろくな初等教育も受けていない彼は、1989年当時、成都で学生デモに遭遇し、よく分からないのに全財産をはたいて学生たちを応援した。時は流れて2000年代(中国のネット言論が比較的自由だった時期)、インターネットで知った「真実」に触発され、党批判の書き込みを繰り返した結果、公安に連行され暴行を受ける。タイに亡命したものの、難民申請は門前払いされ、生活は困窮を極める。著者は同情と共感を込めて姜野飛を「持てる者たちが嘯(うそぶ)く道徳を本気で信じて行動した、持たざる者」と呼ぶ。そして、現代の中国で、一般人が「目覚めた者」になることは本当にいいことなのか?と悩ましげに問いかける。

 天安門の学生リーダーだった王丹とウアルカイシへのインタビューも興味深かった。王丹は、事件後、逮捕と仮釈放を経てアメリカへ亡命、取材当時は台湾の大学で教鞭をとっていた。どんな質問にも「模範回答」を繰り返す王丹に著者は少しいら立つが、天安門事件という「過去の牢獄」に留まり、同じ説明を繰り返し続けることが自分の「責任」だという王丹の覚悟に気づく。取材当時、やはり台湾にいたウアルカイシ(ウイグル人)は言う。自分は(天安門の元リーダーという)責任を負い続けなくてならないと考えているが、それは他の人間が当事者に要求するものではない。誰もが責任や罪悪感を担い続けられるほど強くはない。担えなくなった人を責めるべきではない。この言葉は胸に響いた。

 なお、台湾のヒマワリ学連(2014年)の成功は、王丹が過去におこなった天安門の総括(失敗要因の分析)と奇妙なほど符合しているという。ウアルカイシは学生たちが占拠中の立法院に入り、学生たちの肩を叩いて激励した。もう少し理論的な分析としては、八九六四の武力弾圧が大きな国際的非難を招いたことで、その後の各国の独裁政権は、大衆運動を銃で解決する選択肢を取りづらくなったのではないか、と著者は考える。天安門の失敗が、台湾の学生運動の成功に寄与したとすれば、皮肉のようでもあり、一筋の救いのような気もする。

 天安門事件のディティールや中国人の感覚についても、本書で初めて知ったことは多い。中国の伝統的価値観では、政治的な行動を起こすのは、知識人=大学生の義務と考えられていたこと。社会主義経済体制下では仕事が休みになっても収入は変わらず、各家庭が普段から食料を備蓄していた時代なので、学生デモに文句を言う人は多くなかったこと。また、地方都市の庶民は、北京で何が起きているか全く知らなかったこと。戒厳令が布告された5月20日前後から学生運動が内部崩壊を始めていたこと、などだ。

 著者は2015年に香港において、天安門事件に対して異なる態度をとる各派の活動家にも取材している。中国の民主化は香港にも重要という立場から天安門追悼集会を開催してきた従来の民主派。しかし若者世代では「天安門離れ」が進んでいる。まあ、彼らが生まれる前の事件だものなあ。そこへ発生した2019~2020年の香港動乱。逃亡犯条例改正の棚上げという成果を獲得しながら、撤退の時期を誤り、ニヒリズムと過激な暴力闘争を招来してしまった。デモの参加者たちは、30年前の天安門事件と同じく、各人なりの「その後の人生」を選択していくことになるのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする