見もの・読みもの日記

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金峯山寺の金剛力士立像そのほか(奈良博・名品展)

2021-05-19 16:59:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

奈良国立博物館・なら仏像館 名品展(2021年3月23日~)+特別公開『金峯山寺仁王門 金剛力士立像-奈良・金峯山寺所蔵-』(2021年2月23日~)

 吉野の金峯山寺の仁王像(金剛力士像)(南北朝時代)が来ているというので見に行った。館内に入るとすぐ、最も大きい中央の第6室に2躯の姿が見えた。しかし、現在の参観ルートでは、第1室から半周しないと中央ホールに行きつけない。面倒なので、他の部屋は後で見ることにして、まっすぐ中央ホールに向かった。

 入ると、片側(第7室側)の壁に背を向けて巨大な金剛力士像が立っている(あとで気づいたが、ちゃんと南面している)。

 後ろ側も覗き込める。背中の筋肉がたくましい。

 独鈷杵を振り上げる阿形像。吽形像は空手。

 ちなみに写真撮影はOKだが、一緒に記念撮影や自撮りは禁止されている。したくなるよなあ。

 興奮して、しばらく金剛力士像のまわりをうろうろ回ったあげく、気づいたら、向かいの壁際には、いつものメンバー、興福寺の広目天立像や元興寺の薬師如来立像が一列に並ばされていた。それぞれ、存在感のある仏像だと思っていたけれど、身高約5メートルという規格外の巨像の前では霞んでしまうのもやむをえない。

 奈良博のYoutubeチャンネルが搬入・展示の様子を公開しており、搬入には正面入口(人間が入館するところ)を使うしかないようだ。腕などのパーツを外し、仏像本体を寝かせて、幅も高さもギリギリである。動画の解説によれば、像の内部に銘文が見つかっており、阿吽像それぞれ延元3、4年(1338、39)南都仏師の康成の作と判明しているそうだ。後醍醐天皇が吉野に逃れて南朝を開いたのが延元元年(1336)で崩御が延元4年であることを思うと興味深い。また、作風は、南北朝時代よりひと昔前の雰囲気を伝えているという。金峯山寺仁王門の修理完成(2028年予定)まで展示されるそうなので、また何度か見る機会があるだろう。

 そのあと、あらためて他の展示室をゆっくり見た。ちょっと目新しい気がしたのは、奈良・松尾寺の十一面観音菩薩立像(平安時代、重要文化財)。黒い肌に金箔がまだらに残っている。彫りが浅く、温和な表情。左手に水瓶を持って胸の前に掲げる。奈良の松尾寺は行ったことがないので初見かもしれない。

 文化庁所蔵(額安寺伝来)の虚空蔵菩薩坐像(奈良時代)もどこか風変りで気になった。片足を踏み下げるポーズなのだが、膝の折り曲げ方が浅くて、まっすぐ脚を下しているようにも見える。調べたら、私は2016年に奈良博の『忍性』展で見ていた。こんな記事も見つけた。→観仏日々帖:トピックス~額安寺虚空蔵菩薩像、文化庁が購入・近年の文化庁購入仏像をみる(2016/1/8)

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