〇遠山記念館 特別展『遠山記念館の50年』(2021年4月3日~5月30日)
緊急事態宣言下で開いている美術館・博物館を探していると、あまり縁のなかった施設の情報が網にかかってきて面白い。遠山記念館は埼玉県比企郡川島町にあり、同町出身で日興證券の創立者・遠山元一の邸宅・庭園と、遠山が蒐集した美術工芸品等を公開している。私は2005年から2007年まで、川島町の隣の隣、鶴ヶ島市の住人だったのだが、同館の存在は記憶にない。まあ仕事が忙しかったし、車がないと自由に移動できない地域だったので…。
調べたら、川越と桶川を結ぶ路線バスで行けそうなので、行ってきた。川越駅から30分くらい、観光客で賑わう市街地を遠ざかり、牛ケ谷戸というロードサイドの停留所でバスを降りる。車やバイクの往来は多いが、歩いている人の姿が全くないのが、埼玉の奥地らしい。案内板に従って15分ほど歩くと、開けた風景の中に、こんもりした木々に囲まれた立派な門が見えてきた。蔵のような美術館に入って、入場券を買う。
現在の展示は、1970年に開館した遠山美術館の開館50周年を記念する特別展(コロナ禍で1年遅れで開催)。全25件(展示替えあり)の小規模な展示だが、半分以上が重要文化財・重要美術品の指定文化財だ。寸松庵色紙「むめのかをそてにうつしてとめたら(は) はるはすくともかたみならまし」(古今46・よみ人知らず)に見惚れる。寸松庵色紙には、あまり好きな作品がなかったのだが、この字姿はよい。書かれた和歌も好き。料紙はかすかな青色を留める。伊予切(和漢朗詠集断簡)は、五島美術館のものを何度か見ているが、これもよいな。「三月尽」の箇所で、私の偏愛する和歌「けふとのみはるをおもはぬときたにも たたまくをしきはなのかげかは」(古今134・躬恒)が含まれているのがポイント高い。
源頼朝の書状も印象的だった。数少ない自筆書状で、全体にのびのびして気持ちのよい書。右への払いを長く伸ばす癖がある。2年前に壇ノ浦で平家を滅ぼし(書中の文治三年は別筆補記)武家の棟梁として気力充実した時期ということもあるのかな。内容についてはこちら(斎宮歴史博物館)に詳しい。岡田半江の『春靄起鴉図』は朝靄に溶け出したような山の色がきれいだった。写真では絶対に伝わらない色彩。英一蝶の『布晒舞図』は、板橋区立美術館の展覧会、たぶん『一蝶リターンズ』(2009年9月5日~10月12日)で見た記憶があるのが、何故かその展覧会の記事を書きもらしている。忙しかったのかな。
前期展示の『佐竹本三十六歌仙絵 頼基像』と『高野切(第一種)』が見られなかったのは残念だが、また来よう。佐竹本三十六歌仙絵は、2019年の京博の展示でかなりの数をまとめて見ており、展示替えで見られなかった作品は、出光、大和文華館、サントリーなど、別の機会に見たものが多いのだが、遠山記念館の大中臣頼基は見ていないのだ。忘れないようにしなくては。
そのあと、邸宅と庭園も見学した。渡り廊下が奥へ奥へと続く広壮な邸宅は昭和11年(1936)の竣工。欄間や窓枠、障子の桟などにセンスのよい装飾が用いられている。18畳の囲炉裏の間に埋め込まれた斜めの畳は、彫刻家・長澤英俊氏のモダンアート作品「浮島」の名残り。
廊下の途中に土蔵の入口があって、びっくりして見ていたら、職員らしい男性が大きな軸物の箱を抱えてやって来た。土蔵を開けるところが見られるかな?と思ったら、黙って手前の木の引き戸を閉めてしまった。そのあと、内側で何やら機械(電子錠か?)を操作をしているらしい音が聞こえたが、開け方は見せてくれなかった。
確かに広い邸宅だけど、庶民の生活とかけ離れた贅沢さはなく、むしろ懐かしい感じ。
帰りは、川越に戻りたかったのだが、桶川行きと川越行きのバスが交互に1時間に1本しか来ないので、桶川に出て帰った。