○黒田日出男『洛中洛外図・舟木本を読む』(角川選書) KADOKAWA 2015.11
黒田日出男先生の「近世初期風俗画に歴史を読む」シリーズ第3弾! 『豊国祭礼図を読む』『江戸名所図屏風を読む』に続いて著者が挑むのは、『舟木本洛中洛外図屏風』(舟木屏風)である。現在は東京国立博物館が所蔵しており、2007年の常設展、2013年の特別展『京都-洛中洛外図と障壁画の美』などで見たことがある。岩佐又兵衛描く「豊頬長頤」ふうの人々が躍動する、にぎやかでエネルギッシュな屏風だ。
私はこの屏風の出自や研究の沿革を全く知らなかったので、非常に勉強になった。戦後まもなく滋賀県長浜の医師舟木邸で発見されたこと。舟木医師は少し前に彦根の古美術商からこれを購入したこと。発見者の美術史家・源豊宗は岩佐又兵衛の初期作であると直感したが、辻惟雄は「又兵衛ではなく、又兵衛前派とでもいうべき、又兵衛より一世代前の、すぐれた風俗画家」の作と推定し、1970年代から80年代にかけて、これが定説となった。しかし90年代以降にようやく変化のきざしが見られ、弟子の山下裕二氏の「口撃」がきっかけとなってか(この研究史のトレースはすごく面白い!)辻は2008年の著書『岩佐又兵衛』(文春新書)で、ついに半世紀にわたって維持してきた自らの仮説を改める。引用によれば「遂に納得できた。『舟木屏風』は又兵衛だ!」と書いているらしい。これ、ここだけ読んでもふーんと思うだけだが、半世紀の日本美術研究にかかわった人たちの喜怒哀楽を思うと感慨深い。
著者は、美術史家の解読を「それはそれ」とした上で、絵画史料論的読解に踏み出す。はじめに六条柳町に描かれた紺暖簾が遊女屋のしるしであることを示す。谷峯蔵『暖簾考』によれば、最も多く使われたのは紺色・藍色。小泉八雲が、暖簾には緑色と黄色がまったく使用されていないと気付いていたこと、赤地の派手な暖簾は玩具商や水茶屋、相撲茶屋に使われていたことも。風俗を正確に再現するって難しいんだなあ。非現実的な「吹き上げ暖簾」によって遊女屋の内部を描くのは、絵巻の「吹き抜け屋台」の技法と同じ、という指摘も面白かった。
次に舟木屏風は右隻に東山の名所、左隻に下京の町を、ムリヤリな構図で収めており、屏風の注文主は下京に住んでいたのではないかと推測する。さらに右隻のメインである方広寺大仏殿の豊国定舞台の表現を検討し、演じられているのは定説の「松風」ではなく「烏帽子折」であると結論する。描かれた装束や役柄を手がかりに『謡曲全集』を総めくりして演目を探し出す過程がスリリングである。さらに史料によって、豊国定舞台で「松風」が演じられた記録がないこと、『舜旧記』慶長19年8月19日条にある「長ハン」(長範)が「烏帽子折」の異称と判断できることを示す。
左隻については、内裏の清涼殿の左側に冠直衣姿の年若い公家と赤い装束を着た黒髪の上臈が向き合っているのに注目。また紫宸殿の右側最上段(改装の際に裁ち落とされているので見にくい)に五人の上臈が短冊を持っているのにも注目。これまで誰も注目していなかったこれらの表現が「猪熊事件」(官女密通事件)を描いたものと指摘する。「戦国から近世初頭の日本史を研究している者にとっては、ピンとくる表現なのだ」と著者は書いているが、日本史の素養のない私は、全く知らなかった。しかしググったら『へうげもの』18巻にも登場する事件らしい。いろいろ勉強になる。ほかにも、鷹を拳に据えたかぶき者の描写から公家の鷹狩りの禁止を読み解き、五条橋の上で踊る花見帰りの一行(桜の枝を持っている)を豊国社の枝垂れ桜に結びつける(後者は武蔵大学大学院の院生の発見)など、あざやかな謎解きが次々に示される。
最後に舟木本屏風の注文主について、印象的な「雪輪笹」の暖簾を手がかりに室町二条上ルの笹屋半四郎という人物にたどりつく。雪輪笹紋の暖簾のかかった町家の裏庭に、それらしき人物(坊主頭、着流し)が描かれている。そして、この町家の裏庭をはじめ、「若松」を描いた箇所が、舟木本屏風には九か所ある。これらは、注文主と特にかかわりのある場所を示す「しるし」ではないかと著者は指摘する。面白い。注文主の推定に総動員される、家紋研究、建築研究、京都の商人研究、茶道史などの先行研究の使い方は、長いキャリアを持つ研究者でなければできないと思って、賞賛のため息をつくばかりだが、こういう「若松」のような仕掛けの発見は、無心に屏風を眺め尽したら、素人もできそうな気がする。
文中には、東本願寺の描き方(木に笠を掛ける習俗?)など、まだ解き明かせない「謎」も率直に言及されており、今後の研究の進展が待ち遠しい。それから、途中でさりげなく著者が「金の烏帽子については、又兵衛の絵巻群の読解を試みる次著で検討を加える予定」と書いている箇所があって、思わず二度読みしてしまった。そんな嬉しい次著が待っているのか。踊り出したいくらい楽しみ!!
※e国宝:洛中洛外図屏風(舟木本)
※「洛中洛外図屏風」アプリ(iPhone用)について(東京国立博物館)
黒田日出男先生の「近世初期風俗画に歴史を読む」シリーズ第3弾! 『豊国祭礼図を読む』『江戸名所図屏風を読む』に続いて著者が挑むのは、『舟木本洛中洛外図屏風』(舟木屏風)である。現在は東京国立博物館が所蔵しており、2007年の常設展、2013年の特別展『京都-洛中洛外図と障壁画の美』などで見たことがある。岩佐又兵衛描く「豊頬長頤」ふうの人々が躍動する、にぎやかでエネルギッシュな屏風だ。
私はこの屏風の出自や研究の沿革を全く知らなかったので、非常に勉強になった。戦後まもなく滋賀県長浜の医師舟木邸で発見されたこと。舟木医師は少し前に彦根の古美術商からこれを購入したこと。発見者の美術史家・源豊宗は岩佐又兵衛の初期作であると直感したが、辻惟雄は「又兵衛ではなく、又兵衛前派とでもいうべき、又兵衛より一世代前の、すぐれた風俗画家」の作と推定し、1970年代から80年代にかけて、これが定説となった。しかし90年代以降にようやく変化のきざしが見られ、弟子の山下裕二氏の「口撃」がきっかけとなってか(この研究史のトレースはすごく面白い!)辻は2008年の著書『岩佐又兵衛』(文春新書)で、ついに半世紀にわたって維持してきた自らの仮説を改める。引用によれば「遂に納得できた。『舟木屏風』は又兵衛だ!」と書いているらしい。これ、ここだけ読んでもふーんと思うだけだが、半世紀の日本美術研究にかかわった人たちの喜怒哀楽を思うと感慨深い。
著者は、美術史家の解読を「それはそれ」とした上で、絵画史料論的読解に踏み出す。はじめに六条柳町に描かれた紺暖簾が遊女屋のしるしであることを示す。谷峯蔵『暖簾考』によれば、最も多く使われたのは紺色・藍色。小泉八雲が、暖簾には緑色と黄色がまったく使用されていないと気付いていたこと、赤地の派手な暖簾は玩具商や水茶屋、相撲茶屋に使われていたことも。風俗を正確に再現するって難しいんだなあ。非現実的な「吹き上げ暖簾」によって遊女屋の内部を描くのは、絵巻の「吹き抜け屋台」の技法と同じ、という指摘も面白かった。
次に舟木屏風は右隻に東山の名所、左隻に下京の町を、ムリヤリな構図で収めており、屏風の注文主は下京に住んでいたのではないかと推測する。さらに右隻のメインである方広寺大仏殿の豊国定舞台の表現を検討し、演じられているのは定説の「松風」ではなく「烏帽子折」であると結論する。描かれた装束や役柄を手がかりに『謡曲全集』を総めくりして演目を探し出す過程がスリリングである。さらに史料によって、豊国定舞台で「松風」が演じられた記録がないこと、『舜旧記』慶長19年8月19日条にある「長ハン」(長範)が「烏帽子折」の異称と判断できることを示す。
左隻については、内裏の清涼殿の左側に冠直衣姿の年若い公家と赤い装束を着た黒髪の上臈が向き合っているのに注目。また紫宸殿の右側最上段(改装の際に裁ち落とされているので見にくい)に五人の上臈が短冊を持っているのにも注目。これまで誰も注目していなかったこれらの表現が「猪熊事件」(官女密通事件)を描いたものと指摘する。「戦国から近世初頭の日本史を研究している者にとっては、ピンとくる表現なのだ」と著者は書いているが、日本史の素養のない私は、全く知らなかった。しかしググったら『へうげもの』18巻にも登場する事件らしい。いろいろ勉強になる。ほかにも、鷹を拳に据えたかぶき者の描写から公家の鷹狩りの禁止を読み解き、五条橋の上で踊る花見帰りの一行(桜の枝を持っている)を豊国社の枝垂れ桜に結びつける(後者は武蔵大学大学院の院生の発見)など、あざやかな謎解きが次々に示される。
最後に舟木本屏風の注文主について、印象的な「雪輪笹」の暖簾を手がかりに室町二条上ルの笹屋半四郎という人物にたどりつく。雪輪笹紋の暖簾のかかった町家の裏庭に、それらしき人物(坊主頭、着流し)が描かれている。そして、この町家の裏庭をはじめ、「若松」を描いた箇所が、舟木本屏風には九か所ある。これらは、注文主と特にかかわりのある場所を示す「しるし」ではないかと著者は指摘する。面白い。注文主の推定に総動員される、家紋研究、建築研究、京都の商人研究、茶道史などの先行研究の使い方は、長いキャリアを持つ研究者でなければできないと思って、賞賛のため息をつくばかりだが、こういう「若松」のような仕掛けの発見は、無心に屏風を眺め尽したら、素人もできそうな気がする。
文中には、東本願寺の描き方(木に笠を掛ける習俗?)など、まだ解き明かせない「謎」も率直に言及されており、今後の研究の進展が待ち遠しい。それから、途中でさりげなく著者が「金の烏帽子については、又兵衛の絵巻群の読解を試みる次著で検討を加える予定」と書いている箇所があって、思わず二度読みしてしまった。そんな嬉しい次著が待っているのか。踊り出したいくらい楽しみ!!
※e国宝:洛中洛外図屏風(舟木本)
※「洛中洛外図屏風」アプリ(iPhone用)について(東京国立博物館)