見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

お盆旅行2010:春日大社万灯籠、東大寺大仏殿万灯供養会

2010-08-15 23:50:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
 8月15日、昨年(2009年)に続き、「春日大社万灯籠」と「東大寺大仏殿万灯供養会」に参詣。春日山の「奈良大文字送り火」は、まあ省略してもいいかな、と思う。昨年は、暗くならないと雰囲気が出ないだろうと思い、日没を待っていたら、春日大社の参道が、本当に真っ暗だったので、今年は少し早めに出発。夕映えが残っているくらいのほうが、石灯籠のかたちが見えて、参道の景色を楽しめる。

■春日大社 中元万燈籠(19:00~21:30)※実際は18:30頃から点火

 19:00頃、春日大社に到着。門前に短い列ができているが、昨年ほどではない。早めに出てきてよかった。↓昨年は見つけられなかった直江兼続奉納の釣燈籠を発見。社殿中央(ここは撮影禁止)の右側に掛っているが、暗くて説明板が読めないので、誰も気に留めない。



 昨年、撮影に失敗した鹿の絵の釣燈籠は社殿中央の左側。ただし、草花文など見た目の美しい燈籠は、だいたい年代が新しい(江戸末期~近代)。古いものは奉納者の銘文と、網目と家紋が入るくらい。



 多くの客が大仏殿の交差点方面に下るのと別れて、森の中の小道を北進。水谷茶屋を経て、若草山の山裾の旅館街に出る。19:55くらい。ここから大文字って見えるのな?とも思ったが、誰も待機していないところを見ると、見えないのだろうと思い直す。むしろ大文字に人が集まっている間に大仏殿に参拝してしまおうと思い、大仏殿参道方面に向かう。

 と、森の中から、20:00を知らせる重々しい鐘の連打。ちょうど東大寺本坊の近くで、下から登ってくる人たちの数が急に増える。携帯やカメラを構える人たちが多いので、何があるのかな?と振り返ってびっくり。左手の背後、松林の間に、飛火野の大文字が浮かび上がっていたのである。大仏殿参道附近からは見えないので、もう5分早く山を下っていたら、見逃していただろう。なんという幸運。



■東大寺 万灯供養会(19:00~22:00)

 大仏殿の前には、既に大勢の人。しかし、昨年に比べると列は短いし、会場のキャパが大きいため、意外と早く列が進むと分かっているので、余裕で待つ。まもなく正面の門(中門)から廻廊の中へ。昨年は、観相窓が開いて「お顔が見える!」という感激に、すっかり気を取られてしまったが、全ての門扉が開け放たれ、堂内が昼間のように明るく荘厳されるので、むしろ外から「全身が見える」のである。大仏殿の建物は、ふわっとかぶせられた虫籠か何かのように見える。



 もちろんお顔も、こんな感じ。



 老若男女、富める者も貧しい者も、異国の人も、分け隔てなく集まった有様は、大仏の本願にもかなう気がして、尊く思われた。しかし、堂内の掲示によると、3時間に約3万人が参拝するという現状は「安全にお参りいただける限度を大きく超えている」ため、平成23年度から、一般拝観者の無料拝観は取りやめる予定であるという。納経所で聞いたら、通常拝観と同じ、500円を予定しているとのこと。どのくらい効果があるのかなあ。

 20:30頃に外に出ると、ちょうど大文字が終わって、大仏殿に押し寄せてくる人波で門前がすごいことになっていた。有料化は、残念だが、致し方ないだろう。ちなみに鏡池の南側からも、門扉を開け放った大仏殿を遠望することができる。来年は、このあたりが混雑するだろうな(8/17記)。
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お盆旅行2010:東寺、醍醐寺、高麗美術館

2010-08-15 23:13:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
 お盆旅行3日目、8月15日は、夜の観光が主目的なので、昼間は無理をしないでおこうと思う。ちょうどご朱印帖が1冊終わってしまったので、新しいものを購入するため、東寺へ。ここは、いつものとおりなので省略。続いて、先々週の京都旅行で行けなかった高麗美術館を訪ねる。

高麗美術館 特別企画展I『浅川伯教・巧が愛した朝鮮美術』(2010年6月12日~8月15日)

 朝鮮に暮らし、彼の地の美術品と人と風土を愛した浅川伯教(のりたか、1884-1964)と巧(たくみ、1891-1931)兄弟を紹介する展覧会。会場に入って、観客が多いことに驚いた。この小さな美術館、私は好きで、年1、2回のペースで通っているが、かつては自分以外のお客さんの姿を全く見ないことも稀ではなかったのに。この数年、韓流ブームが韓流時代劇ブームに流れて、古い朝鮮の美術が身近になった影響もあるのだろうか。

 愛らしい水滴を並べた展示ケースで、おや、見覚えのある品だと思ったら、駒場の日本民藝館のものが、高麗美術館の所蔵品と取り交ぜて出陳されていた。どちらの所蔵品も、仲間が増えて、どことなく嬉しそう。小どんぶりほどもある粉青茶碗について、浅川巧は(茶の湯だけでなく)本来の用途=飯や汁椀としても使用できる、と語っていたそうだが、いや大きすぎるだろ、と微笑ましかった。でも好きだ。赤瀬川原平さんが著書『千利休』で「日本人には真似のできない、おおらかで無神経な作り」みたいなことを言っていたのを思い出し、なるほど、と思う。

 解説パネルで、浅川伯教が京城(ソウル)で敗戦を迎え、混乱の中、日本に引き揚げる下りを読みながら、突然、うかつな私は、今日8月15日が終戦記念日であり、韓国朝鮮人にとっては「光復節」(日本統治から解放された日、祝日)であることに気づいた。ああ、今日はこの展覧会を見に来るのに、最もふさわしい日だったかもしれない。浅川兄弟が景福宮内に開設した朝鮮民族美術館の所蔵品の運命、兄の伯教が帰国の際、朝鮮の友人に託した亡き弟・巧の日記と遺稿の束(朝鮮戦争の動乱の中を守り抜かれ、現物が展示されていた)など、いろいろと胸に迫るものがあった。

醍醐寺、霊宝館仏像棟特別公開(2010年5月18日~8月31日)

 続いて、バスと地下鉄を乗り継いで醍醐寺へ。「スルッとKANSAI 3dayチケット」大活用である。高野山→東寺→醍醐寺は真言宗つながり。私の実家も真言宗豊山派なので、祖母の供養にもなるだろう。前回見逃した五重塔と清瀧宮本殿をまず見に行く(あとでよく見ようと思って、境内をまっすぐ奥に進んだら戻れなかった)。

 金堂でご朱印をいただこうとしたら「西国三十三所のご朱印はここではありませんよ」と言われる。そうか、前回は特別拝観で、このお堂に准胝観音像がお出ましだったが、ふだんは有料拝観寺域の外、山下の女人堂においでになるのだった。せっかくなので、金堂ご本尊のご朱印をいただく。ただし、ご本尊の薬師如来は、現在、霊宝館仏像棟で特別公開中なので、お参りはのちほど。壇上では五大明王像が留守を守っていた。

 女人堂でご朱印をいただくとき、「先達さんとしてご朱印をいただくときは袈裟(首まわりだけに付ける半袈裟または輪袈裟と呼ばれるもの)をおつけなさいよ」とドレスコードに注意を受ける。すみません。以後、気をつけます。

 気を取り直して霊宝館へ。特別公開の情報はチェックしていたが、受付で「現在本館は閉館中で、公開しているのは隅の仏像棟だけです」と説明されると、あらためて、あれっそうなの?と思う。地図上で「仏像棟」の小ささを見て、一瞬落胆。しかし、全14点(醍醐寺サイトに展示目録あり)は優品揃いで見る価値あり。国宝仏画『閻魔天像』は平安時代の作と思えない。肉筆浮世絵みたい。醍醐寺サイトに「白い牛に乗った優雅な美男」って、いいんでしょうか、その説明。

 薬師如来像は、比較的、眼が大きく、赤と紺の二重円の玉眼を用いていることがはっきり分かる。別置された光背の天女がきれい。それから、平安時代の如意輪観音坐像がとてもよかった。片足踏み下げポーズなのだが、膝の組み方がのびのびして、少ししどけない。お顔立ちも人間的である。醍醐寺の創建は、准胝観音と如意輪観音を安置したことに始まる、と伝えられており、同寺にとっては特別な仏様の一であるそうだ。ふうん。2008年、落雷で焼失した上醍醐の准胝観音像もこんな感じだったのかしら?と想像をたくましくする。

 展示室内にいらした女性の方の説明では、この「仏像棟」は、基本用途は収蔵施設で、ふだんは公開しておらず、ときどき展示替えで本館に出すほかは、ここにある仏像を眼にできる機会は少ないそうだ。めずらしいものを拝見できてよかった。

 奈良に戻って、夜の部に続く(8/17記)。
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