見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

お盆旅行2010:高野山ろうそく祭り

2010-08-13 23:58:07 | 行ったもの(美術館・見仏)
 8月13日、14時過ぎに高野山内に到着し、多少の観光はできるかと思っていたが、霊宝館で2時間以上遊んでしまったので、再び宿(宿坊)に戻る。今夜は奥の院のろうそく祭り(萬燈供養会)を見に行くため、17時半に夕食を用意してもらっていたので。

 「精進料理」と聞いていたが、ボリュームあるお膳で満腹。このまま寝転んで休みたいところ、再び出かける。食堂や土産物屋の店先に、長い竹串を通したろうそくが用意され、お祭りに向かう人波に「ろうそく、どうぞ~」と声がかかる。勝手を知ったお客さんが、ごそっと掴み取っていくのにびっくり。無料配布なのだ。私も真似をして、10本くらい掴み取っていく。

 19時少し前に、高野山奥の院の入口である「一の橋」に到着。参拝客はここで止められる。入口のテントでも、やはりろうそくの無料配布が行われている。準備ができるまで、橋を渡してくれないのだ。予定の19時になると、少しずつ参拝客を流し入れる。

 一の橋から奥の院の御廟までは一本道らしい。あたりは鬱蒼とした杉林。道の左右には苔むした大小の石塔が並んでいる。というのは、今朝(8/14)明るい中で奥の院を見た上で書いていること。このときは、初めて高野山奥の院を訪ねるというのに、周囲は真っ暗で何も分からなかった。

 最低限の街灯はあった(と思う)。参道の左右には幅20センチほどのアルミホイルが延々と敷かれ、その下には、発泡スチロールか何か、竹串の通る柔らかい素材が敷かれていた。既に火の付いたろうそくが点々と灯り、参道の続いていく先を示している。参拝客は、このアルミホイルの上に、自分のろうそくを差し、明かりを増やしながら、奥の院へと進むのである。

 頼りになるのは、観光案内所で貰った縮尺のはっきりしない地図のみ。10本のろうそくをどこで差すべきか悩む。始めは倹約をしていたが、ところどころ、参道の途中のテントでもろうそくをいただけることが分かり、気持ちに余裕が出た。小田原北条氏の廟所前で1本(関東人だし)。平戸松浦氏の廟所前でも1本(むかし平戸に行ったので)等々、気まぐれで差していく。

 しかし、ろうそくの光は限られた範囲しか届かないので、周囲の様子を見定めるのはかなり困難。観光地図に載っている武田信玄墓や上杉謙信廟は気づかないまま通り過ぎ、いよいよ御廟橋を渡って、燈籠堂まで来てしまった。

 天井に多数の燈籠を吊るした燈籠堂では、僧侶たちが入場し、法会が始まるところだった。しばらく読経の声に聞き惚れる。西洋人の姿が多かったけど、キリスト教の儀式ほどメリハリがないので、面白くないんじゃないかなあ、と余計な心配をする。ときどき高く打ち鳴らされる法具の鐘(鈴?)の涼やかな音が美しかった。

 法会の終わり頃まで聴聞して、外に出ると、人波はすっかり引いていた。早めに切り上げて、高野山に泊まらず、その日のうちに下山する人が多いようだ。終バスは21時と言っていたけれど、その時間なら大阪まで帰れないこともないと思う。

 私は徒歩で宿坊に戻る。クーラーなしで、窓を少し開けたまま就寝(8/14記)。

※追伸:写真は後日UP予定。
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お盆旅行2010:高野山霊宝館

2010-08-13 23:55:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
 4月から勤め始めた職場は、8月15日前後に「一斉休業」を設けている。東京育ちの私は、全く旧盆の習慣がないのだが、貰える休暇は有難くいただき、かねての計画どおり、人生初の高野山参詣旅行に出かけることにした。

 新大阪で、京都の友人おすすめの「スルッとKANSAI 3dayチケット」を購入し、地下鉄でなんばに出て、南海電鉄に乗車。途中の九度山駅までは、2005年、慈尊院のご本尊公開のときに来たことがある。次の高野下駅あたりから、次第に線路の勾配がきつくなり、最後はケーブルカーに乗り換えて、高野山駅に到着。バスに乗り継ぐ。

 急カーブの続く山道を5分ほど走って、名高い「女人堂」に到着。ここから先は平坦な道、人家や寺院が軒を連ね、交差点には信号が設置されている。やがて私の下りる「千寿院橋」の交差点が見えてきたが、土産物屋と食堂の間を、たくさんの観光客が行き来している様子は、京都の清水寺界隈の風景とあまり変わらない。予約していた宿坊に、ひとまず荷物を置かせてもらったのが14時頃。近場の食堂で軽い昼食を済ませ、まず向かったのは、あこがれの高野山霊宝館である。

高野山霊宝館 夏期特別展『ちいさなほとけさま』(2010年7月17日~9月26日)

 緑に囲まれた長い砂利道のアプローチ、寺院と見まごう建物の古風なたたずまい。受付でご朱印(紫雲殿)をいただけるのもちょっと嬉しい。むかしの小学校のように、低い下駄箱に靴を収め、スリッパでペタペタと渡り廊下を進んでゆく。

 新館に入ると、いきなり大きな鎌倉時代の阿弥陀如来が座っていらっしゃる。写実的で穏やかな面相。像高230cm。これを超える高さの光背は、先端が千切れているが、かえって天に向かって伸び上がるような華やかさを感じさせる。

 隣りの不動明王立像(平安時代)も像高267cmと大きい。木目のあらわな逞しい腕は、樹木の魂が凝り固まってこの姿になったかのようだ。ほかにも多様な不動明王像が数体。それから、江戸時代(1665年)の愛染明王像。これ、かなりいいと思う。反対側には快慶作の四天王像。濃いなあ。「優美」ばかりが快慶ではない、というのは、この霊宝館にくるとよく分かる。旧館に置かれている執金剛神と深沙大将とかね。

 隣室には孔雀明王坐像。これは快慶としては「優美」系の仕事になるのかな。よく見ると、けっこう怖い顔をしていると思うのだが。周囲に『伝船中湧現観音像』など、国宝・重文級の絵画が、ガラスケースもなしで展示されているのにびっくりした。赤身の阿弥陀如来を描いた『紅玻璃阿弥陀像』、いいなあ。截金の衣の下に赤身が透けているのもいい。参詣客っぽいおばさんたちが、孔雀明王を見て「またこれやわ」「この間も見たわ」と声高に話しているのに苦笑。

 次室が夏期特別展『ちいさなほとけさま』のメインルームである。『屏風本尊』など、グリコのおまけを彷彿とさせる、愛らしい仏様が多数。でも、やっぱり運慶作・八大童子の制多迦(せいたか)、矜羯羅(こんがら)の二童子が展示されているのが嬉しくて、展示ケースに張り付いてしまう。

 後半の旧館では、平安時代の古様な仏像が意外と多くて興味深かった。気になった情報では、平清盛が寄進したと伝える血曼荼羅(胎蔵界・金剛界の両界曼荼羅で、どちらも4メートル四方の巨幅)のデジタル復元が、凸版印刷との共同事業で進んでいるとのこと。デジタルデータの復元は本年度中に終わり、引き続き、仏師による制作が始まるそうだ。遠大な計画である。

 このあと、夕闇の「ろうそく祭り」に出かけるのだが、ひとまずこれで更新。(8/14記)
コメント (2)
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