8月13日、14時過ぎに高野山内に到着し、多少の観光はできるかと思っていたが、霊宝館で2時間以上遊んでしまったので、再び宿(宿坊)に戻る。今夜は奥の院のろうそく祭り(萬燈供養会)を見に行くため、17時半に夕食を用意してもらっていたので。
「精進料理」と聞いていたが、ボリュームあるお膳で満腹。このまま寝転んで休みたいところ、再び出かける。食堂や土産物屋の店先に、長い竹串を通したろうそくが用意され、お祭りに向かう人波に「ろうそく、どうぞ~」と声がかかる。勝手を知ったお客さんが、ごそっと掴み取っていくのにびっくり。無料配布なのだ。私も真似をして、10本くらい掴み取っていく。
19時少し前に、高野山奥の院の入口である「一の橋」に到着。参拝客はここで止められる。入口のテントでも、やはりろうそくの無料配布が行われている。準備ができるまで、橋を渡してくれないのだ。予定の19時になると、少しずつ参拝客を流し入れる。
一の橋から奥の院の御廟までは一本道らしい。あたりは鬱蒼とした杉林。道の左右には苔むした大小の石塔が並んでいる。というのは、今朝(8/14)明るい中で奥の院を見た上で書いていること。このときは、初めて高野山奥の院を訪ねるというのに、周囲は真っ暗で何も分からなかった。
最低限の街灯はあった(と思う)。参道の左右には幅20センチほどのアルミホイルが延々と敷かれ、その下には、発泡スチロールか何か、竹串の通る柔らかい素材が敷かれていた。既に火の付いたろうそくが点々と灯り、参道の続いていく先を示している。参拝客は、このアルミホイルの上に、自分のろうそくを差し、明かりを増やしながら、奥の院へと進むのである。
頼りになるのは、観光案内所で貰った縮尺のはっきりしない地図のみ。10本のろうそくをどこで差すべきか悩む。始めは倹約をしていたが、ところどころ、参道の途中のテントでもろうそくをいただけることが分かり、気持ちに余裕が出た。小田原北条氏の廟所前で1本(関東人だし)。平戸松浦氏の廟所前でも1本(むかし平戸に行ったので)等々、気まぐれで差していく。
しかし、ろうそくの光は限られた範囲しか届かないので、周囲の様子を見定めるのはかなり困難。観光地図に載っている武田信玄墓や上杉謙信廟は気づかないまま通り過ぎ、いよいよ御廟橋を渡って、燈籠堂まで来てしまった。
天井に多数の燈籠を吊るした燈籠堂では、僧侶たちが入場し、法会が始まるところだった。しばらく読経の声に聞き惚れる。西洋人の姿が多かったけど、キリスト教の儀式ほどメリハリがないので、面白くないんじゃないかなあ、と余計な心配をする。ときどき高く打ち鳴らされる法具の鐘(鈴?)の涼やかな音が美しかった。
法会の終わり頃まで聴聞して、外に出ると、人波はすっかり引いていた。早めに切り上げて、高野山に泊まらず、その日のうちに下山する人が多いようだ。終バスは21時と言っていたけれど、その時間なら大阪まで帰れないこともないと思う。
私は徒歩で宿坊に戻る。クーラーなしで、窓を少し開けたまま就寝(8/14記)。
※追伸:写真は後日UP予定。
「精進料理」と聞いていたが、ボリュームあるお膳で満腹。このまま寝転んで休みたいところ、再び出かける。食堂や土産物屋の店先に、長い竹串を通したろうそくが用意され、お祭りに向かう人波に「ろうそく、どうぞ~」と声がかかる。勝手を知ったお客さんが、ごそっと掴み取っていくのにびっくり。無料配布なのだ。私も真似をして、10本くらい掴み取っていく。
19時少し前に、高野山奥の院の入口である「一の橋」に到着。参拝客はここで止められる。入口のテントでも、やはりろうそくの無料配布が行われている。準備ができるまで、橋を渡してくれないのだ。予定の19時になると、少しずつ参拝客を流し入れる。
一の橋から奥の院の御廟までは一本道らしい。あたりは鬱蒼とした杉林。道の左右には苔むした大小の石塔が並んでいる。というのは、今朝(8/14)明るい中で奥の院を見た上で書いていること。このときは、初めて高野山奥の院を訪ねるというのに、周囲は真っ暗で何も分からなかった。
最低限の街灯はあった(と思う)。参道の左右には幅20センチほどのアルミホイルが延々と敷かれ、その下には、発泡スチロールか何か、竹串の通る柔らかい素材が敷かれていた。既に火の付いたろうそくが点々と灯り、参道の続いていく先を示している。参拝客は、このアルミホイルの上に、自分のろうそくを差し、明かりを増やしながら、奥の院へと進むのである。
頼りになるのは、観光案内所で貰った縮尺のはっきりしない地図のみ。10本のろうそくをどこで差すべきか悩む。始めは倹約をしていたが、ところどころ、参道の途中のテントでもろうそくをいただけることが分かり、気持ちに余裕が出た。小田原北条氏の廟所前で1本(関東人だし)。平戸松浦氏の廟所前でも1本(むかし平戸に行ったので)等々、気まぐれで差していく。
しかし、ろうそくの光は限られた範囲しか届かないので、周囲の様子を見定めるのはかなり困難。観光地図に載っている武田信玄墓や上杉謙信廟は気づかないまま通り過ぎ、いよいよ御廟橋を渡って、燈籠堂まで来てしまった。
天井に多数の燈籠を吊るした燈籠堂では、僧侶たちが入場し、法会が始まるところだった。しばらく読経の声に聞き惚れる。西洋人の姿が多かったけど、キリスト教の儀式ほどメリハリがないので、面白くないんじゃないかなあ、と余計な心配をする。ときどき高く打ち鳴らされる法具の鐘(鈴?)の涼やかな音が美しかった。
法会の終わり頃まで聴聞して、外に出ると、人波はすっかり引いていた。早めに切り上げて、高野山に泊まらず、その日のうちに下山する人が多いようだ。終バスは21時と言っていたけれど、その時間なら大阪まで帰れないこともないと思う。
私は徒歩で宿坊に戻る。クーラーなしで、窓を少し開けたまま就寝(8/14記)。
※追伸:写真は後日UP予定。