○小川三夫『宮大工と歩く奈良の古寺』(文春新書) 文藝春秋 2010.7
私は仏像も好きだが古建築も好きだ。特に奈良の古建築は、その場に立つと、仏像の名品の前に立ったときと同様、霊妙なエネルギーが体の隅々に充電されるような感じがする。だが、その魅力を言葉で語るのは、なかなか難しい。本書は、『木に学べ』等の著書で有名な故・西岡常一棟梁(1908-1995)に学び、工人集団「鵤(いかるが)工舎」を率いて百を超える堂塔を建てた小川三夫棟梁が、法隆寺、薬師寺、東大寺などの有名寺院から、ちょっとマイナーな元興寺、長弓寺など、奈良大和路の12の古寺の建築の見どころを語った本。法隆寺管長、薬師寺管主との短い対談も収録されている。
なるほど、古寺建築って、こんなふうに見て、こんなふうに語ればいいのか!と思った箇所がたくさんあって、ページの端をむやみに折り込んでしまった。たとえば、法隆寺の五重塔。姿の美しいのは分かるけれど、どこがどう(なぜ)美しいのかはうまく言えない。西岡棟梁はこれを「安定していて動きがある」と表現する。「動きがある」という意味が分からなかった著者に、西岡棟梁は「松の枝を見てみい」という。一の枝が張って、ニの枝は入る。三の枝がまた出る。それが動きやと。著者はこれを補足して、天気のいい日は地面に映る五重塔の影を見るといい、という。「これを見ると塔の軒の出入りがようわかります」と。
深い軒は、日本の建物に独特の美しさを与えている。日本は雨が多いから、軒を高くし、基壇を高く上げて、建物を湿気から守らなければならなかった。これは、大陸や半島から高度な建築の技を学んだ工人たちが、サル真似ではなく、日本の気候風土に合わせた建築を造る技術力を持っていた証である。しかし、軒を深すると、軒の隅には強い負荷がかかる。とりわけ塔の最上階の屋根を支えるのは難しいのだそうだ。現在、法隆寺五重塔の五重目の軒下には、創建時にはなかった力士像(隅鬼)が挟み込まれている。あれは、魔除けや迷信ではなくて、構造上の必然だったのね。
著者は、古寺建築を見るとき、つまらない知識に捉われることを嫌う。歴史とか宗派とか伽藍配置とか、そんなことを学び過ぎると、建築の大きさや美しさに素直に反応することができない。それは、寺にも建築にも何の興味もない高校生として、修学旅行で(半ば嫌々)法隆寺を訪れ、突然「塔を造る人になりたい」と思い、宮大工の道に進んだという、著者の個人史にも基づいている。冒頭の2ページで淡々と語られる、このエピソードがあまりにも興味深くて、私は本書を買ってしまった。
著者の師匠である西岡棟梁も、同じように「感じる」ことを大事にした方だと思われる。私は、次々新しい堂塔が増えていく薬師寺の復興事業に対して、正直なところ、もういいよ~と半ばウンザリする気持ちだったのだが、西岡棟梁が「わしには(創建当時の)薬師寺はこうやったというのはね、もう立てば見える」と語っていた、というのを読んで、西岡棟梁の目に映っていた白鳳伽藍が全て実現するまでつきあいたい、という気持ちになった。
まず感じること。しかし、感じるだけでは現実の建物は立たない。著者は十輪院について、「入ってきたとき、いいねえって思ったことに、全部理由があるんですね。計算ずくっていうかな、きちんと出来ているんだけど、それを見せない」と語っている。感じたのちに、学ぶこと。自然条件から技術的な制約まで、諸条件を考慮し、論理的に考え、計算すること。けれども最終的に、その「計算」を見せないこと。実はこの本、建築だけでなくて、いろいろな仕事に通じる極意が、ところどころに隠れている。そう思って読むのもおすすめである。

なるほど、古寺建築って、こんなふうに見て、こんなふうに語ればいいのか!と思った箇所がたくさんあって、ページの端をむやみに折り込んでしまった。たとえば、法隆寺の五重塔。姿の美しいのは分かるけれど、どこがどう(なぜ)美しいのかはうまく言えない。西岡棟梁はこれを「安定していて動きがある」と表現する。「動きがある」という意味が分からなかった著者に、西岡棟梁は「松の枝を見てみい」という。一の枝が張って、ニの枝は入る。三の枝がまた出る。それが動きやと。著者はこれを補足して、天気のいい日は地面に映る五重塔の影を見るといい、という。「これを見ると塔の軒の出入りがようわかります」と。
深い軒は、日本の建物に独特の美しさを与えている。日本は雨が多いから、軒を高くし、基壇を高く上げて、建物を湿気から守らなければならなかった。これは、大陸や半島から高度な建築の技を学んだ工人たちが、サル真似ではなく、日本の気候風土に合わせた建築を造る技術力を持っていた証である。しかし、軒を深すると、軒の隅には強い負荷がかかる。とりわけ塔の最上階の屋根を支えるのは難しいのだそうだ。現在、法隆寺五重塔の五重目の軒下には、創建時にはなかった力士像(隅鬼)が挟み込まれている。あれは、魔除けや迷信ではなくて、構造上の必然だったのね。
著者は、古寺建築を見るとき、つまらない知識に捉われることを嫌う。歴史とか宗派とか伽藍配置とか、そんなことを学び過ぎると、建築の大きさや美しさに素直に反応することができない。それは、寺にも建築にも何の興味もない高校生として、修学旅行で(半ば嫌々)法隆寺を訪れ、突然「塔を造る人になりたい」と思い、宮大工の道に進んだという、著者の個人史にも基づいている。冒頭の2ページで淡々と語られる、このエピソードがあまりにも興味深くて、私は本書を買ってしまった。
著者の師匠である西岡棟梁も、同じように「感じる」ことを大事にした方だと思われる。私は、次々新しい堂塔が増えていく薬師寺の復興事業に対して、正直なところ、もういいよ~と半ばウンザリする気持ちだったのだが、西岡棟梁が「わしには(創建当時の)薬師寺はこうやったというのはね、もう立てば見える」と語っていた、というのを読んで、西岡棟梁の目に映っていた白鳳伽藍が全て実現するまでつきあいたい、という気持ちになった。
まず感じること。しかし、感じるだけでは現実の建物は立たない。著者は十輪院について、「入ってきたとき、いいねえって思ったことに、全部理由があるんですね。計算ずくっていうかな、きちんと出来ているんだけど、それを見せない」と語っている。感じたのちに、学ぶこと。自然条件から技術的な制約まで、諸条件を考慮し、論理的に考え、計算すること。けれども最終的に、その「計算」を見せないこと。実はこの本、建築だけでなくて、いろいろな仕事に通じる極意が、ところどころに隠れている。そう思って読むのもおすすめである。