日曜(8/1)はJR北陸本線の高月駅に8:49着。昨日と同じ、京都在住の友人2名と再び合流する。「朝早いのはちょっと…」と躊躇していた年下の友人も来てくれて、うれしかった。
高月駅では、既に8:30から第1便のバスが動き出しており、たくさんの人の姿が見られた。受付で1,000円を支払い、透明のケースに入った1日乗車券を首にかけてもらう。行き先の異なる1, 2, 3コースのバス(9:00発の第2便)が駅前に並んでいる。われわれは、事前の計画に従って、2コースに乗車。ちょっとテンパったテンションのおじさん(長浜市の職員かな?)が車掌兼ガイドとして同乗していた。

最初の目的地は唐川(からかわ)の赤後寺(しゃくごじ)。険しい山を背にしたお堂に、重量感のある平安初期の聖観音立像と千手観音立像が祀られている。千手観音は、もとは42本あったという野太い腕のほとんどが外れて、いまは12本を残すのみ。その手首から先も全て失われて、痛々しいお姿だが、下手な修復が入っていない分、原初的な迫力がある。堂内にいらした案内の方の説明によれば、昭和44年、重要文化財の指定を受けるか、秘仏として守り続けていくかの決断に迫られ、神籤で決めたとか。お~やっぱり「神判」の思想は生きていたのか!と、友人と顔を見合わせる。現在は、6人が2年間、当番としてお堂を守っているそうで、拝観希望者からの連絡が携帯電話に入ると(着メロは美空ひばり「川の流れのように」)、お堂に飛んでいくのだそうだ。流水で冷やしたスイカをごちそうになる。美味!
2コースの参拝予定はここだけだったが、赤後寺でスタンプラリーの用紙をいただいたこともあって欲が出て、徒歩で赤分寺(せきぶんじ)と横山神社も回る。赤分寺は室町時代の十一面観音立像で、衣を除き、金箔が鮮やか。文化財の指定は受けていないので、見守る人々ものんびりした雰囲気である。写真撮影もOK。横山神社は平安末期の馬頭観音立像。おっとりした表情の観音様に対して、頭上の馬頭が猛々しく歯をむき出しにしているのが面白い。境内のテントには若者多し。以前は祭りが2日間にわたったため、観音像を警護するため、お堂に泊った(むろん冷房設備なし!)という話も面白かった。
2コース第5便のバスで高月駅に戻り、3コース第7便に乗り換える。琵琶湖岸の片山観音堂まで行くコースだが、ここは車中からの観光にとどめ、西野薬師観音堂(充満寺)で下車。十一面観音菩薩立像は平安初期、薬師如来立像は平安中期だというが、お顔立ちがよく似ている(ともに重文)。ちょっと修復の痕跡が明らかで(手先とか)かえって痛々しいかなー。
のどかな農村風景の中を少し歩くと、崖下に「ここが正妙寺」の立て札。斜面の中腹の小さなお堂に、初めて見る千手千足観音(ええ~!)が祀られていた。録音テープの解説が「全国でもニ、三体しかない」と喋っているので、「余所にもあるんですか?」と聞いてみたら、「多分うちだけでしょうけど、いちおう…」というお話だった。うーむ。失礼ながら、昆虫みたい。まことに珍妙。半ズボンを穿いてるみたいだし。もう1ヶ所、急な石段の上の松尾寺にも寄る。本尊の十一面観音立像は、伝教大師最澄の作と伝えるが、もうちょっと新しいだろう。宝冠、瓔珞が美しい。
3コース第9便のバスをつかまえ、中継点の北近江リゾート・エジプト館で、1コースに乗り換えようと思ったが、乗客多数のため、乗り切れず。即座に「臨時便を出します!」の案内があったので、無理をせず、つきたてのきなこ餅のふるまいを受けながら、バスを待つ。10分ほどの遅れで到着した臨時バスで、石道寺(しゃくどうじ)へ向かう。同乗したおじさんが「30分間隔で綿密な予定を立ててるんだから、遅れると困るんだよ!」と焦っていたが、そういう几帳面な人もいるんだなあ。
石道寺には、10年くらい前に1度だけ来たことがある。確か、行きはバスで鶏足寺を訪ね、帰りは石道寺から、夕闇迫る道を高月までてくてく歩いたと思う。近在の人々に守られたお堂には、平安後期の十一面観音立像。ふくらかな頬、赤い唇、長い腕、踏み出すようにやや曲げた膝、かすかに上げた右足の親指。非常に女性的で官能的だ。「室生寺系ですね」と友人がささやく。拝観を終え、バス停に下っていくと、どうやら前の便が出たばかりらしい。と思ったら、さっきの大型臨時バスが現れて「いまの便に乗れなかった方たちはどうぞ」と言うので、素知らぬ顔で乗り込む。どうも、あちこちで定員オーバーが出ると、この臨時バスが出動していくみたい。
最後の〆めは、やっぱり渡岸寺観音堂(向源寺)である。いつも(と言っても2回しか来たことがないけど)静かな渡岸寺の境内は、「YO!おまいりやす!」をキャッチコピーとした門前市で賑わっていた。宝物館に入り、お姿を一目見た瞬間に、この日拝観した全ての仏像の記憶が飛んでしまう。そのくらい、このお像の美しさは別格なのだ。右から見ても、左から見ても、後ろから見ても、流れるような曲線美に、ただため息をつくばかり。至福のひとときののち、スタンプラリーの結果を商品券と引き換え、門前市でかき氷をつついて、興奮を冷ます。そして、まだ熱気の残る高月の町を後に、米原で京都の友人たちと別れ、東京へと帰途についた。
なお、高月町商工会のブログによれば、当日の来場者は、予想を大幅に上回り、スタンプラリーの台紙で把握できた数で600人、実質は約800人が来場したものと推計されている。ご苦労さまでした! 臨時バスの増発など、行きとどいた対応で好感が持てた。来年以降も多くの方が訪れますように。でも、渡岸寺の観音堂とか、あんなふうに大量の人が出入りして大丈夫なのか…という点はちょっと心配である。
※各お堂、仏像の写真は、ブログ検索や画像検索を使うと、けっこう見られます。
高月駅では、既に8:30から第1便のバスが動き出しており、たくさんの人の姿が見られた。受付で1,000円を支払い、透明のケースに入った1日乗車券を首にかけてもらう。行き先の異なる1, 2, 3コースのバス(9:00発の第2便)が駅前に並んでいる。われわれは、事前の計画に従って、2コースに乗車。ちょっとテンパったテンションのおじさん(長浜市の職員かな?)が車掌兼ガイドとして同乗していた。

最初の目的地は唐川(からかわ)の赤後寺(しゃくごじ)。険しい山を背にしたお堂に、重量感のある平安初期の聖観音立像と千手観音立像が祀られている。千手観音は、もとは42本あったという野太い腕のほとんどが外れて、いまは12本を残すのみ。その手首から先も全て失われて、痛々しいお姿だが、下手な修復が入っていない分、原初的な迫力がある。堂内にいらした案内の方の説明によれば、昭和44年、重要文化財の指定を受けるか、秘仏として守り続けていくかの決断に迫られ、神籤で決めたとか。お~やっぱり「神判」の思想は生きていたのか!と、友人と顔を見合わせる。現在は、6人が2年間、当番としてお堂を守っているそうで、拝観希望者からの連絡が携帯電話に入ると(着メロは美空ひばり「川の流れのように」)、お堂に飛んでいくのだそうだ。流水で冷やしたスイカをごちそうになる。美味!
2コースの参拝予定はここだけだったが、赤後寺でスタンプラリーの用紙をいただいたこともあって欲が出て、徒歩で赤分寺(せきぶんじ)と横山神社も回る。赤分寺は室町時代の十一面観音立像で、衣を除き、金箔が鮮やか。文化財の指定は受けていないので、見守る人々ものんびりした雰囲気である。写真撮影もOK。横山神社は平安末期の馬頭観音立像。おっとりした表情の観音様に対して、頭上の馬頭が猛々しく歯をむき出しにしているのが面白い。境内のテントには若者多し。以前は祭りが2日間にわたったため、観音像を警護するため、お堂に泊った(むろん冷房設備なし!)という話も面白かった。
2コース第5便のバスで高月駅に戻り、3コース第7便に乗り換える。琵琶湖岸の片山観音堂まで行くコースだが、ここは車中からの観光にとどめ、西野薬師観音堂(充満寺)で下車。十一面観音菩薩立像は平安初期、薬師如来立像は平安中期だというが、お顔立ちがよく似ている(ともに重文)。ちょっと修復の痕跡が明らかで(手先とか)かえって痛々しいかなー。
のどかな農村風景の中を少し歩くと、崖下に「ここが正妙寺」の立て札。斜面の中腹の小さなお堂に、初めて見る千手千足観音(ええ~!)が祀られていた。録音テープの解説が「全国でもニ、三体しかない」と喋っているので、「余所にもあるんですか?」と聞いてみたら、「多分うちだけでしょうけど、いちおう…」というお話だった。うーむ。失礼ながら、昆虫みたい。まことに珍妙。半ズボンを穿いてるみたいだし。もう1ヶ所、急な石段の上の松尾寺にも寄る。本尊の十一面観音立像は、伝教大師最澄の作と伝えるが、もうちょっと新しいだろう。宝冠、瓔珞が美しい。
3コース第9便のバスをつかまえ、中継点の北近江リゾート・エジプト館で、1コースに乗り換えようと思ったが、乗客多数のため、乗り切れず。即座に「臨時便を出します!」の案内があったので、無理をせず、つきたてのきなこ餅のふるまいを受けながら、バスを待つ。10分ほどの遅れで到着した臨時バスで、石道寺(しゃくどうじ)へ向かう。同乗したおじさんが「30分間隔で綿密な予定を立ててるんだから、遅れると困るんだよ!」と焦っていたが、そういう几帳面な人もいるんだなあ。
石道寺には、10年くらい前に1度だけ来たことがある。確か、行きはバスで鶏足寺を訪ね、帰りは石道寺から、夕闇迫る道を高月までてくてく歩いたと思う。近在の人々に守られたお堂には、平安後期の十一面観音立像。ふくらかな頬、赤い唇、長い腕、踏み出すようにやや曲げた膝、かすかに上げた右足の親指。非常に女性的で官能的だ。「室生寺系ですね」と友人がささやく。拝観を終え、バス停に下っていくと、どうやら前の便が出たばかりらしい。と思ったら、さっきの大型臨時バスが現れて「いまの便に乗れなかった方たちはどうぞ」と言うので、素知らぬ顔で乗り込む。どうも、あちこちで定員オーバーが出ると、この臨時バスが出動していくみたい。
最後の〆めは、やっぱり渡岸寺観音堂(向源寺)である。いつも(と言っても2回しか来たことがないけど)静かな渡岸寺の境内は、「YO!おまいりやす!」をキャッチコピーとした門前市で賑わっていた。宝物館に入り、お姿を一目見た瞬間に、この日拝観した全ての仏像の記憶が飛んでしまう。そのくらい、このお像の美しさは別格なのだ。右から見ても、左から見ても、後ろから見ても、流れるような曲線美に、ただため息をつくばかり。至福のひとときののち、スタンプラリーの結果を商品券と引き換え、門前市でかき氷をつついて、興奮を冷ます。そして、まだ熱気の残る高月の町を後に、米原で京都の友人たちと別れ、東京へと帰途についた。
なお、高月町商工会のブログによれば、当日の来場者は、予想を大幅に上回り、スタンプラリーの台紙で把握できた数で600人、実質は約800人が来場したものと推計されている。ご苦労さまでした! 臨時バスの増発など、行きとどいた対応で好感が持てた。来年以降も多くの方が訪れますように。でも、渡岸寺の観音堂とか、あんなふうに大量の人が出入りして大丈夫なのか…という点はちょっと心配である。
※各お堂、仏像の写真は、ブログ検索や画像検索を使うと、けっこう見られます。