○松方冬子『オランダ風説書:「鎖国」日本に語られた「世界」』(中公新書) 中央公論新社 2010.3
近世日本に「オランダ風説書」なるものが存在したということを知ったのは、いつだったろう。中学高校時代に覚えた言葉ではなく(高校では日本史取ってないけど)かなり大人になってからだと思う。「風説書(ふうせつがき)=噂(うわさ)書き」という柔らかな大和言葉にだまされて、はじめは伝奇集か説話集のようなイメージを持っていた。
それが、そうではないらしということはだんだん分かってきた。オランダ風説書とは、徳川政権が世界(特にヨーロッパ)について確実な情報を得るために利用した、ほぼ唯一のメディアだったのだ。「鎖国」と呼ばれる200年間、幕府に、世界情勢に対する真摯な関心が持続していたということに、私はまず驚く。当初、幕府の関心(脅威)の対象は、カトリック勢力だった。そこで、オランダに貿易を許可する交換条件として、カトリック諸国に関する情報提供を義務づけている。さらに幕府は、オランダだけでなく、唐船からも情報を入手し、それらを比較検討し、情報の信頼性を評価して、時にはオランダ商館長を譴責することもできた。17世紀の日本人が「財」にも「武力」にも匹敵する「情報」というものの価値を、きちんと把握していたことに、私は本当に舌を巻いてしまった。戦国時代に覇を競った人々だからこそ身に着いたセンス(危機意識)なのかもなあ、とも思う。
18世紀になると、政策レベルだったはずの「鎖国」が規範意識として定着し(鎖国祖法観by藤田覚氏の成立。なるほど~)、世界情勢に関する情報提供に、オランダ人の競合相手もいなくなる。風説書はマンネリ化し、「オランダ人の言うことを日本人は何でも信じる」と商館長が感じるようになる。だが、この間に、日本にとっての脅威は、カトリック勢力から「西洋近代」という得体のしれないものに移っていく。
19世紀、1830年代以降は、アヘン戦争、ペリー来航など、東アジア海域が激動の時代に突入すると、数々の重要な「別段風説書」が作られたが、年1回の「風説書」は全く意味をなさなくなる。こうして、ひとつのメディアの時代が終わりを遂げる。
「アヘン戦争」「ペリー来航」「フランス革命」など、個別の風説書もそれぞれ面白い問題を含んでいるが、オランダ風説書というシステムが日本に何をもたらしたかというのは、とても面白い問題設定だと思う。あと、当時のオランダがヨーロッパ随一の情報集積地だったということを理解していると、本書は一層面白く読める(参照:玉木俊明『近代ヨーロッパの誕生』など)。オランダには、17世紀初頭からヨーロッパ諸国の情報を収集・提供する定期刊行の新聞が生まれていた。そして、オランダ東インド会社は、日本からの要請の有無にかかわらず、時事情報を各商館に配信していたのだ。日本はそこまで知っていたわけではないだろうけど、世界情勢の窓口として、実に的確な国をピンポイントで貿易相手国に選んだと思う。

それが、そうではないらしということはだんだん分かってきた。オランダ風説書とは、徳川政権が世界(特にヨーロッパ)について確実な情報を得るために利用した、ほぼ唯一のメディアだったのだ。「鎖国」と呼ばれる200年間、幕府に、世界情勢に対する真摯な関心が持続していたということに、私はまず驚く。当初、幕府の関心(脅威)の対象は、カトリック勢力だった。そこで、オランダに貿易を許可する交換条件として、カトリック諸国に関する情報提供を義務づけている。さらに幕府は、オランダだけでなく、唐船からも情報を入手し、それらを比較検討し、情報の信頼性を評価して、時にはオランダ商館長を譴責することもできた。17世紀の日本人が「財」にも「武力」にも匹敵する「情報」というものの価値を、きちんと把握していたことに、私は本当に舌を巻いてしまった。戦国時代に覇を競った人々だからこそ身に着いたセンス(危機意識)なのかもなあ、とも思う。
18世紀になると、政策レベルだったはずの「鎖国」が規範意識として定着し(鎖国祖法観by藤田覚氏の成立。なるほど~)、世界情勢に関する情報提供に、オランダ人の競合相手もいなくなる。風説書はマンネリ化し、「オランダ人の言うことを日本人は何でも信じる」と商館長が感じるようになる。だが、この間に、日本にとっての脅威は、カトリック勢力から「西洋近代」という得体のしれないものに移っていく。
19世紀、1830年代以降は、アヘン戦争、ペリー来航など、東アジア海域が激動の時代に突入すると、数々の重要な「別段風説書」が作られたが、年1回の「風説書」は全く意味をなさなくなる。こうして、ひとつのメディアの時代が終わりを遂げる。
「アヘン戦争」「ペリー来航」「フランス革命」など、個別の風説書もそれぞれ面白い問題を含んでいるが、オランダ風説書というシステムが日本に何をもたらしたかというのは、とても面白い問題設定だと思う。あと、当時のオランダがヨーロッパ随一の情報集積地だったということを理解していると、本書は一層面白く読める(参照:玉木俊明『近代ヨーロッパの誕生』など)。オランダには、17世紀初頭からヨーロッパ諸国の情報を収集・提供する定期刊行の新聞が生まれていた。そして、オランダ東インド会社は、日本からの要請の有無にかかわらず、時事情報を各商館に配信していたのだ。日本はそこまで知っていたわけではないだろうけど、世界情勢の窓口として、実に的確な国をピンポイントで貿易相手国に選んだと思う。