
明治8年の9月30日に太政大臣らを集めた午餐会からで、出席者は太政大臣の三条実美から陸軍少輔の大山巌まで。まだ洋食文化が馴染んでいないのでメニューに「牛羹タツピョーカ」とか書いてあっても何のことか分かりにくく、外国人を招いての食事で来賓用のドイツ語や英語のメニューが出てきて初めて分かることもしばしば。もう少しカジュアルな食事会になると、カレーを使ったメニューもちらほら出てくるらしく、インド植民地時代のイギリス料理の流れも入っているかもだとか。
そして、昭和20年10月15日の午餐あたりになると、そのメニューの書き方からも世相を読み取れるものとなります。魚料理で「鮮魚」としか書かれなくなって何の魚か指定が無くなるのです。
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