LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

無線局免許のことなど・・・その1

2012年05月05日 08時41分08秒 | アマチュア無線
 もしこのブログをご覧になっている同年代のOMの方がいらしたら、たぶん同じ経験をしていると思いますが、今までのアマチュア無線の免許について書いて見たいと思います。
 最初の受験は昭和46年の4月期の電話級でした。埼玉の田舎から、蒲田の日本電子工学院がやたら遠くて都会に思えました。もっとも学生時代の北海道の友人に聞くと「内地のやつはいいよ、北海道は札幌が受験地だから、汽車で乗り継いで、電話級でも一泊二日だよ。」と話していました。従事者免許に受かっても、無線局免許を取るには送受信機がないと今も昔も無線局が開設できません。その当時は、高度経済成長の時期とは言え、通学していた工業高校の卒業生でも初任給は2万円いくかいかないか、高値の花でした、ダイポールのアンテナは何とかできます、それに電器屋の息子が同軸ケーブルはただでいいよと話していましたが、肝心の送受信機がありません。当時は今のようにトランシーバではなく、送信機と受信機でした。こればかりは薄給の父親にはねだることができませんでした。しかしながらSWLは続けました。行き着く所は、「アルバイト」です、当時すでにもう今で言う大型自動二輪の免許は持っていましたから、ガソリンスタンドのアルバイトを学校が終わった後と土曜日曜、夏休み、冬休みと励みました。当時のガソリンは1リットル54円、一時間アルバイトすると170円、岩波新書が130円でした。
 そうこうするうちに、就職か進学かの壁に突き当たりました。工業高校では、化学を専攻していましたからその当時まだ、高度経済成長の名残りがあり、今は使いませんが「金の卵」状態でした、友人たちが早い時期から就職が決まっていく中で、ひとり悩みましたが、教員になりたい希望があり、進学を決意しながらアルバイトと受験勉強とSWLに励みました。大学はなんとか現役で入りました、専攻は工業高校と同じ応用化学でした。
コメント
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