続き・・・「第1級アマチュア無線技士」、しかも電話級からいきなり!
まず、当時は受信・送信の実技があり、立て振り電鍵の打ち方からでした。
有給休暇を取り、当時晴海にあった無線従事者協会に行き、訳を話したところ、応対していただいた受付の方は、事務室からから立て振り電鍵を出してきて、握り方から、手首の動かし方まで、小学生に教える様に齢30の私に教えてくれました。
確か、その方のお名前は、菅田さんというお名前だったように思います。
突然伺ったにも関わらず、懇切丁寧に教えていただき本当に嬉しかったです。
それからは、通勤の行き帰りに和文の受信、欧文の受信と1年間の時間とテープレコーダ2台を費やして昭和63年4月期に、なんとか、「第1級アマチュア無線技士」に合格しました。
受信の試験が終了したとき、右手の内側が汗でぐしょぐしょだったのを今でもよく覚えています。
その頃の受験会場で私は30過ぎでしたが、まだ若手の方でした、実技の打電試験の一人前の70年配のお婆さんは、「戦前の女学校で学んだ、電信技術をボケ防止と思い試験に来ました!」と仰っていました。
アマチュア無線の世界は、老若男女も超えることを知りました。
すごく人生を感じた、受験会場でした。
合格通知を手にしたら、まず合格祝いにTL922を自分に合格祝いにプレゼントしました。真空管の輝きはまぶしかった~!
その後は、中古のTS520S,TS820S,R820を北海道、九州、オーストラリアから集めました。
スペアの真空管12BY7A、6146Bもダース単位で集めました。
一生分の真空管は仕入れたし、やるぞーDX!
結局その後、仕事がすごく忙しくなり、真空管を暖めることもなく、結婚、子育て、親の介護と大波を乗り越えたと思って気がついたら、手元に残ったのは、トランジスタのHF帯トランシーバ2台とトライバンドのHB9のみ・・・・続く
まず、当時は受信・送信の実技があり、立て振り電鍵の打ち方からでした。
有給休暇を取り、当時晴海にあった無線従事者協会に行き、訳を話したところ、応対していただいた受付の方は、事務室からから立て振り電鍵を出してきて、握り方から、手首の動かし方まで、小学生に教える様に齢30の私に教えてくれました。
確か、その方のお名前は、菅田さんというお名前だったように思います。
突然伺ったにも関わらず、懇切丁寧に教えていただき本当に嬉しかったです。
それからは、通勤の行き帰りに和文の受信、欧文の受信と1年間の時間とテープレコーダ2台を費やして昭和63年4月期に、なんとか、「第1級アマチュア無線技士」に合格しました。
受信の試験が終了したとき、右手の内側が汗でぐしょぐしょだったのを今でもよく覚えています。
その頃の受験会場で私は30過ぎでしたが、まだ若手の方でした、実技の打電試験の一人前の70年配のお婆さんは、「戦前の女学校で学んだ、電信技術をボケ防止と思い試験に来ました!」と仰っていました。
アマチュア無線の世界は、老若男女も超えることを知りました。
すごく人生を感じた、受験会場でした。
合格通知を手にしたら、まず合格祝いにTL922を自分に合格祝いにプレゼントしました。真空管の輝きはまぶしかった~!
その後は、中古のTS520S,TS820S,R820を北海道、九州、オーストラリアから集めました。
スペアの真空管12BY7A、6146Bもダース単位で集めました。
一生分の真空管は仕入れたし、やるぞーDX!
結局その後、仕事がすごく忙しくなり、真空管を暖めることもなく、結婚、子育て、親の介護と大波を乗り越えたと思って気がついたら、手元に残ったのは、トランジスタのHF帯トランシーバ2台とトライバンドのHB9のみ・・・・続く