LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

埋蔵文化財・・・のことなど

2012年05月20日 20時43分59秒 | 雑談・その他

 今日は午後の時間が空きそうだったので、配偶者の母親の買い物を届けた後に、坂戸市の埋蔵文化財出土品展にでかけました。
 息子や配偶者を誘ってもいつも来ないので単独行動です。
 今回で16回目ということですが、地道な自治体で行っている発掘調査の公表はすごく大切なことだと思います。

 私がなぜ興味があるかと言うと、私の住んでいる武蔵野台地周辺で発掘される黒曜石が長野県の和田峠産のものがほとんどで、道路も交流もない時代に、今の時代で言うなら新技術のような黒曜石のスクレイパーなどが、発掘されるたびに、当時の人々の交流とか、物々交換はどうしていたのかすごく気になります。

 学生時代に地学とか日本史を選択していなかったから、興味が継続しているのかどうかわかりませんが、大人の今になると、すごく興味が出てきてしようがありません。

 実際に信州の和田峠に息子たちと出かけて、小さな渓流の流れの中を探ると、見事な黒曜石が今でも出てきます。
 数千年の昔では、新技術として技術の伝播があったかと思うと、不思議な気がします。
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CQ誌の発売日・・・のことなど

2012年05月20日 09時27分51秒 | アマチュア無線
 毎月19日は「CQ誌」の発売日です。
「CQ誌」と書いても、アマチュア無線を趣味としていない人には、一生涯見る事も、読むこともない月刊誌ではないかと思います。

アマチュア無線を趣味にしている人たちで、ある程度の年齢の人たちは、「子供の科学」、「ラジオの製作」、「CQ誌」とだんだんと上ってきた経験者がほとんどではないかと思います。

 何を隠そう私もその中の一人であります。
仕事が忙しかったり、子育てにかかったり、親の介護にかかったり、一時期は趣味どころではなかったのですが、ようやくCQ誌をじっくりと読むことが出来るようになりました。
 前にも書いたのですが、私が40年前の高校生であった頃は、町の本屋さんでは平積みで50センチほどの高さに積み上げられていたのですが・・・・
 昨日は他の用事もあったので、大手のT書店に行きましたが、開店直後で発売日にもかかわらず、なんと3冊しかも、縦置き!!、市内の同じような大手のK書店でもやはり同じような状況です。

 その昔は、付録の小冊子に直近の開局リストと「売ります買います」が付いていたためか、書店の開店と同時に購入し、求めている中古品の売り手にいち早く連絡をすることが目的だったからかも知れません。
 開局リストも個人情報の保護とやらで、いまでは幻のものとなりました。初期のころには、住所、氏名、勤務先、趣味と、いまでは考えられないくらいの個人情報が記載されていました。
 古きよき時代だった名残りだと思います。

 昨日は、業務で午後出かけていたのですが、帰宅してから、シャワーの後に犬舎の中にハンモックを吊り、缶ビール2本とつまみのラッキョウを持ち込み、CQ誌を読みふけりました。
 毎月19日のこの時間が私にとって至福の時間であります。

 内容は、以前と比べて、落ちてきたような気がしないでもないですが、やはり40年も読んでいる趣味の雑誌ですが、いいものです。
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指定管理者制度・・・のことなど

2012年05月19日 20時47分20秒 | バードウオッチング
 今日は関東地方は五月晴れの行楽日和でした。
午後から、半日業務で埼玉県自然学習センターに出かけておりました。

 ここは設置されてから20年目になる、里山の体験型の自然学習センターです。
私も息子たちが幼かったころに、自宅から車で30分の距離でしたのでよく通いました。
 そのような体験を積み重ねたためなのか、息子は自然科学の専攻を仕事にしようとしています。
 7~8年ぶりなので、植生も変わったなと思っていたのですが、インタープリター役の説明が、大変上手で同行した小学生たちは、引き込まれていくのが大人の立場からよくわかりました。

 なにが変わったのかのかと思ったら、6年前から指定管理者制度の導入で、埼玉県生態系保護協会が管理・運営を委託されているとのことでした。
 30年ほど前に、自然保護活動に私も関わっていたことがあるので、その当時の知人のIさん、Sさん、Dさんの話をしましたら、なんとDさんが管理者をしているとのことでした。

 指定管理者というと、いろいろな意見があると思いますが、今回の体験で感じたことは、行政が出来ることと、指定管理者の団体が出来ることの見極めをして、きちんとした形で管理・運営をするほうが受益を受ける県民にメリットがあるのかなと思いました。
 
 久しぶりに業務でしたが、五月晴れの中、素敵な里山体験ができました。

 

 
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Three dogs night(三頭の犬と寝る)

2012年05月18日 21時01分55秒 | ラブラドル犬

1970年代のロックを聞いたことがある人ならば、Three dogs nightの「ワン」とか「ママ・トールド・ミー」を聞いたことがあると思います。

 私もなにげなく聞いていた覚えがあるのだけれども、このグループの名前が気になっていた、なぜ、「三頭の犬の夜」なのか?
 ロックバンド関係のホームページを参考にすると、グループ名の由来は「アボリジニが寒さに厳しい夜に三頭の犬と寝る」ことに由来していると説明がされています。   おお!、私の生活と同じではないか、ということは、僕の今の生活はアボリジニと同じではないか。
 正確に記述すると、私の生活は「三頭のラブラドル犬と毎晩寝ている、57歳の親父」である。
 私自身における生活はアボリジニの生活と進化していない状況であると考える!。
 Three dogs night Three dogs night Three dogs night Three dog night
聞き慣れた言葉や単語であるが、改めて考えるとその言葉の意味は深い生活習慣から生まれた言葉であるということ良く理解できました。
  
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榧(かや)の丸木舟・・・のことなど

2012年05月17日 22時14分43秒 | アウトドア
 
  私が住んでいる市の博物館に、縄文時代の丸太をくり抜いた丸木舟が保存されています。
  昭和の初期の頃に、河川改修工事の時に出土したものであると、説明には書かれており、木材は榧(かや)であると書かれています。
  縄文海進の時代に気候も現在よりは温暖であったためか、私の住んでいる東京湾から離れた内陸にも、その当時の貝塚が痕跡としてあちこちに残っています。
  榧でできた丸木舟は直径が70センチほどで、部分的に炭化しており、榧の木を火で炙ることにより、腐食を防ごうとした、縄文人の知恵なのかもしれません。
  丸木舟の前に立つと、この木を倒した人はどのような思いで木を切り倒したのか、鉄の道具が無かった時代に、石斧やどんな道具で伐採したのだろうか、と想像の世界に入ってしまいます。
  たくさんある木の中で、どうしてこの榧の木を選んだのか、火で炙ることをどこで学習したのか、そして丸木舟を使った漁猟の最中にどんな事故が発生して、この舟を放棄することになったのか・・・・。
  博物館の丸木舟の前にたたずむと、いつもこんな想像を巡らしてしまいます。

  現代に住む私は、友人たちから不要になったカヌーを貰い受けて3艇持っていますが、何百年も泥の中に埋もれて、保存されるような素材ではできていません。
  マッチが1本あれば、良く燃えてしまうような素材でできています。
 考えて見るならば、この榧の丸木舟はその本来の役目を終えた上に、安寧の場所を得ることができて、幸せだったのかもしれません。
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平成23年3月11日・・・・のことなど

2012年05月16日 20時51分36秒 | 雑談・その他

 平成23年3月11日14時46分、あの東北大震災でした、1年と2ヶ月の時間が経過しようとしています。
当日は日曜勤務の代休を取って、某所にリサイクル家具の引き取りに出かけていました。
車に中古の食器棚を積み込み帰宅すると、卒業式を数日後に控えた息子の友人たちがいたため、物置小屋に入れるのを手伝ってもらっているさなかでした。
 
 てっきり、脳梗塞はこんなものなのかと、瞬間思ったところ、物置小屋が大きく揺れていました。
 人生で、このまま死ぬかも知れないと思ったのは初めてのことでした。
 息子を含めた5人に、「早く外に出ろ!」と怒鳴ったものの、足が地に着かず出口になかなかたどり着きません、裸足で建物から出てもまだ地面が揺れていました。
 それからしばらく、船酔いのような、三半規管が機能しないのか、軽いめまいの様な感じでした。
 震源は何処なのか、かなり大きな地震であることは間違いない、たぶんテレビもラジオも電源が落ちていれば難しいだろうと、庭先のキャンピングトレーラーに積んでいるアマチュア無線のスイッチを入れて国内の短波帯を取りあえず受信することにしました。
 7,14,21Mhz帯を受信するも、静かなままでした、国内のこの時間帯なら、7Mhzかと思い、国内のアマチュア無線局を呼び出すも応答はなく、携帯ラジオでは、東北地方の地震らしいとのことを放送していました。
 携帯電話は案の定関東地方でも輻輳が始まったようで、ただの小箱となりました。
そうこうしているうちに、また大きな余震がやってきました、今晩は送電が停止するかも知れないと思い、近所のガソリンスタンドに行き、車のガソリンと灯油の補充をし、物置にある2台の大型発電機の燃料も入れて、しばらくしていなかった試運転だけは念のためしておきました。
ふだん配偶者から冷たい目で見られていた、物置小屋のガラクタと思われていた道具がこんなに頼もしく思えたのは、初めてのことでした。
 さらなる余震で、ガス、水道、電気のインフラが停止することを考え、ポリタンクに100リットルの水を貯水し、キャンプ用のガソリンランタンを用意して、カレーと御飯を多めに作り、夕食に備えました。
 息子たちの安全は確認できたのですが、配偶者との連絡が取れなくて、結局帰宅したのは、土曜日に日付が変わった頃でした。

 その日から、新聞、テレビ、ラジオでは津波の被害に加え、福島第一原子力発電所のメルトダウンという未曾有の厄災を国民が抱えることになったのは、ここで書くまでもありませんでした。

 我が家では、その日から、炊飯行為は電気釜ではなく、鍋を使って都市ガスで炊くようになりました。
 そんなこと想定もしていなかったのですが、怪我の功名なのか、都市ガスで同じ量の炊飯をすると、短時間で御飯が大変美味しく炊けるということも判りました。

 自宅のコンセントプラグのずっとずっと先には、何処かで誰かが絶え間なく電気を作っているのだろうし、二酸化炭素が多少排出されてしまうかもしれないけど、少しでも、わずか少しでも、負荷を無くす努力をしていこうと思いました。
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介護・・・・のことなど

2012年05月15日 21時03分51秒 | 介護


 昨日仕事が終わろうかとしていた頃に、窓口を担当している部下が、「Tさんという方が窓口にお見えです。」と知らせてくれました。

「Tさん?」、Tさんは私がまだ駆け出しだったころに、他機関で同じ仕事をしていた女性で、困った時に相談に乗っていただいた、大変お世話になった方でした。
仕事をてきぱきとこなして、女性の上司の見本のような方でした。
今は県南の広い地域を対象とした、ある機関の長をしています。

お会いするのは10年ぶりくらいでしたが、はつらつとした印象は相変わらずで、お互いに話が過去に戻りつ現在の話になり、気がつくと1時間以上も話していました。

 お話を伺っていましたが、はつらつとした印象のTさんも、ご両親の入院介護と仕事の両方で、疲労困憊の状況だということがわかりました。

 私も、一昨年からの両親の介護のいきさつを話していたら、Tさんから「こんな話をするとは思わなかった!」と、本音同士の話ができました。

 機関の長という重責を果たし、入院介護もしている話をお聞きしていると、男性女性に関わらず、子育てが終わって一段落すると、親の介護が静かに忍び寄ってきます。
 仕事も介護もこなさなくてはならない時代、施設や制度は以前より格段に進歩しましたが、需要と供給のアンバランスが現実の問題として立ちはだかっており、その入り口で右往左往しているのが我々なのかもしれないという、現実を知らされました。
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ボーイスカウトのことなど・・・

2012年05月14日 21時42分38秒 | アウトドア
 
 昨日は、日曜日に都内まで出かけましたが、電車の中でボーイスカウト隊の集団に乗り合わせました。
 まだボーイスカウト活動が続いているのかと、電車の中でしばし感慨にふけりました。

 私がボーイスカウトに入団したのは、昭和37年の11月23日でした。
なぜ覚えているかというと、今から50年前の勤労感謝の日のことなのですが、秋の日差しが、乾いた埃っぽい小学校のグラウンドに差し込んでいたことが記憶に残っています。
 入隊したボーイスカウト川越第2団は、戦後の比較的早い時期に創設されていたためか、テントや野営道具はその当時でも、大体そろっていたように思います。
 いまでは、アウトドアギアーと称して、いろいろなテントやガソリンランプ、バーナー、シュラフがアウトドアショップや郊外型の大型店舗に行けばありますが、そのころはまだ戦後の雰囲気を残していたためか、「野営」とか「野外生活」という言葉のほうがふさわしかったように思います。

 今時病院でも使わないような、ホーロー引きの皿には確か「Occupied by USA」と書かれていたことがありました。
 テントは、今から思えば、朝鮮動乱後の進駐軍からのお下がりだと思いますが、キャンバス地に植物質のオイルがしみこんだ独特の臭いがしました、そして代々何故か「象の鼻」と呼んでいたのが不思議でした。
シュラフなんて気の利いたものなど無くて、母親がどこで聞いたのか、使い古しの毛布を半分に折ってファスナーを付けたものでした。
 この毛布のシュラフは、後年大学受験の時に夜中の勉強時には役に立ちました。
ある年、ジョンソン基地(現在の航空自衛隊入間基地)のボーイスカウト隊と交歓野営大会が開催されました。 その時の野営場というか今ならキャンプサイトと呼ぶのでしょうが、私の目にも敗戦国の惨めさが自覚できました。
 私たちのテントは、前述の進駐軍のお下がりで、テントの周囲には雨が降った時のことを考慮して深さ10センチほどの溝を掘り、炊事といえば、地面に穴を掘って大きめの石を数個拾ってきて作った竈に飯盒炊さんにカレーが定番のメニューでした。
 アメリカ合衆国の少年たちはといえば、同じくらいの年頃でも長ズボンに明らかに上等そうなジャケットを身にまとい、テントは完全自立型で、コットと言われる野外用のベットが中に設えてありました。
 食事はというと、今では量販店に行けば置いてあるコールマンのツーバーナーが青い炎を上げて分厚いステーキを焼いていました。
飲み物は我が隊は、水嚢という布バケツに汲んだ水を各自のホーロー引きのコップですくって飲んでいたのですが、彼らはCoca Colaのロゴが入った、緑色の瓶が山のように補給用のテントに置かれていました。
かの国は、兵站施設を充実させ、作戦を成功させることに戦略を持って望んだけれども、こういうことにも、兵站施設は必要なことなのですね。
 そのころの私たちは、各自の山岳縦走用のキスリングから、手ぬぐいで作った袋から米を出し、ジャガイモ、タマネギ、ニンジンを出して、地面に穴を掘った竈でカレーを作っていたのですから。
 最後の日に、プレゼントの意味なのか、コカコーラを1本もらって飲んだのはいいけれど、その薬臭い黒い液体を嚥下したときの感触をいまでも覚えています。
 その数年あとのことだったと思いますが、11月の感謝祭に進駐軍所沢兵站所(いまの航空公園のあたりだったと思いますが?)の合衆国のボーイスカウト隊に招待された時のことも、食べ物の記憶とともに生涯忘れることができない思い出です。
 11月の下旬で半ズボンが寒かった記憶がありますが、招待された進駐軍のカマボコ兵舎の中は飾り付けがしてあり、食べ物の臭いと、米国の少年達の体臭の臭いが混じり合って、アメリカとはこんな臭いがするものかと思ったものでした。出てきた料理が厚さ1センチはあろうかと思われる、大人の掌くらいの分厚いステーキ肉でした。
それに、いろいろな野菜と大きな肉塊がたくさん入ったシチュー、当時通っていた小学校で始まったばかりの自校方式の学校給食のシチューと比べると、こってりとした食感がしたのを今でも覚えています。

 その当時の我が家のご馳走といえば、毎月25日の父親の給料日に出る卵焼きが一番のご馳走でした。
 すき焼きなんてまだまだ、夢のようなころでした。
私は当然のごとく、ポケットから出した灰色の粗雑なちり紙からステーキがはみ出るのを承知で、大切に包んで家に持ち帰りました。

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演奏会・・・・のことなど

2012年05月14日 07時25分10秒 | 音楽
 昨日は仕事場の若い友人の演奏会に配偶者と出かけました。
その友人S君は、仕事場の給湯室友達であります。
 給湯室と言うと女性のたまり場の様な感じがしますが、わが社の給湯室は若い男性もオジサンも弁当箱を洗ったりと男性の方が今の時代使っているようです。
 奥さんが、「お弁当箱洗ってこないと、明日は作りませんよ!」とでも言われるのでしょうか!

 さて、S君はそもそも、給湯室の話題で、北アルプスの登山口の話から始まり、しばらくお互いの山行の話で盛り上がっていると、息子の高校のグリークラブの大先輩であることがわかり、しかも同じ高音部の同じパートであることが判りました。
 5月の連休も演奏会の練習で山にも行けなかったとぼやいていました。

 そんなこんなで、昨日の彼の所属している混声合唱団の演奏会に虎ノ門のJTアートホールアフィニスに配偶者共々出かけました。
 久しぶりの都心、しかも虎ノ門、地下鉄の乗り換えには私は疎くて配偶者の後についていきました。
 
 4回目の定期演奏会とのことでしたが、現代曲の混声合唱を5曲、今回は初演の混声合唱もありました。
 途中、指揮者と作曲者の掛け合いもあり、現代曲も難解かと思っていたのですが、やはり音楽は感性で受け止めるのが必要なのですね。

 バッハのオルガン曲や、バイオリン独奏曲も大好きなのですが、人間の声、特に混声合唱も根源的な音楽と思うと、心に響くものがありました。

 S君昨日はありがとうございました、我社今週の激務も頑張りましょう!

 
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QRPのことなど・・・

2012年05月13日 07時59分19秒 | 雑談・その他
 QRP?? 普通の生活をしていると、QRPなんて略語は生活の中に出てくる場面はまずありませんが、アマチュア無線の世界では、QRPと言うのは空中線電力がおおむね5w以下の運用をいう表現を示します。
 5ワット以下でも、短波帯ですと、世界中と交信は可能です、不思議ですね!
 その反対語はQROと表現しています。
 日本の電波法では、「無線通信を行う場合の空中線電力は必要最小であること。」とされています。

 10日ほど前にインターネットを使い、東京電力に契約料の変更を申請していたところ、昨日の午後に東京電力のカスタマーセンターの職員の方が来て、アンペア計を交換しました。
 居宅部分を60Aから40Aに下げ、車庫部分を30Aから15Aに変更しました。
 子供たちが幼かった頃は、危険を避けるために電気の暖房器具を使用していたのですが、子供たちも大きくなったこともあり、契約のアンペア数を下げました。

 これには、昨年の3月11日以降の諸般の状況を考慮してのこともあります。
あることが当たり前になっている、電気、水道、ガスのインフラは無くなる事なんか考えてみたことはないのですが、電気のコンセントプラグのずっと先を考えると、消費者としては、考えなくてはいけないことなのかもしれません。

 電波法にあるように、「無線通信を行う場合の空中線電力は必要最小であること。」生活に言い換えるならば、「生活を営む場合の電力は必要最小限であること。」なのかもしれません。
 
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