何も新しい事ずくめの民主党政権、政治主導で独特のスタイルを貫いて居ます。
その一つが官僚を一切排除した閣議。閣僚懇談会。閣僚委員会。政務三役会議で、
基本的に議事録を残さない方針で進められて居ると言う驚くべき事実です。
議事録作成が前提となれば、政治家同士の自由な意見交換が妨げれると言うのが、
その最大の理由との事です。
自民党政権時代も閣議や閣僚懇談会の議事録は残してなかったが、事務次官会議で
事前発言を調整したりして何らのかの形で記録は残されて来ました。
また閣議や閣僚会議後閣僚等がブラサガリ記者等に内容を公開して比較的に知る事
が出来ました。
処が民主党政権では事務次官会議を廃止し、政治の場から官僚を一切排除して
しまい、また政治の一元化で、閣僚等の記者会見には制約を掛け内容の公開は困難
になって来ています。
政治一元化で官房長官が記者会見で懇切な背景説明して透明性が確保出来誤解が
少なくなるとの説明であるが、それが上手く機能してない点に問題が有る様です。
勿論例外は居て例えば国民新党亀井党首はそれは民主党が決めた事と、閣議内容を
バラス等は日常茶飯事で禁を敢えて破って居ます。
政治主導で官僚を一切排除すると言うスタイルには賛同しますが、余り極端過ぎる
と自らのクビを締める事になりはしないか?
この閣議の議事録作成がその一番の犠牲ではないか?
確かに議事録作成を前提に会議を開くと議員の自由な意見交換が出来難いと言う事
は言えますが、重要政策等の決定のプロセスを残し歴史的に検証する事が出来ない
可能性があります。
言い放し、後で違う事をしても言い逃れが出来、責任のない発言で、全く国の政策
決定の記録が無いと言う事はどう見てもオカシイ。
今まで政策が闇の密議で決まると盛んに批判して居た民主党が同じ事をして居る。
おまけに記録がないので都合の良い様に次々と変えても何ら証拠は残らないと来た
「アリガタイ」システムです。
官僚が支配する政治形態の撲滅には両手を挙げて賛成ですが、もっと上手に官僚を
使いこなして欲しいと思います。
シロウトの我々が言うべき事ではないが、矢張り閣議や閣僚会議での発言等は矢張
り議事録として残し後で検証出来る様にすべきではないかと思えてなりません。
勿論平野官房長官の懇切な解説も大事ですが、どうも都合の悪い事は敢えて触れて
居ない感じがしてなりません。
その一つが官僚を一切排除した閣議。閣僚懇談会。閣僚委員会。政務三役会議で、
基本的に議事録を残さない方針で進められて居ると言う驚くべき事実です。
議事録作成が前提となれば、政治家同士の自由な意見交換が妨げれると言うのが、
その最大の理由との事です。
自民党政権時代も閣議や閣僚懇談会の議事録は残してなかったが、事務次官会議で
事前発言を調整したりして何らのかの形で記録は残されて来ました。
また閣議や閣僚会議後閣僚等がブラサガリ記者等に内容を公開して比較的に知る事
が出来ました。
処が民主党政権では事務次官会議を廃止し、政治の場から官僚を一切排除して
しまい、また政治の一元化で、閣僚等の記者会見には制約を掛け内容の公開は困難
になって来ています。
政治一元化で官房長官が記者会見で懇切な背景説明して透明性が確保出来誤解が
少なくなるとの説明であるが、それが上手く機能してない点に問題が有る様です。
勿論例外は居て例えば国民新党亀井党首はそれは民主党が決めた事と、閣議内容を
バラス等は日常茶飯事で禁を敢えて破って居ます。
政治主導で官僚を一切排除すると言うスタイルには賛同しますが、余り極端過ぎる
と自らのクビを締める事になりはしないか?
この閣議の議事録作成がその一番の犠牲ではないか?
確かに議事録作成を前提に会議を開くと議員の自由な意見交換が出来難いと言う事
は言えますが、重要政策等の決定のプロセスを残し歴史的に検証する事が出来ない
可能性があります。
言い放し、後で違う事をしても言い逃れが出来、責任のない発言で、全く国の政策
決定の記録が無いと言う事はどう見てもオカシイ。
今まで政策が闇の密議で決まると盛んに批判して居た民主党が同じ事をして居る。
おまけに記録がないので都合の良い様に次々と変えても何ら証拠は残らないと来た
「アリガタイ」システムです。
官僚が支配する政治形態の撲滅には両手を挙げて賛成ですが、もっと上手に官僚を
使いこなして欲しいと思います。
シロウトの我々が言うべき事ではないが、矢張り閣議や閣僚会議での発言等は矢張
り議事録として残し後で検証出来る様にすべきではないかと思えてなりません。
勿論平野官房長官の懇切な解説も大事ですが、どうも都合の悪い事は敢えて触れて
居ない感じがしてなりません。