国民に順位をつけ、施政者が国を統治する方法は昔の手法でした。
インドのカースト制度が有名ですが日本にもと云われる民
と言うのが現在も生きて居ます。
日本は士農工商と云う区別で統治されて来ました。
日本のと呼ばれる人は古代氏族の戦いの破れた人や外来人
達で人が嫌う賤しい職業にしか就けず、人間扱いされなかった。
その後部族戦に敗れた人や犯罪者がとされ差別された。
明治以降は皆平等となったが、矢張り長い習慣で思想は
今でも残って居ます。
我々の心の中に今は民と云われる人達に対する考えは
何処か我々と違った人達だと言う意識があります。
それが民解放運動や民問題とし今も裁判沙汰になって
います。
この問題は子どものイジメによく似た点があって、いじめ側に
立たないと自分が今度はイジメられると言う事になる。
小さい時からと云われた民は異なった人達だと洗脳
されて育ってきました。
幾ら民主主義国家になっても長い習慣は変えわりません。
それで今回非差別名公開で裁判沙汰になりました。
今回東京地裁は差別の実態が認識されないので、差別されない
権利も認めないと言う判決をだしました。
日本は民を認めてないので、実際差別が行われて居ても
法的対応が出来ないと言うのが根拠らしい。
一方出身者は就職や結婚等で差別され、出生を隠して居る
のが実態の様です