三菱重工は国産初のジェツト旅客機の開発が頓挫し国産ジエット開発
から撤退を発表しました。
08年から事業化を計画し1兆円の開発を投じたが、設計ミスやトラブル
で6回に亙る納期を延長したが今後巨額費用が必要と言う事が判明し
事業化出来ないと判断し撤退発表です。
日本の旅客機製造は1965年戦後初の旅客機としてYS-11が製造された
双発ターボープロップエンジン方式の小型旅客機で色々問題もあった
が2006年まで旅客機として国内外でしました。
その後は自衛隊や海上保安庁で2021年頃まで使用された
その航続機としてジェツト旅客機MRJとして官民一体となり開発が
進められた。
機名もスペースジエットと改められ経産省が500億円の国費を投入し
支援して来た。
先行予約も多数受けて居たが納入出来ず何れも解約となった。
小型ジェット旅客機と九州の関わりは深く、北九州空港で量産機の
試験飛行も計画され地場産業の部品生産にも期待がかかって居た
だけに本当に残念です。
日本のジエット旅客機生産にはまだまだ力不足の点が多かった様です。