今西錦司 昭和51年講談社学術文庫版
持ってるのは昭和61年の第17刷だから、そのころ読んだんでしょう。
名著です。
私にとって、今西進化論は、例によって『EV.Cafe』から入ったもののひとつですが。
ダーウィンのような学校で教わるメジャーな(?)進化論というのは、同じ生き物んなかで何か優れてるものが生き残って子孫を増やしていくと、その元となるどっか他とは変わっているのは突然変異によるものだと。
そうぢゃなくて、進化していくってのは、種だと。
一匹がちょっと他より優れてたからって、それがコロッと死んぢゃったらどうすんの、そうぢゃなくて、その種全体がある方向に変わっていくんだと、どれをとってもどれが死んでも種全体としては大丈夫なようになってなければ生き残れないでしょ、ってのが大きな違いのひとつ。
もうひとつは、突然変異だなんて言って、ランダムな出来事で都合のよい形に変わるなんてことはないんだと。
適応とか進化ってのは、環境まかせのことぢゃなくて、生物の主体的なはたらきかけなんだと。このへんのとこを簡単にいうと、キリンは首の長いのが高いとこのエサ獲るのに有利だから生き残ったんぢゃなくて、ある日いっせいにクビを伸ばそうってことになったんだと(笑) 人間が二足歩行になったのは、そんなもん立ち上がるべくして立ち上がったんだと(笑)
いいなあ、そういうのって、初めて進化に興味もった当時も、今も私は変わらず支持しています。
本書のなかみは、順序立てて理論を並べてく教科書みたいなんぢゃなくて、1952年から1975年の間に発表された、“進化にかんしたエッセイ”(←「序」における著者の表現)が収められています。
「正統派進化論への反逆」
「人間以前と人間以後」
「人類の進化」
「パラントロパスの行方」
「進化とはなにか」
「私の進化論の生いたち」
持ってるのは昭和61年の第17刷だから、そのころ読んだんでしょう。
名著です。
私にとって、今西進化論は、例によって『EV.Cafe』から入ったもののひとつですが。
ダーウィンのような学校で教わるメジャーな(?)進化論というのは、同じ生き物んなかで何か優れてるものが生き残って子孫を増やしていくと、その元となるどっか他とは変わっているのは突然変異によるものだと。
そうぢゃなくて、進化していくってのは、種だと。
一匹がちょっと他より優れてたからって、それがコロッと死んぢゃったらどうすんの、そうぢゃなくて、その種全体がある方向に変わっていくんだと、どれをとってもどれが死んでも種全体としては大丈夫なようになってなければ生き残れないでしょ、ってのが大きな違いのひとつ。
もうひとつは、突然変異だなんて言って、ランダムな出来事で都合のよい形に変わるなんてことはないんだと。
適応とか進化ってのは、環境まかせのことぢゃなくて、生物の主体的なはたらきかけなんだと。このへんのとこを簡単にいうと、キリンは首の長いのが高いとこのエサ獲るのに有利だから生き残ったんぢゃなくて、ある日いっせいにクビを伸ばそうってことになったんだと(笑) 人間が二足歩行になったのは、そんなもん立ち上がるべくして立ち上がったんだと(笑)
いいなあ、そういうのって、初めて進化に興味もった当時も、今も私は変わらず支持しています。
本書のなかみは、順序立てて理論を並べてく教科書みたいなんぢゃなくて、1952年から1975年の間に発表された、“進化にかんしたエッセイ”(←「序」における著者の表現)が収められています。
「正統派進化論への反逆」
「人間以前と人間以後」
「人類の進化」
「パラントロパスの行方」
「進化とはなにか」
「私の進化論の生いたち」
