後藤元気編 2016年8月 ちくま文庫
前回からは、最近出た将棋つながりで。
同じ編者の“エッセイコレクション”同様の文庫オリジナル。
古いものから新しいものまでいろいろ。
ある観戦記に対して記者に「自分が粗野に書かれ過ぎている」とクレームをつけた棋士の自戦解説を並べたり、「複数の記者に同じ一局を書かせて競わせればいい」なんて対談の後にホントに二種類の観戦記を並べたりとか、構成もけっこう凝ってるとこある。
観戦記の重要性については、いまさら何をいうまでもないが、たしかに最近は、ネット中継では特にそうだけど、前例のあるなしを検索して並べるだけみたいなのの印象が多くて、やっぱもうちょっとシャレたものにしてほしい。
観戦記のありかたについては、米長九段が書いている、
>しかし、研究熱心な若者達がこれだけ心血を注いで努力しているのだから、手の内容はわからないとしても、そういう背景があるのだと読者に伝えるのが文章の力というものだろう。また、その義務があるはずである。(略)
>表現の研究と愛情を切に望みたい。(「端歩三題」p.402-403)
というとこが大事ぢゃないかと思う。
収められてるもののなかには、感心させられたものがいくつもあるけど、特に例をあげるとしたら、倉島竹二郎の、
>最早敵角を右翼に捌かれる懸念なしと見た土居八段は、一旦自玉の防備を手堅くし然る後3七銀以下2筋方面より攻勢をとる心算のもとに、6六歩と突いた。(「三十年来の好敵手」p.185)
なんてえのは、やっぱ昭和の時代らしい名調子である、読んでて楽しい。
あと、
>(1)棋士が盤を見ていると、自然に「一つの形」が映ってくる。
>(2)すると、現在の局面も、それとの間を、頭の中で薄すらとした橋が掛って了う。(略)
>(3)「読み」という、思考に入るのはこれからだ。
>(1)から(2)に渡した橋を、一歩々々踏みしめて渡るのである。――これが読みである。(略)(「臨時三人懸り戦」p.152-153)
というのは、おお、なんだこの卓越した指摘は、と仰天したんだけど、書いたのは金子金五郎九段で、さすがに棋士、しかも序盤に明るい理論家である。
この本、惜しむらくは誤植があるところで。
棋譜はごちゃごちゃとした記号だから、ある程度しかたないとも思うんだけど、そのボリュームに対して、それほど目立つものでもない。
だけど、ただ、ふつうの文章のとこで、
>かくして、両者二勝一敗のタイスコアとなり(略)(「さらりと指してよし」)
なんてのは、誰でも考えるまでもなくわかるからかわいいけど、
>(略)「負けていれば敗者」と佐藤。(「余韻収まらず」)
なんてのは「敗着」って言葉スッと見慣れてないひとには困るんぢゃないかなという気がする。
前回からは、最近出た将棋つながりで。
同じ編者の“エッセイコレクション”同様の文庫オリジナル。
古いものから新しいものまでいろいろ。
ある観戦記に対して記者に「自分が粗野に書かれ過ぎている」とクレームをつけた棋士の自戦解説を並べたり、「複数の記者に同じ一局を書かせて競わせればいい」なんて対談の後にホントに二種類の観戦記を並べたりとか、構成もけっこう凝ってるとこある。
観戦記の重要性については、いまさら何をいうまでもないが、たしかに最近は、ネット中継では特にそうだけど、前例のあるなしを検索して並べるだけみたいなのの印象が多くて、やっぱもうちょっとシャレたものにしてほしい。
観戦記のありかたについては、米長九段が書いている、
>しかし、研究熱心な若者達がこれだけ心血を注いで努力しているのだから、手の内容はわからないとしても、そういう背景があるのだと読者に伝えるのが文章の力というものだろう。また、その義務があるはずである。(略)
>表現の研究と愛情を切に望みたい。(「端歩三題」p.402-403)
というとこが大事ぢゃないかと思う。
収められてるもののなかには、感心させられたものがいくつもあるけど、特に例をあげるとしたら、倉島竹二郎の、
>最早敵角を右翼に捌かれる懸念なしと見た土居八段は、一旦自玉の防備を手堅くし然る後3七銀以下2筋方面より攻勢をとる心算のもとに、6六歩と突いた。(「三十年来の好敵手」p.185)
なんてえのは、やっぱ昭和の時代らしい名調子である、読んでて楽しい。
あと、
>(1)棋士が盤を見ていると、自然に「一つの形」が映ってくる。
>(2)すると、現在の局面も、それとの間を、頭の中で薄すらとした橋が掛って了う。(略)
>(3)「読み」という、思考に入るのはこれからだ。
>(1)から(2)に渡した橋を、一歩々々踏みしめて渡るのである。――これが読みである。(略)(「臨時三人懸り戦」p.152-153)
というのは、おお、なんだこの卓越した指摘は、と仰天したんだけど、書いたのは金子金五郎九段で、さすがに棋士、しかも序盤に明るい理論家である。
この本、惜しむらくは誤植があるところで。
棋譜はごちゃごちゃとした記号だから、ある程度しかたないとも思うんだけど、そのボリュームに対して、それほど目立つものでもない。
だけど、ただ、ふつうの文章のとこで、
>かくして、両者二勝一敗のタイスコアとなり(略)(「さらりと指してよし」)
なんてのは、誰でも考えるまでもなくわかるからかわいいけど、
>(略)「負けていれば敗者」と佐藤。(「余韻収まらず」)
なんてのは「敗着」って言葉スッと見慣れてないひとには困るんぢゃないかなという気がする。