many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

デミアン

2010-08-19 20:11:14 | 読んだ本
ヘッセ 高橋健二訳 昭和26年発行・昭和47年改版 新潮文庫版
きのうの続き、四方田犬彦の『読むことのアニマ』に“転校生の物語”として挙げられているヘルマン・ヘッセの『デミアン』。
私が持ってるのは、昭和59年の58刷で、そのころ読んだ。
というのも、私の好きな本であるところの『若き数学者のアメリカ』のなかで、著者・藤原正彦がフロリダで知り合った女子学生に、「デミアン」というあだ名をつけられたという一節があるんで、そこから興味を持って読んでみたんである。
“人の心を見透す不可思議な洞察力を持つ”少年の話だっていうんで、おもしろそうだと思ったんだろうけど、なんか難しい小説だよね、たしか。
あんまりよく覚えてないんで、今度ひまなときに二十何年かぶりに読み返してみようかと思う。夏休みの宿題みたいだな、まるで。
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イワンのばか(トルストイ民話集)

2010-08-18 20:44:40 | 読んだ本
トルストイ民話集 中村白葉訳 1932年発行・1966年改版 岩波文庫版
こないだの続き。
四方田犬彦の『読むことのアニマ』の冒頭にトルストイ童話集をとりあげた章があったんで、そのつながり。
「イワンのばか 他八篇」という私の持ってるのは1987年の第55刷。
おもしろいですよね、トルストイのどの小説よりも(そんなたくさん読んでないから断言する資格はないんだが)おもしろい。
「イワンのばか」は有名な話だけど、なんといっても、負けた悪魔が“水の中へ石を投げ込んだように、地面の中へ飛び込んで、ただ穴だけがぽつんと残った”になるところが、ものすごくイメージを掻き立てられます。

あと、いろんなところで採りあげられるみたいだけど、「人にはどれほどの土地がいるか」っていう寓話、鋭いところを刺してますよね、やっぱり。

コンテンツは、
「イワンのばかとそのふたりの兄弟」
「小さい悪魔がパンきれのつぐないをした話」
「人にはどれほどの土地がいるか」
「鶏の卵ほどの穀物」
「洗礼(なづけ)の子」
「三人の隠者」
「悔い改むる罪人」
「作男エメリヤンとから太鼓」
「三人の息子」
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the TEARS OF a CLOWN

2010-08-17 14:58:08 | 忌野清志郎

RC SUCCESSION 1986年 東芝EMI
きのうのつづき。きのうみた写真展が、1986年の野音のライブの写真からだったんだけど、その夏の4日間のライブ盤として出たのが、これ。
このライブねえ、観に行けなかったんですよ。
野球サークルの合宿と日程がかぶっちゃって。(合宿は長野県飯山市でやってた。今なら合宿途中で抜けて、まちがいなく個人の趣味優先に走るんだけど。)
チケットは合宿の日程がわかるだいぶ前に買って持ってたんだけど、断念して売っちゃった、当時の「ぴあ」の欄外の「売ります」みたいなとこに出して。
定番曲も入ってて、なかなか聴けない「ヒッピーに捧ぐ」も入ってて、けっこういいライブ盤だと思いますよ。

1.IN THE MIDNIGHT HOUR
2.Sweet Soul Music~Strawberry Fields Forever
3.君が僕を知っている
4.ラプソディー
5.よそ者
6.君はそのうち死ぬだろう
7.打破
8.スローバラード
9.SKY PILOT/スカイ・パイロット
10.トランジスタ・ラジオ
11.ドカドカうるさいR&Rバンド
12.LONELY NIGHT(NEVER NEVER)
13.ヒッピーに捧ぐ
14.自由
15.雨あがりの夜空に

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温故知新、っつーか

2010-08-16 22:23:41 | 馬が好き
仕事で、札幌に行ったので、その勢い(?)で、乗馬もすることにした。
このブログは、札幌に住んでたときから始めてたんだけど、札幌での乗馬については、当時思うところあったせいでか、書いてない。
とは言え、そもそも改めて乗馬(っていうか、馬?)のおもしろさを教わったのは、札幌なんである。
なので、今回も当時慣れ親しんだ馬たちとの再会は楽しかった。

↑すっかり誘導馬も板についてきたサンキンバスター。

↑同じくヒノデツートン。
ほかレギュラー陣の誘導馬たち、フサイチピアレス、ロングキングダム、ショウナンターボ、シルバーデュークも元気でした。

↑そして毎度おなじみミニチュアポニーの「ゴルゴ」と「トニー」

それはともかく、月曜朝8時には乗馬センターに行って、コーヒーなんか飲んでると、なんと、夏休みで来ると思ってた、高校生たちが来ないという
ゲストなんだから遊んでていいだろうと、すっとぼけてたら、「おらおら、働かざるもの乗るべからず!」とか言われて、結局、馬房ふたつ寝ワラあげする破目になってしまった 休日なのに、なにいつもより働いてんだ、俺?
だいたい、きょうは気温が30度まで上がるっていうぢゃない? なんのために暑い美浦に帰らず北海道で乗ろうとしてんのか、意味がない。
で、ファンドリロバリーに、騎乗。

彼が私の“愛馬”だってみんな言いますが、まあ、そうです。ただし馬がどう思ってるかは知りませんが。
20頭くらいの馬がいるんで、常に平等に接するようにしてたんだけど、最後の一年は、もういいやってことで、思いっきりエコヒイキしてました(って言っても、乗らないときでもリンゴやるくらいなんだけど。)
ただ、私に限らず、彼を愛馬にしてる人は多くて、「俺のロバリー」「私のロバリー」と称する人がいっぱいいます。んで札幌乗馬センターを去るときは、彼と記念写真を撮ってったりします。
今回は、ひさしぶりで忘れられて冷たくされたらヤなので、おととい・きのうと夕方にリンゴをやっときました。
リンゴとか角砂糖とか隠し持ってるの知ってるんで、よくハナと口でひとのポケットを探りにくるんで困ったもんです。
で、私と面と向かって一対一でいるときは、何かもらえること分かってるんで、前がきとかうるさいこと一切しません。ところが、ほかの馬房にいる馬たちにもおすそわけをしてると、とたんに「ブヒヒヒ」と低くハナを鳴らして、こっちを見ます。
そういうところが、まあ、かわいいってば、かわいい

べつに一般的な意味では、特別乗りやすいということもないんでしょうが、この馬に乗ったときの私は、いつもよりうまく乗ってます、たぶん。
下腿部が動かないのが、自分でもわかります(あくまで当社比)。
障害なんか飛ぶと、よくわかる。どうしていつもこう飛べないのかと自分でも思う。ヒザから下がぴったり馬にくっついた状態で、馬が持ち上がってくるのを待ってられるのは、とても楽しい。
この日も「重いかもよ」と言われたけど、拍車なんか無しで、せっせと歩かせたら、とても反応がよかった。基本的に常歩ではノンビリして置いてかれて、速歩ではさっさと追いつくようなとこあるんだけど、常歩からよく歩いた。
駈歩では、なぜか外向いた状態で走ってたんで、ちょっとだけ強引に内を向かせたら、あとは何もすることなし。手綱伸ばしたままでも、きれいに駈歩してくれてました。以前の、左によれてくようなとこ、無くなったの?

昨日おとといと暑いなか誘導馬とか体験乗馬でがんばってた馬たちはお休みだったので、4頭での練習でした。
ファンドリロバリー乗り終わって、ポンポンポンとベタ誉めして降りて、そしたら「これも、乗ってみ?」ってことで、ベイズウォーターにも騎乗。

ベイズウォーターは、私が札幌を去ったあとに来た馬で、半血の8歳。父・パンサー、母・多摩妃という標茶産の乗用馬。
なんでも来週から誘導馬としてデビューするらしい。元競走馬っていうのは、コースに出た瞬間にエキサイトする(幼少のころから、ここでは走れって洗脳されてるから…)んだけど、はたしてこういう馬はどうなのか、まあがんばっていただきましょう。
広い背中だけど、上下に揺れる駈歩で、みんな「馬酔い」(?)するらしいんですが、私は最近、こうやってヒザとか足首とかで柔らかく対処しなきゃいけない馬の揺れ、練習になるんで、けっこう好きです。

乗馬のあとは、午後から、さっぽろ東急でやってる「有賀幹夫写真展 KING OF ROCK'N ROLL 忌野清志郎」という写真展を観に行く。

1986年以降のRCのライブとか、「COVERS」のレコーディング風景とか。

どうでもいいけど、札幌行くのに、おみやげとか持ってくんだけど、所詮食べ物では北海道にかなわない。
この日も帰りに、逆におみやげとして、“いま佐藤水産でイチオシ”らしい「さけっぴ」を貰ってしまった。
“あきあじ”(鮭のことだよね)の皮をカレー味で揚げてあります、ビールなんかに最高、某ジャガイモ系お菓子なんかより、私も気に入りました。
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読むことのアニマ

2010-08-13 19:37:29 | 四方田犬彦
四方田犬彦 1993年 筑摩書房
きのうのつづき。四方田犬彦で、次に読んだのは、年代順でいくと、これかな。
副題は「子供部屋の世界文学」、子供のころの読書体験についてのエッセイ。
わたしの記憶のなかでは、十五歳のころまでに読んだものがもっとも幸福な書物として残されているからであって、それは眼に見えないところで現在のわたしの世界観の根本を形造っていると信じているためである。
だ、そうでして。いいですよね、こういう本は。幸福な書物、いいなあ、いい言葉だ。

コンテンツは、
・悪魔との出会い トルストイ童話集
・驚異の冒険譚 「地底探検」
・狂人の告白 「ガリヴァー旅行記」
・仮面と憐憫 「幸福の王子」
・変身と週末 ギリシャ神話と北欧神話
・クリスマスの魔法 「胡桃割り人形と鼠の王様」
・パリの不思議 「レ・ミゼラブル」
・マラルメ的欲望 「ギボンス」と「スコット」
・洪水と戒律 聖書I
・イエスの奇跡 聖書II
・SFの通過
・物語は無限に続く… 「千夜一夜物語」
・悲嘆の甘やかさ 「紅楼夢」
・追放と王国 「ラーマーヤナ」
・転校生の徴 「デミアン」
・失墜と悔恨 「悪の華」
・汝の欲するところをなせ 「ガルガンチュワとパンタグリュエル物語」
・禍々しく、昏い森 「神曲」
・ポルノグラフィー体験
・異邦人の孤独 「マルテの日記」

私の読んだことあるやつもないやつもありますが。
著者あとがきにいわく、
わたしは人生をもう一度やり直すことができるとしても、出来ることなら本書で記したのと同じ順番のもとに同じ書物を読むことで、十五歳までの人生を、すなわち人生のもっとも幸福な時期をすごしてみたい
ってあるんだけど、それは、もう一度人生を繰り返すとしたら、今度はもっと違う人生を!と望んでるにもかかわらず、書物については同じものを望むって言ってるんで、お気に入り度の高さがわかりますねー。
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