四方田犬彦 1989年 朝日新聞社
私が四方田犬彦を最初に読んだのは、たぶん1988年の「感情教育」からだと思う。
なんでだっけ? たぶん大学の生協の書店に積んであったんぢゃないかと思う。
で、これが2冊目かな? 手元にあるいくつかの本を年代順に並べてみると、そういうことになるみたい。
「感情教育」のなかでも、ニューヨークでの生活について書かれた章があるけど、この本は同じころ、1988年ころに雑誌連載されてたらしい、著者がニューヨークに住んでたときのエッセイである。
タイトルは、もちろんジム・ジャームッシュの映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」からとられている。
あの映画も話題でねー、レンタルビデオになってから借りてきて観たんだけど、わかりやすいエンターテイメント系の映画にしか興味のない私には、なんのこっちゃか分かんなかった
ただ、当時は背伸びして映画観てたこともあるからなー、ゴダール(「右側に気をつけろ」)とか劇場で観た記憶がある。
で、この本を手にとったころは、ニューヨーク=危ない、みたいなイメージが今より全然強かったころぢゃないかと思うんだけど、別に見聞きした事件簿なんかぢゃなくて、何だか楽しそうなニューヨークの生活が書かれているのが読んだとき興味深かった。べつに私は行きたいとまでは思わないけどね、ニューヨーク。
中国系とか韓国系とかアジア出身でニューヨークに住んでる人、しかもアーティストとかとの付き合いが書かれてるとこは面白いです。
以前読んだときより、いま読んだほうが面白いかも、と思いつつ、読み返してる。
何が面白いのか、自分でもよく分かんないんだけどね。旅行記とか、どっかを訪れた話とかって、もともとそんなに好きなわけでもないのに。いま読むと、なんかスラスラ次から次へと読まされちゃう。
本筋とは関係ないんだけど、文章の書き出しがいいよね、って何回か思った。
>その男を最初に見かけたのは、すったもんだのあげくにようやくアパートを見つけ、身辺も少し落ち着いたので、そろそろ映画やダンスの見物にでかけようかと思っていた矢先だった。
>わたしの名前はどう書いてくれたっていいわ。ヨシコ・チューマでも、チューマヨシコでも。
>その男は白い麻のジャケットにサングラス、というよりは黒眼鏡の出で立ちで、壇上に登るといきなり、わたしは日本人ですと日本語でいった。
>その日は両親の長年の夢が、ボストンの中華街の片隅を借りてようやく実現されるという大事な日で、店が開く前から大人たちはそわそわしていた。
>ぼくが子供だったころ、まだチャイナタウンはひどく小さかった。
>林均が失踪してもう大分になる。だれにも何の連絡もない。アパートの電話も通じない。
>秋。わたしの手元にある写真には、頭を剃ったばかりの彼が、落書きだらけのアパートの扉を内から開け、まさに外へ出ようとする瞬間がとらえられている。
>いったいこないだのクリスマス・イヴの晩のことは何だったのだろうか。パーティ?宴会?いや、そんな普通の言葉ではとうてい表現できない。
>少年が十二歳の時、父親がいった。わたしたちはここを出ていかなければならなくなった。どこか別の国に住まなければいけないんだ、と。
いくつかの、気になる出だしを挙げてみたけど、まったく知らない人物の話が始まるのに、グイっと物語に惹き込まれちゃう。開かれた文章ってのは、こういうのをいうんだろうな。
私が四方田犬彦を最初に読んだのは、たぶん1988年の「感情教育」からだと思う。
なんでだっけ? たぶん大学の生協の書店に積んであったんぢゃないかと思う。
で、これが2冊目かな? 手元にあるいくつかの本を年代順に並べてみると、そういうことになるみたい。
「感情教育」のなかでも、ニューヨークでの生活について書かれた章があるけど、この本は同じころ、1988年ころに雑誌連載されてたらしい、著者がニューヨークに住んでたときのエッセイである。
タイトルは、もちろんジム・ジャームッシュの映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」からとられている。
あの映画も話題でねー、レンタルビデオになってから借りてきて観たんだけど、わかりやすいエンターテイメント系の映画にしか興味のない私には、なんのこっちゃか分かんなかった

ただ、当時は背伸びして映画観てたこともあるからなー、ゴダール(「右側に気をつけろ」)とか劇場で観た記憶がある。
で、この本を手にとったころは、ニューヨーク=危ない、みたいなイメージが今より全然強かったころぢゃないかと思うんだけど、別に見聞きした事件簿なんかぢゃなくて、何だか楽しそうなニューヨークの生活が書かれているのが読んだとき興味深かった。べつに私は行きたいとまでは思わないけどね、ニューヨーク。
中国系とか韓国系とかアジア出身でニューヨークに住んでる人、しかもアーティストとかとの付き合いが書かれてるとこは面白いです。
以前読んだときより、いま読んだほうが面白いかも、と思いつつ、読み返してる。
何が面白いのか、自分でもよく分かんないんだけどね。旅行記とか、どっかを訪れた話とかって、もともとそんなに好きなわけでもないのに。いま読むと、なんかスラスラ次から次へと読まされちゃう。
本筋とは関係ないんだけど、文章の書き出しがいいよね、って何回か思った。
>その男を最初に見かけたのは、すったもんだのあげくにようやくアパートを見つけ、身辺も少し落ち着いたので、そろそろ映画やダンスの見物にでかけようかと思っていた矢先だった。
>わたしの名前はどう書いてくれたっていいわ。ヨシコ・チューマでも、チューマヨシコでも。
>その男は白い麻のジャケットにサングラス、というよりは黒眼鏡の出で立ちで、壇上に登るといきなり、わたしは日本人ですと日本語でいった。
>その日は両親の長年の夢が、ボストンの中華街の片隅を借りてようやく実現されるという大事な日で、店が開く前から大人たちはそわそわしていた。
>ぼくが子供だったころ、まだチャイナタウンはひどく小さかった。
>林均が失踪してもう大分になる。だれにも何の連絡もない。アパートの電話も通じない。
>秋。わたしの手元にある写真には、頭を剃ったばかりの彼が、落書きだらけのアパートの扉を内から開け、まさに外へ出ようとする瞬間がとらえられている。
>いったいこないだのクリスマス・イヴの晩のことは何だったのだろうか。パーティ?宴会?いや、そんな普通の言葉ではとうてい表現できない。
>少年が十二歳の時、父親がいった。わたしたちはここを出ていかなければならなくなった。どこか別の国に住まなければいけないんだ、と。
いくつかの、気になる出だしを挙げてみたけど、まったく知らない人物の話が始まるのに、グイっと物語に惹き込まれちゃう。開かれた文章ってのは、こういうのをいうんだろうな。
