many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ご臨終メディア

2011-08-18 21:39:00 | 読んだ本
森達也・森巣博 2005年 集英社新書
副題は、「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」
ちょっと前に買っといて、先週読んだ。私の好きな物書き(ご本人はドキュメンタリーのディレクターだと否定するだろうけど)の森達也氏の対談。
もうひとりの森巣博氏は、巻末の紹介によれば、オーストラリア在住のジャンル横断的異色作家、だそうだけど、私は読んだことがない。もっとも、本書のなかで、ご本人は何回か自分のこと「本業はバクチ」と言ってるますが。
しかし、この森巣さんの発言が、ビシビシすごいこと言ってて、おもしろい。それこそ、テレビや新聞でやったら、抗議がきそうなこと平気で言ってる。
こないだ読み返した村上春樹の「遠い太鼓」の最後のほうに、日本を出るときは田中角栄と三浦和義ばかり毎日やってたけど、帰ってきたら宮崎勤の事件一色で、日本の社会というかメディアにはうんざりって感じのこと、書いてありましたが、ふだん、テレビとか見てて、同じこと採り上げて、冷静にみれば大したことないのに、大騒ぎしててウンザリって感じてる方には、本書オススメです。
巨悪には立ち向かわないで、なんか水に落ちた犬がいると途端に棒で叩きだすなー、そういうときだけ正義を振りかざすような言い方するなー、態度悪いなーと、はっきりとマスメディアに対して怒りをもってる方には、もちろんオススメです。
でも、ホントは、毎日のテレビ・新聞報道をみて、そうだ、そうだ、そのとおりだ、って全てにうなずいちゃったり楽しんぢゃったりしてる人とか、報道ってのは客観的だって思いこんでる人とかにこそ、オススメなんですが。(まあ読まねーだろーな、そーゆー人ぁ。)
っていうのは、ひとつにはタイトルにあるとおり、日本のマスメディアの悲惨な実情がテーマなんだけど、もうひとつは副題にあるとおり、日本人の多くが自分の頭で考えるトレーニングをしていないから、世論みたいなものに誘導されちゃうことへの警鐘もテーマだから。
気に入ったところを、いくつか抜いてみますか。
・霞が関や永田町や大企業が何かすると「不祥事」、ほかの人がやると「犯罪」って、マスメディアのやる言葉の置き換えによる世論誘導だ。
・日本のメディアは、抗議がくると、その瞬間に終わってしまう。大企業のシステムとして、減点をされないということをプライオリティにしてるから。
・メディアは、自律的かつ無自覚に自分たちの使う言葉を規制していって、問題の本質から遠ざかっていくようなとこがある。
・メディアは、政府関係者とかに質問で迫らないから、なめられている。その思考や洞察がないまま迎合する雰囲気が、メディアを媒介して日本国民に広がっちゃってる。
・それでいて、国民の知る権利を代行して示したようなポーズだけを(意識してるかしてないか分からないけで)メディアはとっている。
・今のメディアについての問題を突き詰めていくと、本来は自分たちが主体的に決定すべきことを、誰かがどこかで決めてくれるとの発想があって、しかもこの自覚がないことの危うさに、メディア自身がまったく気づいていないことにある。
・不正を告発するのがジャーナリズムなのに、倒れたものを叩くのがジャーナリズムになっている。(倒れずにまだ立っている巨悪については、知ってても書かない。)
・事件が起こるとすぐ結論を出して、わかりやすく提示しようとする。よく分析しないで適当な解説をつけて決めつける。わかりやすさが視聴率や販売部数に結びつくからだが、それを自らの利潤優先とは認めない。
そうそう、本書が出たのは2005年の郵政民営化の衆院選のすぐあとなんだけど、あとがきの付記で森達也はこう書いてる。
「最終ゲラが届く三日前、衆院選の結果が出た。自民圧勝。今日の世論調査では、「これほどに自民が勝って不安だ」との声が六八%。今さら何言ってやがる。」
“今さら何言ってやがる”が、いいやね。世論調査の結果とはいってるけど、こういうのは、設問からして、聞くメディアが誘導してる、ってのもバレバレなうえでの評だし。
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回転木馬のデッドヒート

2011-08-17 17:54:19 | 村上春樹
村上春樹 1988年・講談社文庫版
もうひとつ、先週読んだ村上春樹の文庫本。いま持ってるのは1991年の第11刷。
(たしか単行本も持ってたような気がしたんだけど。)
いくつかの短編が集められてるんだけど、冒頭で著者はこれは小説ぢゃないと言ってます。
〈スケッチ〉と呼ぶのがよい文章だそうで、体裁としては、村上さんが人から聞いた話、ちょっと奇妙だけど基本的には事実の話って形をとってます。
それはそうと、
自己表現が精神の解放に寄与するという考えは迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。(略)人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。
なんて書いてあるのをみると、なんか昔の村上さんは、小説による表現以外に、難しいこと表明してたんだなーという気がしてきた。いまだったら、そんなストレートに言わず、もっとスマートに同じことを違う表現するんぢゃないかと思うから。
コンテンツは以下のとおり。
「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」
「レーダーホーゼン」
「タクシーに乗った男」
「プールサイド」
「今は亡き王女のための」
「嘔吐1979」
「雨やどり」
「野球場」
「ハンティング・ナイフ」
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遠い太鼓

2011-08-16 15:37:19 | 村上春樹
村上春樹 1990年 講談社
週末に仕事で出かけていくのに、本を持って行って、飛行機のなか、電車のなか、夜寝る前に読む。朝、目が覚めるのが早過ぎちゃったときも(6時に起きりゃ用が足りるのに、5時前に目が覚めたりする)、しかたないんで寝そべったまま本を読む。
先週は、文庫本一冊と新書一冊と単行本一冊持ってた。そのぶん荷物が重くなるけど、しかたない。
読んだことあるの二冊と、初めて読むの一冊。
読んだことあるのの読み返しのひとつが、これ、村上春樹の、ヨーロッパを長期にわたって旅行していたときのスケッチ。
んー、村上春樹の小説を順に読み返していくつもりなんだけど、そのあいだに小説以外に出た本も、やっぱなるべく順番のなかに入れてやって、読んでいきたいんで。
あと、この秋に数日とはいえ、どっか海外行こうと思ってんだけど、全然やる気が出てこないんで、なんか読んだら、興味がわくかなって思ったのもある。
村上春樹氏は、1986年秋から1989年秋まで、ここに書かれてるような海外生活をしてて、その間に「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」を書いたそうな。
この本を最初に読んだときのことを私はもう全部忘れちゃってる。
で、舞台は主にイタリアとギリシャなんだけど、どうしてどうして、これがなかなか、いろんなトラブルがあって、私を海外旅行にいざなうって感じぢゃない。逆に、イタリアだけは行きたくないなーって思っちゃった。
まあ観光旅行と、その土地で長く生活することは違うだろうけど、
世界は原則的にはそのトラブルの質によってアイデンティファイされる。そして我々はたとえどこにいようと、そのトラブルとともに歩み、そのトラブルとともに生きていくしかないのだ。そういうこと。
ってクールな結論が出されています。
それはそうと、ひさしぶりに(実に久しぶりに)読み返してみたら、全体的にトーンが暗い章が多い。
やむにやまれず(?)日本を離れて、長編小説を書く毎日が大変だからかもしれないけど、そんな感じもまた、私を旅に興味持たせることになんなかった要因のひとつ。
(だから、勝手にヘンな期待しないで、ふつうのガイドブックを読めって、俺。)
そのなかでも、「南ヨーロッパ、ジョギング事情」って一節は、なんか例外的に(?)明るく面白かった。ギリシャの田舎では、ジョギングって行動が理解されなくて、道で呼び止められて質問されちゃったりとか、走ってる途中で犬と対決したりとかって話。
旅に出て、その町を走るのは楽しい。時速十キロ前後というのは風景を見るには理想的な速度だろうと僕は思う。(略)知らない土地を走るのはとても心愉しいことなのだ。まるで買ったばかりのノートの一ページめを開いたときのように。
なんてありますが、そういえば私も、若いころは週末の仕事でどっか遠くへ行くと(国内だけどね)、夕方に走ったりしてたんだけどなー。また走りたいって気持ちが起きてくるかどうか、自分でもまったくわからない、今は。
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外乗(路上?)

2011-08-15 23:52:16 | 馬が好き
仕事で札幌に行く。
内地は暑いんで、古巣で馬に乗ろうとしたら、月曜日は休みだという。
帰ってきて火曜日に美浦で乗馬すればいいんだろうけど、せっかくだから、道内某所で外乗することにする。(よって火曜はサボリ。すんません。)

ゆうべは本格的な雨、きょうも午前中は雨予報だったし、午後から出かけてく。

↑私が乗るのは、“サト”(って呼ばれてた)、牝馬、氏素性は知らない。

やおら跨って、運動開始。
最近の習慣で、ハミうけを探ろうとかなんとかするが、あれれ?ぜんぜん動かないよ。
ふつうに巻乗りもできやしない。馬場の出口に近づくと止まっちゃうよ。(たぶん帰りたいんだろ。)
もう、いいや、べつに北の大地まで来て、ゴチャゴチャ難しいこと考えることもないっしょ!?
ちょいと、そこらへん散歩に行くべさ。

↑道なき道を行くよ。

でも、そしたら、突如、

↑おいおい、そこは歩道だよ?
(えーと、馬は道交法上は軽車両だから、車道を行かなくちゃいけないんぢゃ? …ま、いっか、どっちでも。)
適当に歩いて、楽しく北海道の自然を満喫。

乗り終わったあとのニンジン(「サンキュー・キャロット」って勝手に私は言ってる)は、どこ行っても基本。


外乗

踏みわけ道を通り越したら、舗装されてる道路に出ちゃった。
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全身落語家読本

2011-08-11 18:50:38 | 読んだ本
立川志らく 2000年 新潮社
こないだ、立川志らくの「落語進化論」を読んだんで、その前作であるこれを読んでみたくなった。
前作といっても、10年以上前である。
ところが、この本のあとがきに、「第二弾は十年後、私が落語界の第一線で活躍をしていたらまた書きましょうね」って書いてあるんで、今年出た「落語進化論」は、まあ予定どおりというか計画どおりの、10年経っての落語論だったってことになる。
ところで、「落語進化論」のまえがきには、「落語暗黒時代に『全身落語家読本』を上梓し、ファンからは賞賛を浴び、仲間内からバッシングを受けた。」って書いてあったんで、それで(賞賛よりバッシングね)本書を読んでみたくなったっつーのがある。
本書の章立ては、以下のとおり。
・落語概論 面白い落語と面白くない落語
・落語各論 落語はこう聞け、こう喋れ
・実践落語演習
・特殊講義「噺家論」
・特殊講義「ネタ論」
落語は、音っていうか、リズムとメロディーが大事、ひたすら良いリズムを追求すべきってのが基本で、そこへさらにプラスして、どう現代性を入れてくか、苦心してます。(オチもいろいろ変えるように考える。)
巻末に「卒業試験 落語」っていう問題があって(一問2点の計50問)、50点以下しか取れない私は、「落語ファン、あるいは落語家を名乗っていたら、インチキ、エセ」と判定されちゃいました。名乗ってなくて、よかったぁ。
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