many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

メトロポリス

2016-09-19 19:19:24 | マンガ
手塚治虫 平成7年角川文庫版
私の持ってるのは、平成十五年の十版。
収録作は、古いよー、「メトロポリス」(1949年)と、「ふしぎ旅行記」(1950年)だ。
「メトロポリス」は、「ロストワールド」(1948)と「来るべき世界」(1951)の間にあって、SF三部作と呼ばれるもののひとつ。
ほかの二つは、だいぶ前に(平成6、7年に文庫出たときに)読んだんだけど、これだけ後年まで何故か読まずにいた。
ロートン博士の人造細胞の研究から作られた、スイッチひとつで男にも女にもなる、人造人間ミッチイの話。
その誕生にあたっては、太陽の黒点にも異変を起こし、博士を脅迫して人造人間をつくらせた、レッド公ひきいるレッド党という悪の大組織がかかわってる。
ミッチイを悪用されるのを恐れたロートン博士は、火事で焼失したと装って、ミッチイをレッドから隠し、ひそかに人間として育てる。
やがてレッドに見つかってしまい、追われることになるのだが、手塚作品の例によってヒゲオヤジ探偵とケン一くんに助けられる。
しかし、自分が人間だと信じていたミッチイは、人造人間だと知らされたとたん、人間への復讐を決意し、友だちだったはずのケン一とも戦うことになる。
物語の冒頭に、「いつかは人間も その発達しすぎた科学のために かえって自分を滅ぼしてしまうのではないだろうか」というフレーズが使われるんだけど、それがエンディングでも繰り返し使われることが、けっこう印象的。

↑これ私の持ってる文庫のカバー。ほかの2冊と違って古風なつくりになってない、なんだろ?アニメ化でもした時期なのかな。
↓これがカバー外した表紙、元々の表紙の復刻とおもわれる。
巻末解説で藤子不二雄(A)が“「メトロポリス」の表紙は素晴しい。トゲトゲの電極のついたキャップをかぶった人造人間少年のミッチイがむきだしの鉄塔の頂上で、こちらは飛行帽をかぶったケン一少年に襲いかかっている。”と記しているので。

※9月22日付記
江口寿史が『江口寿史のお蔵出し』の『武蔵野日記』のなかで、
>ちなみに ワタシにも 今すごく マネしたい 絵柄が あります
>昭和 25年前後の 手塚治虫先生 の絵なんです がね
と言ってるコマで模写してる画は、「ふしぎ旅行記」の最初の章「世界一周第一歩」の5ページ目にあるコマだっつーことを、これ読んで初めて発見した。
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王女マメーリア

2016-09-16 14:03:41 | 読んだ本
ロアルド・ダール/田口俊樹訳 1999年 ハヤカワ文庫版
夏だったかな、ふと書店でみかけて買ったダールの文庫本。
なんか最近よく露出されてるような気もするんだけど、そうか著者の生誕100周年か。
1990年の単行本を1999年に文庫化、ことし2016年5月にようやく二刷として出しなおしたようだ。
出版社のイベントに乗らされるのはおもしろくないが、おかげで好きな作家の読んだことないものを手にすることができるのは喜ばしい。
日本オリジナル編集の短編集だそうだ。
「ヒッチハイカー」The Hitch-hiker
3300ccの新車でロンドンに向けて走っている“わたし”は、ダービーの行われるエプソム競馬場に行くというヒッチハイカーを乗せてやる。
鼠のような顔をしたその小柄な男は、この車はホントに時速129マイル出るのか、やってみせてくれとあおる。
70マイル規制の道を、調子にのって120マイルまで飛ばしたところで、白バイにスピード違反で捕まってしまう。
「アンブレラ・マン」The Umbrella Man
12歳の女の子が34歳のママとロンドンにある歯医者に行った帰りのこと、カフェから外に出ると雨が降りはじめていた。
傘を持っていない二人が歩道でタクシーが来るのを待っていると、白いひげ白い眉毛の70歳くらいの老人が話しかけてきた。
財布を忘れてしまったので困っている、タクシー代の一ポンドをくれたら、老人がさしている立派な絹の傘を代わりにくれるという。
「ボティボル氏」Mr Botibol
極端にアスパラガスに似た外見をしたボティボル氏は、ある日取引が終わって家に帰り、ラジオから流れるシンフォニーを聴いているうちに空想にとりつかれる。
翌日、彼は家のなかの一番広い部屋をミニ・コンサート・ホールのように改装する。
「“復讐するは我にあり”会社」Vengeance Is Mine Inc.
相棒のジョージと金持ちになることを夢想している“ぼく”は、スキャンダルをとりあげている新聞のコラムを読んでるうちにアイデアをひらめく。
“コラムニストの鼻を一発強く殴打する=500ドル”“眼に青痣をつける=600ドル”なんてメニューと料金表をつくり、記事を書かれたセレブたちに送りつける。
「執事」The Butler
巨額の富をつくりあげ、高級住宅地に移り住んだクリーヴァー氏は、週に数回ディナー・パーティを開くようになった。
しかし、いまいちパーティに活気がなく、うまくいっていないように思えたので、執事のティブスに相談する。
それはワインのせいかと存じます、旦那様、申し分ない料理には申し分ないワインが必要です、が執事の答えだった。
「古本屋」The Bookseller
トラファルガー広場からチャリング・クロス・ロードに入ったところにある古本屋、主人のバゲージ氏と店員のトトル嬢は店で何が起ころうとまるで関心がないようだった。
彼らにとって大切なのは奥の部屋での裏商売で、表の店の一年の稼ぎは奥の部屋の二日分にも満たない。
「外科医」The Surgeon
文学修士で外科医のロバート・サンディはラドクリフ医療センターに勤める52歳。
7週間前に、交通事故で意識不明の重体でかつぎこまれた学生の手術を担当して、その命を救った。
実は患者はサウジアラビアの王子のひとりで、医師は固辞したにもかかわらず、王からの贈りものとして立派なダイアモンドをもらうことになる。
「王女と密猟者」The Princess and the Poacher
外見的にはおそろしく醜い若者のヘンギストは、その王国では禁じられている密猟をたびたび行い、鳥やウサギをつかまえていた。
ある日、王家の森に忍び込んでいるときに、大きなイノシシが王女に向けて突進して間一髪のところを、彼は素早い動きと怪力で救い、王から褒美をもらうことになる。
「王女マメーリア」Princess Mammalia
王女マメーリアが17歳の誕生日を迎えた朝、鏡を見るとこれまで不器量だったのが一夜にして眼もくらむほどの美女に変身していた。
その美しさで、男たちは、首相も将軍も大臣も、みな彼女のご機嫌を取ってへつらうようになった。
新しい力を得た王女は、それまでの控えめで心優しい性質を失い、権力への渇望がふくれあがり、王位を我がものにしようとまで考え始めた。
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先生とわたし

2016-09-13 20:06:11 | 四方田犬彦
四方田犬彦 平成22年 新潮文庫版
四方田犬彦の、えーと、なんだろ、カバー裏表紙によれば「評論」だけど。
1990年に亡くなった、英文学者で東大名誉教授、由良君美(ゆらきみよし)の話。
東京大学教養学部文科三類に入学した著者が、二年に進級した1973年に「メルヘンの論理」という全学共通ゼミに参加したときから、その師弟関係は始まる。
当時助教授だった由良氏は、なんせすごい博学で、あらゆる書物を読破してるとしか思えない存在で、その議論は多岐にわたって飛躍するとみせて、実に理路整然としてたらしい。
その独特の雰囲気に魅かれて集まった学生のせいで、
>こうして由良ゼミは、けっして多人数でないが、東大のなかでどこか正統的な教養に不満を抱いていたり、専攻という狭い枠のなかに思考を閉じ込めることを肯じない学生たちを吸い上げる不思議な役割をもつことになった(p.90)
っていう知の場所が出来上がってったそうな。
>すべて教育には顕教と密教の、二つの側面があるといわれるが、金曜日第5時間目のゼミはまだまだ、たかが顕教に過ぎなかった。実はその後に密教の部分が控えていたのである。(p.34)
といって、ゼミの後に個人研究室に学生が訪ねていってからのやりとりが描かれているが、そういうのってとてもいいなあとは思う。
私なんかは、義務のような発表や討論の時間が終われば、同級のみんなと遊び行っちゃうだけだったからねえ。
で、本書は、ざっと5章からなるんだけど、(1)先生との出会いとそのゼミの内容、(2)先生の業績をはじめとする年代記、(3)先生の出自、特に哲学者である父との関係、(4)先生と著者の決裂、(5)著者の考える「教育」とか「師弟」とかについて、って感じの構成になってる。
厚い信頼関係があったようだったのに、やがて弟子のほうから訣別を決意せざるをえなくなるんで、けっこう悲劇的な話ではある。
どっちにも言い分あるだろうし、当事者にしかわかんない機微一杯ある関係だろうから、なんともそれ以上の感想はないねえ。
ところで、あちこちで触れられてるけど、この由良先生の読書量はハンパぢゃなくて、
>彼はもっぱら読むことの愉しみのために読み、読書の範囲を決して限定しなかった(p.167)
ってあるように、いろんなもの読んで、自分のアタマのなかではそれが整理されてたらしい。
んー、本書読むまで残念ながら私はその存在を全く知らなかったんだけど、このひとの著書をなにか読んでみようか、いま考えてる。



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秋雨降る前に乗馬

2016-09-12 18:43:23 | 馬が好き
乗馬にいく。
きのうまで暑かったけど、今日は秋雨前線近づいて、夜から雨っだっていうし、そんなに暑くなりそうにない。
夏が去り、秋が来て、すぐ冬になって、またいつのまにか春、まったく乗馬してると一年が早いねえ。
(つぎの夏には馬に乗ってないと思うけど。そう思うと、暑っい乗馬も名残おしいような。)
さて、きょうの馬は、コメット。

(こらこら馬装してるのに寝ないでくれよ。)
あまり数乗ったことないけど、たしかついこないだ乗ったよね。
なんかほっぽといてもズンズン前進してくれるんで、わりとラクだったイメージがある。
きょうも動かすことよりも、動いてるなかで抑えることのほうに重点を置いていこうか。
ところで、馬装しようとしたら、頭絡といっしょにマルタンかかってるのを見つける。
んー、3回くらい手に取ったり元戻したり迷ったすえに着けてくことにする。あったほうがラクそうだもん。
いつもは、こんなもん無くてダメだったら自分で苦労すりゃいいんだって主義なんだけど、きょうは日和ってしまった、私だってラクしたい日はある。

んぢゃ、ズンズン歩いて馬場に入ったら、また蹄跡をズンズン常歩、まったくもって勢いがいい。
いちいち前進促す必要ないので、しばらくアブミに立って乗る。
足とかの力を使って立ちあがって踏ん張ってキープするんぢゃなくて、骨格のバランスの上に立ってそのまま維持できれば、力使わず一番ラク、なはず。
力使わずアブミの上に乗ってれば、軽速歩しようが正反撞しようが、その力使わない状態で馬の上にいられるんで、一番ラク、なはず。
んぢゃ、部班やります、コメット先頭。知らないよー、うしろ千切っちゃっても、速いんだから。
軽速歩中心で蹄跡をくるくると。
速い、速いよ、コメット。ちょっとリズム乗ってないかな、なんて脚など使おうものなら、スタスタスタって進んでく。
そうぢゃなくてー、大きなストライドでゆったりと、でしょー、とか受けとめようとするんだが、急いで行ってしまう勢いは止められない。
隅角では内側に入りがちなので、内の脚で外の手綱にぶつけるつもりで押し込もうとする。
馬がマイペースすぎて、こっちの言うこと聞いてくれてなさそうなんで、長蹄跡上でもときどき内の手綱開いたりして丸くしようとしてみる。いつまでもやらない、フッとこっちくるの感じたら、すぐかえすようにする。

んぢゃ、ツーポイントやるよ、ということで、待ってました、おあつらえむき、この馬なら苦労しなさそう。
常歩でツーポイント。この時点で姿勢チェック。軽く前傾、胸開く、腰張っておしり少しうしろへ突き出すような感じ。
手綱短く持って、手を前にする、ときどき冗談で馬の耳をつかむように自分の背と腕を前に伸ばしてみる。
速歩でも姿勢同じ。靴底を地面と平行にして、足首ぢゃなくて股関節で乗る感じをイメージ。
ときどき脚で圧迫して反応を確かめろと。ちょっとやっただけで反応してくれるから、この馬ラクさ。
それよりツーポイントで、速くなりすぎた馬をジワッとおさえるほうがむずかしい。引っ張んないように拳つかう。
次の長蹄跡で歩度を伸ばせ、反対側の長蹄跡にいるうちに言われたってことは、その前に準備しろってこと。
短蹄跡から隅角に入る前に脚つかって前に出しとく、勢いを受け止めながら回転、直線向いたら少し緩めるだけ、何もしないでも伸びてってくれるようにできたら、それがベター。
軽速歩にして輪乗り。放っておくと最後尾の馬に追いついちゃうに決まってんで、あんまりスピードあげずに、大きく動くの受けとめるような状態で回りたい。
ところが、内向けたりすぐ内の手をもとに戻したりとかやってると、外の手がすぐ前に出てしまっていると指摘される。
馬のクビと一緒に外の手を内に回してしまわない、壁つくって、馬に対してまっすぐ、人が先に内向いてしまわないように。
それから、手が上にあがることが多い。うーん、馬に負けじとつい引っ張っちゃうからなー、そのとき力入れて上がっちゃうんだよねー、せっかくマルタンつけてんのに何やってんだか。

ぢゃあ駈歩。ちょっと出にくい、詰めて受けとめて乗ってなかったからなー。
駈歩出たあとも、ちょっとパランパランしてんで、もうちょっと動かす。かと言って、バランス崩すと、すぐブレーキかかっちゃう。
蹄跡上を駈歩。ときどきツーポイント。なんかいまいちなんで、ときどき後ろのことお構いなしに歩度伸ばすようなことしちゃう。
速歩にして、半巻きして手前を替えたら、こんどは蹄跡上で駈歩スタート。
って、出ないよ。なんかバタバタっとするだけで、その場で止まってハネそうになる。かなりあせるが、速歩でしばらくダラダラっと進んだあと、ゆっくり出し直す。
んー、なんか上で人間がバランス崩したときに手綱引っ張っちゃってんぢゃないかな、と思う。そうぢゃないとしても、馬の背中の間違った場所間違った方向に圧してるとか。
いずれにしても人が矛盾するブレーキかけてんだろう、むずかしいねえ、この馬。
駈歩続けても、ぜんぜん疲れたり飽きたりするとこなさそうに前進する、コメット。楽しいけど、やっぱ思うように詰められない、油断すると肩や肘の開閉と拳のゆずりを忘れてバトルになる。
そんなことしてるうちに、練習終了。って手綱伸ばして常歩してても、まだまだ前進気勢いっぱいなんだけど。

「準備運動のときから、手が上下しがち、もっと馬の動きにやわらかくついていくように」
「外の肩や手が回ってしまいがち、馬に対してまっすぐの姿勢で」
という二点について明確な指導入りました、次回またがんばります。次回いつだ、2週間後? 遠い先だねえ。
次に乗るひとはいないので、しばらく常歩して引き上げる。
あれほど勢いよく走ったのに、そんな大汗かいたりしてないので、ササッと手入れする。

でも、うっまそうに水飲むんだよね、これが。
それにしてもおとなしいねえ。ハエが寄ってくるとさすがに迷惑そうにするが、とてもおとなしくて扱いやすいので、拭いたりブラシかけたりしながら、おまえはカワイイねえと何度も言う。
終わったら、リンゴやる。

うまそうに食うんだ、これが。
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あなたが知らないディズニーランドの新常識44

2016-09-08 20:29:11 | 堀井憲一郎
堀井憲一郎 平成28年5月 新潮文庫
私の好きなライター、ホリイ氏の文庫オリジナルの新刊。
これまでもディズニーランドに関する著作が出てたのは知ってるけど、あまり読んだことない。
ディズニーランドあまり関係ないからねえ、私の人生には。
シーに行ったのが10年前に一度、ランドに行ったのは20年以上前に一度、かなあ。
千葉県に行く機会はわりと多いんで、よく電車や高速で近く通り過ぎることはあるんだけど。
さて、というわけで、私には役立たないとは思ったものの、読んでみた。
やっぱ、わかんない。のっけからいろんなカタカナがズラッと並んでるんだけど、なんのことかわかんない。
もちろんアトラクションの名前なんだろうが、実体わかんないと、SF用語よりつらいよ、興味もてないと読み進むのに骨折れる。
内容も『なぜモンスターズ・インク90分待ちだと「すいている」と言えるのか』って章にあるように、タイトルそのものからしてそうなんだけど、同じ日のシーに行ったのに、著者は「ああ、未開拓の平原を歩いてるように、どこまでもすいているなあ(略)」というんだが、不慣れな人のほうは「まいったまいった、すげえ混んでいたよ」と言うんだそうである。
私は当然後者にあてはまるはずなので、混んでて90分待ちしてるのを「圧倒的にどこまでもすいている状態」とか言い切られちゃうと、ホントなんの話をしてるんだか通じないようなとこある。
まあ、著者は「1年の待ち時間をすべての日にわたって見続けてる」というひとなので。しかし、なんでそんなことするのかねえ。
ちなみに、ディズニーが混むようになったのは「2000年にファストパスが導入されてから」だそうです。
本書にも、このファストパスの効率的なとりかたみたいな話があるんだが、とったことない私には、何それである。
ちょっと私の常識にかからないものあって、たとえば、
>ふつうに混んでる日のトイストーリーは。
>8:02に30分待ち。
>8:04に70分待ち。
>あなたが着いた8:14にはすでに140分待ちになっています。
>ええええっ、です。(略)
>(略)どうしようと迷ってるうちに。
>8:18に210分待ちになるのだ。(略)
>これは2013年の実測値です。(略)
だなんて言われると、ほんとどこの世界の話だか。おもしろいとも興味深いとも思わない、ただ、へえーそーなのとしか言えない。
そんなとこ絶対行きたくないな。誰にどうせがまれても絶対やだ。
絶対行かねえって思うものに関する本を読むのはそれほど楽しくない、一般的に考えて。
とはいうものの、ところどころやっぱ面白いものはある、ホリイ氏の調査らしくて。
たとえば、「ぼくたち9人できて9枚のファストパスを取ったのですが、1枚なくして8枚になってしまいましたが、9人で入れてもらえませんか」と頼んだ、そしたら入れてくれた話とか。ファストパスってなんだか知らないんだけどね、私は。
台風直撃した日でも、ランドで17、シーで13のアトラクションが稼働してたとか。
45年ぶり積雪27センチという大雪の日に行くと、それでも営業してて、あちこちにミッキー雪だるまあったり、雪で作った高さ51センチのシンデレラ城があるのを見られるとか。
マップを入口でも園内でももらえるけど、これは正しい地図ではなく、形がゆがめられたものであるとか。
これに関しては、「地図に魔法がかかっている」とか「迷って欲しい、とディズニー側はおもっているのですよ」とか「不完全な地図には、夢と希望が籠もっている」だなんて卓見が披露される。
あと、
>こういう「見ると必ず満足するのに、なぜか人気の薄いアトラクション」があるのが、ディズニーランドの底力です。
なんて見解を示されたりすると、そーかー、だからみんな魅かれるんだろーなー、とは思う。私は見たことないけど、フィルハーマジックとやらは。
しかし、これだけマニアックな話をしてくれるけど、自身はマニアではないと主張してます、直接そう宣言してるわけぢゃないけど。
その証拠に、ワンス・アポン・ア・タイムをシンデレラ城の正面から抽選で当たった席ぢゃなくて見ようとする人たちを指して(←あいかわらず私はいつどこの何の話か実感ないんだけど)、
>だから混みます。すげえ前の時間帯から決死隊がこの場所を取っています。たぶんマニアという名のおかしな人たちだとおもうけど、怖いので近寄って確認したことはありません。まさに決死隊という感じです。命削ってでも、ワンスアポンアタイムをいい場所から見たいという決死隊です。近寄らないようにしましょう。
だなんて言ってる、マニアはおかしいと。
やっぱ著者は、そういうんぢゃなくて、調査するひとってことなんでしょう。
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