横浜ベイサイドヒストリー47景なる薀蓄本を読んだ。2002年の発売なので、ちょい古いが横浜絡みの薀蓄話が47話載っている。全部、自分の目で確認するには、一年かかるだろう。
生麦事件もそのひとつ。日本史で習うが、実態はよくわかっていないようだ。
それは、1862年8月21日に起こった。島津三郎久光の行列が通ることは、事前に予告されたいたが、通知の日より一日早く通過したらしい。その時たまたまいた外国人4人は、日本の作法を全然知らなかったし、たまたま通ったのが気性の激しい薩摩藩士だったこと等の悪条件が重なり、事件になってしまった。蒸し暑さも、この事件と無縁ではなかったと、本書は言う。
この事件を機に薩英戦争が起こり、英の力を知った薩摩が逆に英と手を結び、統幕の大きな力となっていったというめぐり合わせは、奇遇としかいいようがない。
今も、旧東海道沿いにイギリス人遭難の碑が残るが、石碑自体も老朽化し、崩壊寸前である。
Time flies.