かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

邪馬台国は阿波だった!

2025年01月16日 | Books


今日は、帰国するのみ。
最後のラウンジで、肉そぼろうどん中華風?
これから、帰国するところ。
こちらで読んだ本の話。



本屋で見つけた出たばかりの本。
邪馬台国の場所には、諸説あるが、安房国というのは、極めて少数派。
というか、ほとんど聞いたことがない。
と思って読み進めると、とんでも本ではなく、かなり真面目な本であることが、わかった。

著者は、歴史研究家でも、考古学者でも何でもなく、理系の技術者なのだが、その独特の視点から、今までの諸説を全く無視し、独自の推理を展開している。
もちろん、我田引水というか、いいとこどり議論のところはあるが、着眼点が独特で、かつ的をついていると感じられる点も多く、たいへん面白かった。
確かに、既存の議論では、無視されたり、誤りとされたりする部分についても、説明できる展開になっている。

例えば、邪馬台国に至る行程の後半の部分は、既存の説では、何かの誤りとされるが、北九州から、関門海峡を陸路で通過し、そこから、愛媛県の海岸を南下し、四国を南西から、北東方向に今の国道439号線沿いに陸路を進んだと考えると、ぴったり来るという。

倭人伝には、鉱物の名前が多く出てくるが、まさにそれもこの四国の産物に一致!
別子銅山に代表されるこの地域は、鉱物の宝庫という。
まさに、理系の歴史学。
著者の発想は、まさにここがスターティングポイントになっていて、そこから逆算した論理展開になっている。
既存説では、ここは、ほとんど無視されている。
弱点としては、邪馬台国らしい遺跡に乏しいところがあるが、これは、684年の白鳳大地震に原因があるという。
南海トラフに匹敵する大地震で、四国のにあった街は、放棄され、忘れ去られたのではないか。
そして、それが、藤原京、平城京に移されたのではないか?

魏が、倭を重要視したのは、呉を挟むという地理的理由もあるが、倭が持っていた、鉱物資源、その加工技術が重要視されたのではないか?

様々な指摘を投げかけてくれている。
異論を無視するのではなく、その方向での調査研究も進めてもらいたい。
思いがけない大発見があるかも。



この議論を、ネットでも見れるそうなので、興味のある方は、いかが?
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