今日も、昨日と同じような天気。
先秋行った肘折は、たいへんな状況のようだ。
シカゴ時代、雪には、たいへんな目にあったが(1日2回の雪かき+塩撒き、車を動かす前の諸作業 (雪下ろし、解凍)、エンコ(救援依頼が集中し、AAAが来てくれるのは、3日後ぐらい)。

またまた出た関さんの古代史本。
何と多作なんだ。
今回は、尾張氏にフォーカスした本。
尾張氏の重要性については、以前より、強調されていたので、尾張氏を中心に据えた本を著したということなのだろう。
確かに、記紀には、尾張氏は、中心に出てこないが、重要な役割を果たしていたであろうことは、考古学の進展により明らかになってきている。
尾張氏というより、東側勢力という方が、妥当かもしれないが。
というのは、本書を読むと、尾張氏がいろんな神々や、天皇との関係が語られ、東海という地域に止まらない豪族であることが、明らかになってくるからだ。
それにしても、難解だ。
著者本人も、言っているが、書いている内に、新たなアイデアが出て来て、結構混乱する。
それを代表するのが、二つの尾張氏。
神武東征の際、最初に拒んだのがナガスネヒコで、受け入れたのが高倉下(たかくらじ)。
尾張氏内にも、諸勢力があった?
さらに、仲哀天皇は、東海の王族で、邪馬台国を滅ぼしたが、魏に報告できず、卑弥呼の親族の男王として立ったが、ヤマトに裏切られて、神功皇后(台与)即位に至ったと話は進む。
これが、尾張氏が二つに分裂する原因だとするのだが、ちょっと頭がくらくらする。
もう一回読めば理解が進むのかもしれないが、尾張氏に関連する神社、天皇が、場所的にも、時代的にも散らばっており、なかなか頭の中でつながらない。
実在しなかったと考えられている天皇と、実在されたと考えられている天皇が、同じ土俵で、語られる。
ただ、記紀ができた頃に、尾張氏が、歴史の裏に葬られてしまったということだけは、確かなようだ。
先秋行った肘折は、たいへんな状況のようだ。
シカゴ時代、雪には、たいへんな目にあったが(1日2回の雪かき+塩撒き、車を動かす前の諸作業 (雪下ろし、解凍)、エンコ(救援依頼が集中し、AAAが来てくれるのは、3日後ぐらい)。

またまた出た関さんの古代史本。
何と多作なんだ。
今回は、尾張氏にフォーカスした本。
尾張氏の重要性については、以前より、強調されていたので、尾張氏を中心に据えた本を著したということなのだろう。
確かに、記紀には、尾張氏は、中心に出てこないが、重要な役割を果たしていたであろうことは、考古学の進展により明らかになってきている。
尾張氏というより、東側勢力という方が、妥当かもしれないが。
というのは、本書を読むと、尾張氏がいろんな神々や、天皇との関係が語られ、東海という地域に止まらない豪族であることが、明らかになってくるからだ。
それにしても、難解だ。
著者本人も、言っているが、書いている内に、新たなアイデアが出て来て、結構混乱する。
それを代表するのが、二つの尾張氏。
神武東征の際、最初に拒んだのがナガスネヒコで、受け入れたのが高倉下(たかくらじ)。
尾張氏内にも、諸勢力があった?
さらに、仲哀天皇は、東海の王族で、邪馬台国を滅ぼしたが、魏に報告できず、卑弥呼の親族の男王として立ったが、ヤマトに裏切られて、神功皇后(台与)即位に至ったと話は進む。
これが、尾張氏が二つに分裂する原因だとするのだが、ちょっと頭がくらくらする。
もう一回読めば理解が進むのかもしれないが、尾張氏に関連する神社、天皇が、場所的にも、時代的にも散らばっており、なかなか頭の中でつながらない。
実在しなかったと考えられている天皇と、実在されたと考えられている天皇が、同じ土俵で、語られる。
ただ、記紀ができた頃に、尾張氏が、歴史の裏に葬られてしまったということだけは、確かなようだ。