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上杉鷹山

2015-09-03 21:31:16 | 15期生のブログリレー

15期生の高橋です。

以前書いたブログのフォローで上杉鷹山の名前が出ましたので、夏休みに関連書籍を読んでみました。
(参考文献:童門冬二、『中興の祖』の研究、PHP研究所)

上杉鷹山は米沢藩9代目藩主で、財政難に陥った同藩を立て直した人物です。18世紀中頃の米沢藩は、借財が20万両(150〜200億円)にのぼり、商人からお金も借りられない状態でした。

上杉家は、かつて越後で勢力を誇った家柄で、名門意識が強く、石高15万石となっても120万石時代の家臣6000人を召し抱え続けていました。人件費だけで財政の9割近く占めたそうです。さらに、名門の面目にかけて接待や饗応の費用を惜しみませんでした。

こんな家柄に養子となり、17才で藩主となった鷹山は、財政再建を断行し、晩年には借財をほぼ完済させました。

鷹山が行った財政再建の柱は3つ
・大倹約令
・産業の育成
・意識改革のための研修

行事を廃止・延期・縮小し、参勤交代の行列も削減しました。食事は一汁一菜を徹底させ、普段着は木綿にさせました。家臣に従わせるため、藩主自らが率先垂範し、さらには藩主の奥女中を2割にまで減らしました。また、江戸での生活費を1500両から209両に減額しました。

「恒産無ければ恒心無し」(孟子) 一定の職業や財産を持たなければ道義心や良識を持つことはできません。
そこで、産業育成のため、余剰に抱えている武士を農業や商業に従事させるよう仕向けました。
江戸時代は士農工商の身分制度がありましたが、身分にとらわれず、人的資源を活用しました。

改革の最大の障害は関係者の意識です。
寺の本堂や庄屋の座敷・庭を借りて、領内の各地で精力的に講義をさせました。

改革を断行するに際し、抵抗勢力が出ました。おそらく、屈辱を味わったり、辛酸をなめることも多かったと思います。
それでも改革を成し遂げた鷹山。強い思いを持って、火が途絶えないよう鼓舞し続けたことと思います。
鷹山が詠んだ句で、「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」は有名ですが、
彼の生き様を想像すると、非常に重みのある句だと思います。  

鷹山が改革を実現できた要因は何なのか、気になります。
そこで現在、2冊目の本、童門冬二『小説 上杉鷹山』を読んでいます。 

「なせば成る なさねば成らぬ プロコンも 成らぬは人の なさぬなりけり」

 

コメント (3)
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