こんにちは。20期生の安納です。
今年の田植えが終わりました。例年は甥たちも交え、用水路でカエルを捕まえ泥田に足を踏み入れるなど、騒がしい日々を過ごすところが、昨年、今年ともにコロナ禍で叶わず、残念です。
さて、表題の「さなぶり」という言葉、ご存じない方も多いかもしれません。私どもの地域では、田植えが終わった後のお祝いや宴会を指しており、幼少の頃は、前後不覚になるまで泥酔した父親が夜半過ぎに帰ってくる日、のことでした。苦労して種籾から発芽させた稲を、田んぼに無事インストールすることができたのです。喜びもひとしお、泥酔も仕方ありません。
この時期の田んぼは、水がMAXに張られていて水棲昆虫も多く、つばめが巣材探しに飛び交い、たまに魚が闖入して暴れるなど、実ににぎやかです。水田の真骨頂、まさに日本の原風景の一つであります。2カ月前はあんなに枯れていたのに、まるで息を吹き返したようですね。
豊かな水がめとなった風景をみると、田んぼを田んぼ足らしめるている要素のうち大切なものは、まず水であり、水を運んでくれる灌漑設備であることに気づきます。灌漑が進まなかった時代、土地の高低や水源の位置は作柄の濃淡に大きく影響を与え、田んぼの面積は限られていました。灌漑技術があってこそ、現在の豊かな田園風景があるといえます。
栃木県内の灌漑の歴史には、「二宮町」の旧町名(現真岡市)に名を遺す偉人の名が刻まれています。二宮尊徳翁です。二宮町をはじめ、茂木、塩谷、宇都宮(宝木用水)、そして終焉の地となった今市(現日光市)、県下の様々な場所に足跡をみることができます。灌漑工事の困難に、理念を貫き導いた人となりを思うと、流れる水も違って見えます。
卑近な話で二宮尊徳といえば、私が小学生だったころは専ら、薪を背負って本を読む像に、勤勉の喩えとして名を馳せていました。それが近年、真夜中に校庭を走り回るとか、○時になると目が光るとか、何やら怪しげなエピソードがあるとかないとか。これは、翁でなくとも像であればいい話ですよね。
ただ、時代を超えて小学生に身近であり続ける偉人は、そう多くは無いような気もします。いつまでも愛される金次郎さんであってほしい、そしていつかきちんと業績を学ぶ日が来てほしい、そう思います。
『報徳記』『二宮翁夜話』といった書籍も残り、これらを紐解くと、ときには反対や中傷にあい、身を隠して成田山に参籠していた、という人間味のあるエピソードもあるようです。翁の語ったという「積小為大」を座右の銘とする経営者も多いと聞きます。いわば、コンサルタント、特に農業分野の大先輩と理解して、翁の歴史と向き合い、「仕法」を知って学びを得てまいりたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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